2013年4月18日木曜日

伊都の長官「爾支」の真意は?



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録40:25頁

 《伊都の長官「爾支」の真意は?
 「伊都の長官「爾支」の真意は?


 すると伊都を管轄していた長官の「爾支」とは、

 「三国史記」の「新羅本紀」の尊称である尼師今(ニシキン)で、

 それは「主君・ヌシキミ」の訛りで、

 「主」をアルジと読むのも、

 「爾支」の中国読みの「アルヂ」だと、

 すでに判っているのだから、

 爾支は尼師で「主」である。

 新羅本紀は、

 13 歳で即位した

 赫居世(カグイヨ=鹿児・壹與=壹與=神功皇后2) から始まり、

 そのときの新羅は開聞であり白日の国だから、

 薩摩と福岡であるし、

 朝鮮半島は北の高句麗から南の帯方、三韓まで

 位宮と卑弥呼=神功皇后1 の支配下にあったのだから、

 この名ももちろん倭人語=日本語である。

 すると「ニシ」は「西」でもある。

 沖縄語では西は「イリ」だから「入・伊理」とも書く。

 『記・紀』の崇神天皇と垂仁天皇との皇子女名についている、

 これらの「イリ」はこの爾支と尼師今と同じものなのである。
 
 ではそれは「入王朝」と呼ぶような異質の外来政権だったのであろうか?

 この長官名は伊都国のものだが、そこは直後に不弥に変わった。

 不弥と一対になる国は不呼国で、これは日向でもあった。

 そこは文字通り日に向かい、それを古体でフリ仮名すると「ヒムカヒ」で、

 語尾のヒをシと訛ったものが「ヒムカシ=東」である。

 すると「爾支=西」と完全な対語になっている。

 これが東西の国を区分する名詞なら、

 爾支は西の長官という官名でもある。


 《スメル(シュメール)文明

 「スメル(シュメール)文明
 《パーリ語辞典
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 『言語復原史学会:画像』 
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