2013年2月2日土曜日

スサの方言差国名が語るスサ文明の歴史



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録38:6頁

 《スサの方言差国名が語るスサ文明の歴史
 「スサの方言差国名が語るスサ文明の歴史

 名詞が重要な例として、大学院講義録37:17頁の

 国名・<エリヅ>が<エレチ>になり、

 神名が<エンヒル>から<エンキ>になり<アヌ>になった理由を、

 ここでお話ししておこう。

 こうしたことは従来、

 それらがまさか日本語で読めるなどと思いもせず、

 注目した者もいなかった。

 だがこうした国名や神名の変化が、

 実に重要な歴史を教えてくれたからである。

 <エリヅ>が<エレチ>になったのは、

 <リ>と<レ>はどちらもラ行、<ヅ>と<チ>はどちらもタ行で、

 方言差だとわかる。

 これは一つの集団が二つに分裂して、

 少し方言差のある土地に移ったために、

 前の名とは違った名詞が生れて、

 それが新しい国の国名になったのだと判るから、

 この2国の政権の指導者は、

 そんなに縁遠い人たちではなく、もとは同族だったことがわかる。

 するとその移住は少しずつ広がって行ったものが、

 言葉に地域差ができる程の時が過ぎたあと、

 人口が充実して、新たな一国として組織化されたのだと解る。

 これをさらに細かく検討してみると、

 <リ>と<レ>の違いは

 沖縄の3母音語は<リ>、

 鹿児島の5母音語は<レ>で、

 <チ>と<ヅ>は「津」を<チ>と読むのは沖縄語だが、

 <ヅ>と読むのはどこか?という問題になる。

 宮崎には島津(しまづ)の庄という古代地名があったから、

 津を<ヅ>と発音している。

 スメルの2大河は、

 沖縄と宮崎間の海にも似た距離感をもっていたことが読み取れる。

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

 『参考』
 『言語復原史学会:Web』
 『言語復原史学会:画像』 
 『言語復原史学会:画像』

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 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
 装飾古墳

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