2013年2月13日水曜日

九州から関東までの遷都の道筋



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録38:17頁

 《九州から関東までの遷都の道筋
 「九州から関東までの遷都の道筋

 このことは何を私たちに教えてくれるのか?。

 ウバイドの伝統は「遷都」にあったのだから、末盧と伊都になる前は、

 そこがウバイド=倭人の都だったということである。

 それが国名を二分して、馬津国と伊都国とに分割されているのだから、

 どこかへ遷都した跡だけになっている。

 ここでもう一度『風土記』を読み返してみると、

 『播磨の国風土記』の「宍禾(しさわ)郡」の中に、

 宇波良(ウバラ)という村名と、表戸(ウハト)という地名がある。

 宇波良はウバ国のこと、表戸はウワ人で、漢音で読むと「ヒョウゴ」。

 播唐の国の後身が現在の兵庫県であることに合う。

 しかし九州北部から直接、兵庫県へ遷都したのでないことは、

 国名の播磨が数えている。

 私たちは既に播磨がハリ国であり、

 それは『魏書倭人章』中の旁国・巴利国=隼人町が拡大移動した後だと知っている。

 九州北部のウバイドは、九州南部の隼人に遷都し、

 その後、兵庫県へ遷都したのだと判る。

 それだけでなく、

 ウバラは「茨」だから、茨木は「ウバ国王(ラキ)」で、茨城も同じだ。

 大坂府の茨木へ遷り、さらに関東へ行ったのである。

 そのコースも伊勢の鳥羽から伊豆へ海上を進み、

 さらに千葉の夷隅郡に行き、茨城に落ち着いたことは既に見た。

 倭人の国名、地名は奈良時代以後、徹底的に消された。

 それなのにこんなに残っているのである。

 《スメル(シュメール)文明
 「スメル(シュメール)文明

 《パーリ語辞典
 「パーリ語辞典

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 『言語復原史学会:画像』 
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