2013年2月22日金曜日

「倭」の字が語る国体と殷との関係



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録38:26頁

 《「倭」の字が語る国体と殷との関係
 「「倭」の字が語る国体と殷との関係


 では、殷が首都になったのか?。

 それとも首都は日本列島にあって、

 殷は植民地にすぎなかったのかを考えてみよう。

 それに答えてくれるのは殷(イン)と倭人(ウワイト)という二つの国名である。

 この二つの国名はどちらも中国の文字で表現したものである。

 この文字は普通「漢字」と呼ぶが、原形は殷の時代に考案された。

 それがスメルの楔形文字エジプトの象形文字とに

 多くの一致点をもっているので、

 殷文明のルーツはどこか、早くから判っていた。

 ウバイドに対する当て字だと解っている

 「倭人」を分析してみると、

 倭の、旁(つくり)の委は、

 上の「禾」は、稲や稗や黍や麦などの、

 穂が出て穀物を実らせる禾本科植物を意味し、

 下の「女」は、それを栽培し、それで食事を作って、管理している、

 のが「女」だという特徴を示している。

 そしてこの場合は人扁(にんべん)は人種を意味しているから、

 女性支配の農業国の名になる。

 それは最初からウバイドの国を意味していたのである。

 それなのに何故?それは殷でなく、

 わが国の名になったのであろう?。

 いや<委>も<倭>も初めは、旁(つくり)の音で「イ」だったのである。

 「イン=倭の」だったのだが、

 「豊か」といういい意味のイン=殷の字に変えたのだ。

 そして「倭」の字の発音は「イ」でなく「ウワイ」に変わった。

 これは我が国の国名がウワイトと呼ばれていたから、

 当て字の発音もそれに従って変わったのだ。


 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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 『言語復原史学会:画像』 
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