ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年2月13日水曜日
九州から関東までの遷都の道筋
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録38:17頁
《九州から関東までの遷都の道筋》
「九州から関東までの遷都の道筋」
このことは何を私たちに教えてくれるのか?。
ウバイドの伝統は「遷都」にあったのだから、末盧と伊都になる前は、
そこがウバイド=倭人の都だったということである。
それが国名を二分して、馬津国と伊都国とに分割されているのだから、
どこかへ遷都した跡だけになっている。
ここでもう一度『風土記』を読み返してみると、
『播磨の国風土記』の「宍禾(しさわ)郡」の中に、
宇波良(ウバラ)という村名と、表戸(ウハト)という地名がある。
宇波良はウバ国のこと、表戸はウワ人で、漢音で読むと「ヒョウゴ」。
播唐の国の後身が現在の兵庫県であることに合う。
しかし九州北部から直接、兵庫県へ遷都したのでないことは、
国名の播磨が数えている。
私たちは既に播磨がハリ国であり、
それは『魏書倭人章』中の旁国・巴利国=隼人町が拡大移動した後だと知っている。
九州北部のウバイドは、九州南部の隼人に遷都し、
その後、兵庫県へ遷都したのだと判る。
それだけでなく、
ウバラは「茨」だから、茨木は「ウバ国王(ラキ)」で、茨城も同じだ。
大坂府の茨木へ遷り、さらに関東へ行ったのである。
そのコースも伊勢の鳥羽から伊豆へ海上を進み、
さらに千葉の夷隅郡に行き、茨城に落ち着いたことは既に見た。
倭人の国名、地名は奈良時代以後、徹底的に消された。
それなのにこんなに残っているのである。
《スメル(シュメール)文明》
「スメル(シュメール)文明」
《パーリ語辞典》
「パーリ語辞典」
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『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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