2013年4月2日火曜日

大和説誤信の元凶『箸墓』と張政の知識



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録40:9頁

 《大和説誤信の元凶『箸墓』と張政の知識
 「大和説誤信の元凶『箸墓』と張政の知識


 この事実は、「邪馬壹国」という名を記録したのは、

 その国の誕生当時に伊都に駐在していた張政だということを確認させた。

 それ以前にはなかった国であり、国名なのだ。

 これは邪馬台国論争に決定的な判決を下して、再論の余地はない。

 もう一つの大和説の拠り所は箸墓の存在である。

 その墓を卑弥呼=百襲姫が奈良に居た証拠だと考え、

 当然そこはヤマトと呼ばれていたのだから

 「邪馬臺(ト)」と書かれていなければならない。

 「邪馬壹」は絶対に間違いだ! と信じて疑わなかったからである。

 だが現実に郡使として伊都に滞在して邪馬壹国の誕生を眼のあたりにした張政は、

 水行十日と明記して八代からが女王国だと報告した。

 彼ははるか東の奈良なんか知りもせず、またヤマトなどという地名も実在しなかった。

 あったのは彼の滞在の末期に新たに生まれた、

 殺馬、位宮、壹與、伊支馬などの名の元になった領土「壹国」が、

 女王国を意味する方言に当て字された「邪馬(ジオマ)」と結びついた

 生れたての「邪馬壹」という新しい国名だけだったのである。

 どこからみても邪馬臺国も、奈良の卑弥呼女王国も、絶対に存在し得ない。

 では大和説を生み、

 強く支えたかに見えた誤認悲劇の元凶

 「箸墓」とは一体?何なのか?

 これにも動かない完全な結論を出しておく必要がある。


 《スメル(シュメール)文明

 「スメル(シュメール)文明
 《パーリ語辞典
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