2013年4月30日火曜日

ははき木(6)



 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:5頁

 はじめに:ははき木(6)

  日本の古代史とはいえ、

 その考察には記紀、風土記を初めとする日本の古代資料は元より、

 諸外国の歴史をも参考にしなければならない。

 三国史記、三国遺事など韓半島の史料、

 書経詩経、史記、漢書、魏書などの歴記、ベトナムの大越史記全書、

 インドの古代史料であるリグ・ヴェーダなどの聖典から

 ミリンダ王の問いに至る仏教経典とその伝承、

 さらにメソポタミア、ユダヤ、ギリシャの史料にまで

 考察の対象を広げなければならない。

 当然、これらの史料を成立させている言語は重要なデータの母体である。

 さらに重要な史料の地名である。

 地名や神社名は有言の歴史的事件の語り手である。

 例えば、日本の古代王権の中心地とみなされている。

 奈良県は大和(やまと)国と呼ばれたが、このヤマトやナラでさえ、

 なぜヤマトやナラと呼ばれたのか解明されていない。

 《Key Word》

 三国史記

 三国遺事

 書経詩経

 史記

 漢書

 魏書

 ベトナムの大越史記全書

 リグ・ヴェーダ

 聖典

 ミリンダ王の問い

 仏教経典

2013年4月29日月曜日

ははき木(5)



 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:4頁

 はじめに:ははき木(5)

  さて、この shiken / shikin の原語を追求したところ、

 インドの古代言語サンスクリット語 sikhin に由来するのが結論で、

 その意味は「智恵」である。

 また「智度」は同じくサンスクリット語の citta の音写で智恵を表す。

 さらに智恵、智識を表す用語として jñana があり、

 これこそ「シナノ」へ転訛した言語で、

 科濃の呼称の大元が阿智村智里であると述べた理由である。

 阿智神社の東を流れる川の名が梨子野川で、北方に梨子野山がある。

 また、阿智村の北に清内路村がある。

 この二つの地名は jñana の転訛であり、

 「シナノ」名を補足するものである。

  ところで、

 サンスクリット語を祖語とする用語が神名に付されているのは、

 仏教が渡来し、

 本地垂迹説が広がり影響した後の名称ではないかとの疑問が起こってくる。

 その妥当ではないことは、記紀の成立年代を考慮すれば明白になる。

 古事記は712年、

 日本書紀は720年に本地垂迹説が広がり始めるより

 100年余り前のことである。

 《Key Word》

 科濃・信濃

 梨子野川

 梨子野山

 阿智村智里

 清内路村

2013年4月28日日曜日

ははき木(4)



 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:3頁

 はじめに:ははき木(4)

 「安布智」は「大智」と解釈できる。

 また、「大智」いえば大智度論が想起されるが、

 これはインドの大乗仏教僧で漢名「龍樹」と呼ばれたナーガルジュナが著し、

 中央アジア地方から唐の長安に来たといわれる

 鳩摩羅汁(くまらじゅう)が漢訳した大品般若経の注釈書である。

 ここで問題は阿智神社が仏教寺院ではないことである。

 古来日本固有の宗教とされる神道の神社に智恵の神、

 仏教の般若の神が祀られていることが問題である。

 祭神名思兼と思金は異字同声である。

 両神名を音読みしてみると思兼 shiken 、思金は shikin で語幹は同じ、

 語尾が ken 、 kin と異なるといえ、これもほとんど同声である。

 このように日本固有の神道の神々の呼称を音訓化するなど

 異称から考察することが意義あることか検討してみる必要がある。

 この今までなされてこなかった手法で

 記紀神話を初めとする古代史に挑戦してみたのが本書である。

 特に西暦でいう一、二、三世紀の歴史は実に「箒木」で、

 時間的に過去のできごという絶対的条件もあり、

 「有りて無きもの、無きて有るもの」である。

 《Key Word》

 大智度論

 龍樹=ナーガルジュナ

 鳩摩羅汁(くまらじゅう)

 大品般若経

 阿智神社

 記紀神話

 大乗仏教

2013年4月27日土曜日

ははき木(3)



