2013年2月9日土曜日

聖徳太子=ウバイド皇子 対 ニップル体制



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録38:13頁

 《聖徳太子=ウバイド皇子 対 ニップル体制
 「聖徳太子=ウバイド皇子 対 ニップル体制

 天武天皇の幼名が大海人=ウバイドだったことの発見は、

 本講の大きな成果だが、

 これを聖徒太子の幼名=厩戸と比較してみると、

 さらに面白いことが判る。

 ローマ字書きにしてみると

 Umayado で、

 Ubayd と比較すると、

 U=大、ma=馬、ba=馬、yado=ydだから

 二人とも元は同じ名乗りの

 「ウバイド皇子」だったのである。
 
 ただ当て字が違っているだけなのだ。

 こう判ると語源はウバイドだから、

 厩戸が本当の当て字で、これをウマコと読み変えて、

 小馬鹿にした当て字が「馬子」だったことが判る。

 すると全く同時存在の同名のもう一人、

 (蘇我)馬子は、聖徳太子その人を二重に表現した架空の人物だったことが、

 正常な頭脳の持ち主なら誰にでも確認できる。

 天智の大化改新の真の目的は、

 女帝が君臨してきたウバイド体制を、

 男帝制のニップル体制に大化することだったのである。

 しかしそれは大海人=ウバイド皇子にすぐ倒されてしまった。

 だが虎視耽々と隙を狙っている唐に、

 内紛の実情が暴露することを避けて、

 すでに知られてしまっている日本への改名は倭へ戻すことができなかった。

 こうして天智の陰謀は日本という新しい国名を生み出しただけの小化に終ったが、

 それをキッカケに内政の見直しが始まり、

 実質的には聖徳太子の改善を、

 より上回る近代的律令国家として、

 急速に整備されていくことになったのである。

 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

 『My ブログ』
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」

 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏         

 《参考》
 世界史年表・地図
 日本史年表・地図
 古代史年表・地図
 オリエント史年表・地図
 メソポタミア史年表・地図
 大シリア史年表・地図
 小アジア史年表・地図
 ペルシア史年表・地図
 イラン史年表・地図
 インド史年表・地図
 西アジア史年表・地図
 "南アジア史年表・地図
 中央アジア史年表・地図
 北アジア史年表・地図
 東南アジア史年表・地図
 東アジア史年表・地図
 中国史年表・地図
 朝鮮史年表・地図
 ヨーロッパ史年表・地図
 ギリシア史年表・地図
 エーゲ海史年表・地図
 エジプト史年表・地図
 北アフリカ史年表・地図
 考古学ニュース
 装飾古墳
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

0 件のコメント: