2013年4月21日日曜日

『女王の所都=邪馬壹国』は隼人町一帯



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録40:28頁

 《『女王の所都=邪馬壹国』は隼人町一帯
 「『女王の所都=邪馬壹国』は隼人町一帯


 鹿児島神宮が鎮座する字の名は「内(うち)」だから、

 ウチナ=沖縄からきた遷都を物語っている。

 大御神=卑弥呼を祭る伊勢神宮のある宇治山田の宇治は、

 このウチに対する当て字でウチと発音しなければいけない。

 これも卑引呼が鹿児島神宮の鎮座地と姫木山にいた証拠である。

 では壹與は卑弥呼の死後、女王になって何処に都を置いたのか?

 これがヤマタイ論争の究極の主題

 『女王の所都=邪馬壹国の所在』 なのである。

 『三国史記』にある壹與の「新羅本紀」の名乗りは赫居世だが、

 この居世は、重箱読みされたイセに対する当て字の一つであり、

 居西干=イセカンと号したとあるから

 「伊勢神=伊勢の大神」が彼女の名乗りで、

 卑弥呼の次の天照大神になったことが判る。

 そして彼女は徐那伐=ヨナバルを国号にしていたという記事があるから、

 沖縄の与那原で即位している。

 沖縄人だから、やはりウチナで、

 鹿児島神宮も伊勢神宮もどちらも彼女を祭っている。

 鹿児島神宮には彼女が神功皇后として鹿児島にやってきたときの遺物である

 「潮干るの珠、潮満つの珠」が神宝の中にあり、

 私は戦後すぐそれを計測し、写真に撮らせて頂いた。

 だから、

 壹與は間違いなく政変後は鹿児島神宮が鎮座する「内(うち)」に居た。

 張政が書いた『 女王の所都=邪馬壹国』の中心=皇居は、

 時間帯からみて、ここ以外にはあり得ないのである。


 《スメル(シュメール)文明

 「スメル(シュメール)文明
 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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 『言語復原史学会:画像』 
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