 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:2頁

 はじめに:ははき木(3)
 
  阿智村智里こそは長野県の呼称信濃あるいは科野<シナノ>という

 名称の起こる大元と考えられるのである。

  智里はかって智里村といっていたが、

 その鎮守として昼神地区に阿智神社が前宮奥宮に分かれ祀られている。

 平安時代十世紀の延喜式神名帳に記載されている古い神社で、

 祭神は八意思兼(やごころのおもいかね)命、天表春(あまのおもはる)命が

 主神として祀られている。

 思兼神は、日本書紀の天石窟戸(あまのいわやど)、

 邇邇芸命(ににぎのみこと)の天孫降臨の段に登場する

 八百萬神(やおよろずのかみ)中第一の智恵神である。

 古事記においては

 邇邇芸命の天孫降臨の段の常世思金(とこよおもいかね)神と称され、

 高木神からは

 「思金は前(さき)の事取り持ちて、政(まつりごと)を為(せ)よ」と託され、
 
 また、「高御産巣日の子、思金神命」と表されている神である。

 高木神と高御産巣日神は同神として知られる。

 風土記逸文にみえる「その原」は園原で

 智里から神坂峠へ向かったその半場に位置するが、

 そこからさらに横川川を遡った山峡横川地籍に安布知神社が鎮座する。

 祭神は阿智神社と変わらない。

 《Key Word》

 阿智神社

 延喜式神名帳

 八意思兼(やごころのおもいかね)命

 天表春(あまのおもはる)命

 天石窟戸(あまのいわやど)

 邇邇芸命(ににぎのみこと)

 天孫降臨

 八百萬神(やおよろずのかみ)

 古事記

 常世思金(とこよおもいかね)神

 高木神

 思金神命

 高御産巣日神

 風土記逸文

 「その原」園原


 

 

ははき木(2)



 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:1頁

 はじめに:ははき木(2)

 般若心経は「大唐西域記」で知られる唐の僧玄奘(げんじょう)が

 西暦629年から645年にかけて現在の中央アジア・インドを

 旅行した後に漢訳した「般若波羅蜜多心経」のことで、

 般若はサンスクリット語 prajna を音写した

 「智恵」を意味する用語である。

 箒木がこの「智恵」の表徴であることが理解できるであろう。

  美濃国は信濃国の境(界)

 「その原ふせやしとはどこだろうだろうか。」

 現在の長野県下伊那郡阿智村園原、智里伏谷のことである。

 古代東山道の美濃、現在の中津川市神坂から県境の神坂峠を越えて

 信濃へ入ったばかりの山岳地に位置している。

 現在この村は中央自動車道が貫通しており、

 トンネルに関する掘削から道路管理まで日本の最新知識と技術が

 結集されて建造された恵那山トンネルと網掛トンネルが

 道路距離の半分を占めている。

 だが、古代においては、

 東山道の東国へ旅する第一の険阻な関門であった。

 そして神坂峠は信濃国への入り口でもあった。

 《Key Word》

 般若心経

 大唐西域記

 玄奘(げんじょう)

 般若波羅蜜多心経

 般若

 サンスクリット語

 prajna

 智恵

 阿智村園原、智里伏谷

 中津川市神坂

 神坂峠

2013年4月25日木曜日

ははき木(1)



 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:0頁

 はじめに:ははき木(1)

  「件木(くだんのき)は美濃信濃両国界、

   その原ふや世やと云所にある木なり。

   とほくてみれば、ははきをたてたるやうにたてり。

   ちかくてみれば、それに似たる木もなし、

   然れば、ありとはみれどあはぬ物たとへ侍り」

  八世紀の前半、奈良時代に編まれた

 「風土記」信濃国逸文「ははき木」の一説である。

 遠くから見ると箒(ほおき)立てたような形のような木があるが、

 近づいて見ると、そのような木は見えない。

 それ故に、

 あると見えているが、会うことができない物に例えられているという。

 紫式部「源氏物語」の「箒木」巻は

 この逸文に依って名づけられたものである。

  さて、この箒木を概念的に解釈すれば、

 「有りて無きもの、無きて有るもの」ということになる。

 まさに、「色即是空、空即是色」で般若心経の真髄を表わしている。

 《Key Word》

 「風土記」信濃国逸文「ははき木」

 ははき木

 風土記

 紫式部

 源氏物語

 箒木

 色即是空、空即是色

 般若心経

2013年4月24日水曜日

創世紀:目次



 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 目次

 はじめに「ははき木」

 第一章 祝祭

  祝(ハフリ) 

