2013年4月5日金曜日

都は卑弥呼の2都と壹與の邪馬壹との3都



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録40:12頁

 《都は卑弥呼の2都と壹與の邪馬壹との3都
 「都は卑弥呼の2都と壹與の邪馬壹との3都


 これで張政が八代を女王国と報告した事実が確定した。

 その八代の南、陸行1 カ月の地に、卑弥呼の死後、邪馬壹国が誕生したことも確定した。

 だがこの問題はこれで終わりではない。

 梯儁が正始元年に倭国に詣り、

 女王卑弥呼に拜仮=面接して魏帝の詔書と贈り物を手渡している。

 彼はどこで卑弥呼と会ったのか?

 彼は郡使の一人だから伊都国に駐ってそれ以遠には行かない。

 だから伊都で会つたのである。

 梯儁は、正始元年には伊都が女王国だったと報告し記録したのである。

 卑弥呼が都していたのは、伊都であって奈良でないことが明確に書かれている。

 仮に卑弥呼の都が邪馬臺国という名だったなら、

 それを伊都国と書くことは絶対にないから、

 卑弥呼は絶対に邪馬基の女王ではない。

 大和説はこれでも成立しない。

 『女王の所都』

 また邪馬壹国は女王の所都だと書いてある。

 その都が何故?不明だと思ったのかがこれで判った。

 それは二人の郡使が書いた記録は真実だが、

 女王も所都も、あっという間に移動し、変り、改名してしまったのに、

 その別々 の記事を一人の筆者が書いた記事だと錯覚した連中が、

 筆者の異なる記事を分類することさえできずに、

 女王の所都はーか所だと思い込んで都は邪馬臺で大和で奈良だと主張した。

 この無知きわまる説が大和説なのだ。


 《スメル(シュメール)文明

 「スメル(シュメール)文明
 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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 『言語復原史学会:画像』 
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