ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年4月29日月曜日
ははき木(5)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:4頁
はじめに:ははき木(5)
さて、この shiken / shikin の原語を追求したところ、
インドの古代言語サンスクリット語 sikhin に由来するのが結論で、
その意味は「智恵」である。
また「智度」は同じくサンスクリット語の citta の音写で智恵を表す。
さらに智恵、智識を表す用語として jñana があり、
これこそ「シナノ」へ転訛した言語で、
科濃の呼称の大元が阿智村智里であると述べた理由である。
阿智神社の東を流れる川の名が梨子野川で、北方に梨子野山がある。
また、阿智村の北に清内路村がある。
この二つの地名は jñana の転訛であり、
「シナノ」名を補足するものである。
ところで、
サンスクリット語を祖語とする用語が神名に付されているのは、
仏教が渡来し、
本地垂迹説が広がり影響した後の名称ではないかとの疑問が起こってくる。
その妥当ではないことは、記紀の成立年代を考慮すれば明白になる。
古事記は712年、
日本書紀は720年に本地垂迹説が広がり始めるより
100年余り前のことである。
《Key Word》
科濃・信濃
梨子野川
梨子野山
阿智村智里
清内路村
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