  牛祝祭

  ウケ(牛)と保食神

  豊宇気毘売神(登由宇気神)

  インドの踊子と天鈿女命

  ドゥルガー  

  デーヴィー・マハートミヤ

  ドゥルガー・プージャー

  淀姫神社と矢保左神社

  ホーリー祭 

  左儀仗・三九郎

 第二章 メソポタミアと牡牛

  供犠の起源

  バビロニアの新年祭

  エリドウ          

  メソポタミアの開明期と彩文土器

  角の崇拝           

  埋葬儀礼と牛頭        

  野牛狩と殺牛技法       

  牛頭崇拝とハフリ       

  牛頭崇拝と角         

  地名「アルパチア」      

  高床式建物と神殿       

  高床式神殿と「高み」     

  高床式神殿の祭神(一)豊饒神 

  高床式神殿の祭神(二)水神

  高床式神殿の祭神(三)創造主 

  太陽神            

  カルト人と南メソポタミア    

  角と「メ」信仰        

  エンキ神と「メ」の職能    
  
 第三章 カルト人の進出     

  「創世記」カインの本実    

  スバル人とスバルトウ     

  スバル人の商業活動      

  カルト(スバル)人の地中海進出

   (1)ウガリト       

   (2)フィリステル     
       アジア

   (3)カナアン(カナン)   

       カナン神話

   (4)クレタ島       
       クノッソス
       アゲノールとエゥロペー
       ミノス

   (5)マルタ島       

   (6)ラチウム(ローマ)   

   (7)ベルベル人

   (8)イベリア半島     

  地中海人種

 第四章 カルト人の移動     

  フルリ人とミタンニ国     

  ウラルトウ          

  グルジア           

  大陸ケルト人         

  ゲルマン

 第五章 旧約聖書「創世期」   

  洪水伝説と祝祭        

  エデンと四つの川       

  (1)エデンの園       

  (2)ピソン川        

  (3)ギホン川        

  ノアの系図          

  (1)ヤペテの子孫      

  (2)ハムの子孫       

  (3)セムの子孫       

  ヘブライ人とユダヤ人      

  ヤハウェとモーセ        

  ヤハウェと祝祭

 第六章 イスラエル人と月氏   

  イスラエル人と月氏      

  (1)アッシリアへの強制移住 

  (2)メディアから安定へ   

  月氏とシルクロード       

  (1)大月氏の成立      
 
  (2)クシャン王朝      

  (3)海洋交易商人へ     

 第七章 メルッハとオフル    

  メルッハ           

  オフル            

  メルッハとマルワ       

  ヤーダヴァ族         

  ヤーダヴァ族の勢力      

 第八章 インド文化と祝祭    

  インド文化の醸成       

  アーリア人の侵入       

  アヴァアンティの種族     

  インドの祝祭         

  聖典とウパニシャット     

  六派哲学と王明学       

  (1)ヴェーダンタ派の思想  

  (2)インドの医薬学:医方明 

  (3)ヨガ          

  インドの神々          

  (1)ヴェーダの神々     

  (2)ブラーフマナ時代の神々 

  (3)叙事詩の神々 

 第九章 中国の祝祭と皇帝    

  三星堆の祭祀         

  (1)祭祀坑の遺物と宝貝   

  (2)中国の祝祭       

  (3)三星堆の遺物と信仰   

  (4)三星堆の奉祭種族     

  神農の世界           

  王帝と夏禹           

  青龍と西王母          

  黄帝と洪西

 第十章 天毒とセリカ      

  朝鮮と天毒          

  漢書の海洋交易網       

  インドの海洋交易商人     

  絹の産地            

  (1)書経「禹貢」      

  (2)韓半島の絹業      

  (3)倭の絹業        

  姑射と侲人           

  絹の産地セリカ         

  セリカ名の由来と遺称      

  セリカの愛人          

  韓と月支国           

  瓠公と月城           

  セレスと青龍          

 第十一章 日本に祝られたインドの神々

  相模:ドゥルガー・プージャーの里

  横山:医方明の山       

  古賀:小鳥信仰の山      

  大江戸:塩土老翁の鎮座地   

  八溝山:薬師信仰の山     

  紀伊:天神族の国       

  稲荷:黄金山信仰       

  (1)花山          

  (2)紀伊郡と紀氏      

  (3)稲荷山         

  インドラ神の影         

  (1)稲敷:大杉神社     

  (2)佐倉:麻賀多神社    

  (3)佐原:側高神社     

  埼玉・鹿島:剣持神の国

  (1)前玉神社        

  (2)香取神宮と鹿島神宮   

  (3)稲荷山古墳と稲荷神社  

  (4)稲荷名古墳と稲荷神社  

  (5)稲荷山古墳出土鉄剣銘文の氏族

  (6)大彦命の系譜      

  (7)阿部氏の「多」     

  (8)剣を地名とする国

 第十二章 大国主神と大物主神  

  大物主神           

  櫛瓺玉神           

  大物主神の神妃        

  大物主神の奉祭氏族      

  (1)登美族         

  大国主神           

  大国主神の奉祭氏族      

  (1)磯城氏         

  (2)物部氏         

  (3)出雲族         

  (4)都農神社        

  大穴持命と出雲        

  (1)熊野神社と来待神社   

  (2)恵曇と出雲        

  神坐日向神社と大三輪氏    

  瑞籬と三ッ鳥居        

  青垣と神社          

  天照大神と多氏・大三輪氏   

  神武天皇と富登多々良伊須須岐比売命

 第十三章 「倭人伝」狗奴国   

  倭人伝の国々         

  狗奴国            

  男王卑弓呼と孝霊天皇

 第十四章 牛頭と鹿頭      

  諏訪大社の「御頭」       

  古事記の御名方神       

  銅剣と荒神谷遺跡       

  宇屋谷と神代神社       

  (1)宇屋谷と宇夜都弁命   

  (2)神代神社と角間     

  (3)神代と諏訪大社     

  御名方神と御柱         

  (1)御名方神の字義     

  (2)御名方神と三方     

  (3)御名方神と「柱」    

  (4)水戸神

 第十五章 大黒柱と大己貴命   

  諏訪大社の「御頭」       

  東鯷国            

  大己貴命と「タカラ」

 終章 ヤハウェ神とインドラ神 

  「ヤハウェはインドのインドラに似ている」 マックス・ウェーバー

  箒(ははき)木は「智恵の木」                
     
                 
                                     

2013年4月23日火曜日

我が国の真の建国はいつ?だったか?



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録40:30頁

 《我が国の真の建国はいつ?だったか?
 「我が国の真の建国はいつ?だったか?

