ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年2月22日金曜日
「倭」の字が語る国体と殷との関係
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録38:26頁
《「倭」の字が語る国体と殷との関係》
「「倭」の字が語る国体と殷との関係」
では、殷が首都になったのか?。
それとも首都は日本列島にあって、
殷は植民地にすぎなかったのかを考えてみよう。
それに答えてくれるのは殷(イン)と倭人(ウワイト)という二つの国名である。
この二つの国名はどちらも中国の文字で表現したものである。
この文字は普通「漢字」と呼ぶが、原形は殷の時代に考案された。
それがスメルの楔形文字とエジプトの象形文字とに
多くの一致点をもっているので、
殷文明のルーツはどこか、早くから判っていた。
ウバイドに対する当て字だと解っている
「倭人」を分析してみると、
倭の、旁(つくり)の委は、
上の「禾」は、稲や稗や黍や麦などの、
穂が出て穀物を実らせる禾本科植物を意味し、
下の「女」は、それを栽培し、それで食事を作って、管理している、
のが「女」だという特徴を示している。
そしてこの場合は人扁(にんべん)は人種を意味しているから、
女性支配の農業国の名になる。
それは最初からウバイドの国を意味していたのである。
それなのに何故?それは殷でなく、
わが国の名になったのであろう?。
いや<委>も<倭>も初めは、旁(つくり)の音で「イ」だったのである。
「イン=倭の」だったのだが、
「豊か」といういい意味のイン=殷の字に変えたのだ。
そして「倭」の字の発音は「イ」でなく「ウワイ」に変わった。
これは我が国の国名がウワイトと呼ばれていたから、
当て字の発音もそれに従って変わったのだ。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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