 太陽は天の中心に居て四方を照らす天照大(オ)神で、

 それに仕えるのが大女(ミ)神=女王。

 これが初期のウバイド信仰だったと解る。

 この村落の中心に神殿を置く思想は世界に広く広まった。

 キリスト教会もその伝統の後継者である。

 しかし経済発展と戦争と移住と開発とがその原則を崩して行き、

 教団は虚栄に傾いて本質を失い、その痕跡しか認められない。

 それは我が国も同じだが神殿数と普及率は世界第一である。

 これはキリスト教やイスラム教徒たちが

 勢力誇示のため大教会=大神殿を建て続けたためだが、

 我が国はそんな愚行に陥ることなく

 質素な神殿を村落に建てて伝統を守ってきた。

 これが倭人=ウバイドの本流が我が国である所以であり、

 それとともにスメラギやスべル=統べる、

 といった言葉も伝え続けてきたのである。

 こう見てくると、

 その本流を狂わせたのが、

 ソナカやウッタラの仏教宣布団だった。

 卑弥呼・壹與時代はその大変動期だったのである。

 相次ぐ倭国動乱が応神皇朝を生み、

 倭の五王の東征(神武東征譚の主体)によって、

 近畿までを版図に納めたのであって、

 今の天皇家の大和朝廷を『建国』とするなら、

 それは在来の通説よりも5世紀遅くなる。

 だが史実であるウッタラたちの大和朝廷なら、

 銅鐸発生期に遡り、

 殷商帝国を建国した時期を考えれば、3000数百年前、

 ウバイドなら8000年前に

 建国したという真実があるのである。


 《スメル(シュメール)文明

 「スメル(シュメール)文明
 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

 『My ブログ』
 スメル8千年
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」

 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏         

 《参考》
 世界史年表・地図
 日本史年表・地図
 古代史年表・地図
 オリエント史年表・地図
 メソポタミア史年表・地図
 大シリア史年表・地図
 小アジア史年表・地図
 ペルシア史年表・地図
 イラン史年表・地図
 インド史年表・地図
 西アジア史年表・地図
 "南アジア史年表・地図
 中央アジア史年表・地図
 北アジア史年表・地図
 東南アジア史年表・地図
 東アジア史年表・地図
 中国史年表・地図
 朝鮮史年表・地図
 ヨーロッパ史年表・地図
 ギリシア史年表・地図
 エーゲ海史年表・地図
 エジプト史年表・地図
 北アフリカ史年表・地図
 考古学ニュース
 装飾古墳
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

2013年4月22日月曜日

邪馬壹政権誕生とその位置の記録



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録40:29頁

 《邪馬壹政権誕生とその位置の記録
 「邪馬壹政権誕生とその位置の記録


 私(加治木義博)が手にした

 『潮干るの珠、潮満つの珠』は、

 「海幸・山幸J の主題宝器である。

 これは神話学者が神功皇后とは無関係な『神話』だとしてしまっていたが、

 その遺物の保管者である鹿児島神宮は、

 それを神功皇后の遺品として伝統していたのである。

 そして事件はまさに海から来た皇后軍が、

 山=姫木山に立て龍もった卑弥呼政権軍を負かして、

 壹與政権を樹立した。

 海幸が山幸=隼人を負かしたのである。

 これは『大隅正八幡縁起』にはオオヒルメが

 幼児八幡を連れて船で

 八幡崎(崎は漢音「キ」で沖縄音「チ」=ハマンチ)に着いたとある。

 これが品陀真若王で、その娘婿が応神天皇である。

 その皇居は

 軽の明の宮=鹿児(ル)の阿鹿児の宮=鹿児(ゴ)之国=鹿児島(神宮)なのである。

 倭の五王の応神王朝はここから出発し、

 東55 、西66 、海北95 の国々 を従えた後、

 倭王・武が 高市に入って、

 初めて大和朝廷が生まれた。

 在来の神武東征誤信に犯された大和説は、もう跡形も残らない。

 これでヤマタイ所在論争は終わるが、

 実際はこれでもまだ全てではないことを申し添えておいて、

 こうした発見が、

 さらに、

 これまで不明のままだった世界史の最古の謎に、

 決定的な答を出していることを結びとしておこう。

 それはウバイドの村落遺跡に常に存在した中央神殿の信仰の内容である。

 それはお気付きの通り、

 日=太陽を祭るものだったのである。


 《スメル(シュメール)文明

 「スメル(シュメール)文明
 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

 『My ブログ』
 スメル8千年
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」

 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏         

 《参考》
 世界史年表・地図
 日本史年表・地図
 古代史年表・地図
 オリエント史年表・地図
 メソポタミア史年表・地図
 大シリア史年表・地図
 小アジア史年表・地図
 ペルシア史年表・地図
 イラン史年表・地図
 インド史年表・地図
 西アジア史年表・地図
 "南アジア史年表・地図
 中央アジア史年表・地図
 北アジア史年表・地図
 東南アジア史年表・地図
 東アジア史年表・地図
 中国史年表・地図
 朝鮮史年表・地図
 ヨーロッパ史年表・地図
 ギリシア史年表・地図
 エーゲ海史年表・地図
 エジプト史年表・地図
 北アフリカ史年表・地図
 考古学ニュース
 装飾古墳
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

2013年4月21日日曜日

『女王の所都=邪馬壹国』は隼人町一帯



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録40:28頁

 《『女王の所都=邪馬壹国』は隼人町一帯
 「『女王の所都=邪馬壹国』は隼人町一帯


 鹿児島神宮が鎮座する字の名は「内(うち)」だから、

 ウチナ=沖縄からきた遷都を物語っている。

 大御神=卑弥呼を祭る伊勢神宮のある宇治山田の宇治は、

 このウチに対する当て字でウチと発音しなければいけない。

 これも卑引呼が鹿児島神宮の鎮座地と姫木山にいた証拠である。

 では壹與は卑弥呼の死後、女王になって何処に都を置いたのか?

 これがヤマタイ論争の究極の主題

 『女王の所都=邪馬壹国の所在』 なのである。

 『三国史記』にある壹與の「新羅本紀」の名乗りは赫居世だが、

 この居世は、重箱読みされたイセに対する当て字の一つであり、

 居西干=イセカンと号したとあるから

 「伊勢神=伊勢の大神」が彼女の名乗りで、

 卑弥呼の次の天照大神になったことが判る。

 そして彼女は徐那伐=ヨナバルを国号にしていたという記事があるから、

 沖縄の与那原で即位している。

 沖縄人だから、やはりウチナで、

 鹿児島神宮も伊勢神宮もどちらも彼女を祭っている。

 鹿児島神宮には彼女が神功皇后として鹿児島にやってきたときの遺物である

 「潮干るの珠、潮満つの珠」が神宝の中にあり、

 私は戦後すぐそれを計測し、写真に撮らせて頂いた。

 だから、

 壹與は間違いなく政変後は鹿児島神宮が鎮座する「内(うち)」に居た。

 張政が書いた『 女王の所都=邪馬壹国』の中心=皇居は、

 時間帯からみて、ここ以外にはあり得ないのである。


 《スメル(シュメール)文明

 「スメル(シュメール)文明
 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

 『My ブログ』
 スメル8千年
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」

 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏         

 《参考》
 世界史年表・地図
 日本史年表・地図
 古代史年表・地図
 オリエント史年表・地図
 メソポタミア史年表・地図
 大シリア史年表・地図
 小アジア史年表・地図
 ペルシア史年表・地図
 イラン史年表・地図
 インド史年表・地図
 西アジア史年表・地図
 "南アジア史年表・地図
 中央アジア史年表・地図
 北アジア史年表・地図
 東南アジア史年表・地図
 東アジア史年表・地図
 中国史年表・地図
 朝鮮史年表・地図
 ヨーロッパ史年表・地図
 ギリシア史年表・地図
 エーゲ海史年表・地図
 エジプト史年表・地図
 北アフリカ史年表・地図
 考古学ニュース
 装飾古墳
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

2013年4月20日土曜日

ウバイドから生れた国名が語る遷都史



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録40:27頁

 《ウバイドから生れた国名が語る遷都史
 「ウバイドから生れた国名が語る遷都史


 この「日=ヒ」はヒンドという国名に気付かせる。

 これは私達の先祖の言語なのだから、

 「ヒンド=日の土地」で、

 日の国よりも大きな地域名になる。

 これもヒ=シ、ヒ=イという日本語の方言と同じ変化をもち、

 シンドウ、インドという亜大陸名になっているのを見る。

 またさらに、これは我が国でポセイドンを百済と出水or 出雲に二分割して、

 国名・地名を造ったように、

 ウバイドを二分してウバ=ウワ=上・倭に、

 イドは「イ土=イの土=インド」としたものを、

 前半を倭国、後半をインドや殷として使ったものと見て間違いない。

 これはウバイドからの移動コースが、

 インドを通ってインに着いたこと、

 それらの国は倭が上位で、

 倭人=ウバイドの移動と発展にっれて次第に分かれたことが、

 その名から読みとれる。

 すると沖縄地区がウル国(マ)と高の国=狗奴(クの)国に別れていたことは、

 復元すれば「ウルク」が語源だから、

 沖縄へきたカルデア人はウルク出身だったという詳細まで判る。

 さらに殷もまた「イン=ヒン=日の」国だったことに気付かせてくれる。

 太陽は神そのものであり、

 その分身は火だから、

 『令亀の法』によって亀の甲羅を焼くのも、

 その神の知恵で幸運に導いてくれると信じていたのである。

 これは我が国では日も火もどちらも「ヒ」と呼んで

 区別しないのと全く同じ意識状態の、

 太陽崇敬文化が根底にあったからである。


 《スメル(シュメール)文明

 「スメル(シュメール)文明
 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

 『My ブログ』
 スメル8千年
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」

 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏         

 《参考》
 世界史年表・地図
 日本史年表・地図
 古代史年表・地図
 オリエント史年表・地図
 メソポタミア史年表・地図
 大シリア史年表・地図
 小アジア史年表・地図
 ペルシア史年表・地図
 イラン史年表・地図
 インド史年表・地図
 西アジア史年表・地図
 "南アジア史年表・地図
 中央アジア史年表・地図
 北アジア史年表・地図
 東南アジア史年表・地図
 東アジア史年表・地図
 中国史年表・地図
 朝鮮史年表・地図
 ヨーロッパ史年表・地図
 ギリシア史年表・地図
 エーゲ海史年表・地図
 エジプト史年表・地図
 北アフリカ史年表・地図
 考古学ニュース
 装飾古墳
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

2013年4月19日金曜日

官名の「ヒ」はウバイドの太陽崇拝から



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録40:26頁

 《官名の「ヒ」はウバイドの太陽崇拝から
 「官名の「ヒ」はウバイドの太陽崇拝から


 それなら「東の長官」も居なければならない。

 すると卑弥呼はヒムカで日向ではないか?という仮説に思い至る。

 卑弥呼はカールグレンに拠れば「ピーミヤルグァ=日見やる子」である。

 さらに卑弥弓呼素という狗奴国王の名乗りもある。

 これはヒミカンゴソと読むと日向の御祖か日見神御祖であり、

 これを沖縄語と見て鹿児島語になおすとヒミカンはヒメカンで姫神になる。

 このうちどれが正しいのか?

 同じ「卑」のつく官名に「卑奴母離」がある。

 この母は漢魏音では「ボ」だからヒノボリ=日昇りとしか読めない。

 これは日が昇るのを見張る役(計時官)か、

 日の出から任務につく官を意味する。

 これは日見子の代官として必須の役目である。

 するとそれより上位の長官の「卑狗」の卑も日であって、

 ピクはヒコ=日子の沖縄訛りで、

 シュメル(スメル)語の測量単位名=測量権保有者=領主の代名詞だった

 「ピク」と複合したことになる。

 こう理解できると『隋書』に書かれた

 倭王が天を兄、日を弟とし、

 日の出に執務をやめて「あとは弟(日)に委せよう」と言った真意もよく解る。

 国の運命は太陽に任せるしかないというのである。

 これはウバイドの水耕農業発明以降の、海運、漁業。スサの植林。

 カリエンの貝貨産業といった経済基盤が、

 全て太陽に依存しているからであり、

 それは殷と日立の関係も、

 日の国の名も、

 卑弥呼以下の日のつく名も

 全てを説明し尽くす。


 《スメル(シュメール)文明

 「スメル(シュメール)文明
 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

 『My ブログ』
 スメル8千年
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」

 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏         

 《参考》
 世界史年表・地図
 日本史年表・地図
 古代史年表・地図
 オリエント史年表・地図
 メソポタミア史年表・地図
 大シリア史年表・地図
 小アジア史年表・地図
 ペルシア史年表・地図
 イラン史年表・地図
 インド史年表・地図
 西アジア史年表・地図
 "南アジア史年表・地図
 中央アジア史年表・地図
 北アジア史年表・地図
 東南アジア史年表・地図
 東アジア史年表・地図
 中国史年表・地図
 朝鮮史年表・地図
 ヨーロッパ史年表・地図
 ギリシア史年表・地図
 エーゲ海史年表・地図
 エジプト史年表・地図
 北アフリカ史年表・地図
 考古学ニュース
 装飾古墳
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状