2009年7月31日金曜日

伊都からは「放射状読み」以外にない

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:4頁

 伊都国に次ぐ奴・不弥・投馬・邪馬壹の記事は

 伊都を起点として放射状に読むしかなく、

 連続して通過するのではないと決定した。

 伊都は今の牛津以外にないから、

 その東は到底、水行できない陸地ばかり、

 それでも東へ行くのだと主張する人は、頭脳を疑われる。

 また水行10日の距離は九州を出ず、

 その後1 カ月歩いて行けるのは四国の西半分止まりで到底、

 奈良へは行けない。

 これひとつだけでも「大和説」は既に壊減してしまっている。

 また邪馬壹国への行程の細部をみても

 「水行10日、陸行1月」は、

 始めの郡からの行程説明

 「到~狗邪韓国~渡一海千余里」のような到着点の国名がなく、

 「水行10日〈または( or ) 〉陸行1 月」といった

 OR に当たる言葉「亦、或」もないから、

 「水行10 日+(プラス)陸行1 月」で○○に着く」という文章である。

 船で20日の距離は九州南部の西岸で、

 投馬=殺馬=薩摩= 川内・宮之城(面土国)あたりだと判っているのだから、

 10日はその半分、真南に走る幹線道路の起点「八代」がぴったりの所にある。

 ここには河童が上陸したという伝承があり、碑も建てられている。

 オリエントのカッパドキア人も連想させられて、

 そこが古来の重要ポイントだったことを証言している。

 距離、方向、重要コースの起点という地理条件から伝承までを兼備した、

 このコースに勝る考証は、他には全く考えられない。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年7月30日木曜日

大和説を生んだ『連続読み』の欠陥

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録40:3頁

 「邪馬臺国は九州か大和か」という

 「所在」 を明記した「決め手記事」が、

 『 魏書倭人(ウワイト)章』の中に40以上もあり、

 そのことごとくが南九州を示しており、

 またそれを傍証する記事が

 『記・紀』にもあることはご納得戴いたと思うが、

 まだ全部を検証し尽くしたわけではなく、

 最も重要なものが残っており、

 『三国史記』にも補強する記事があるので、

 それらを省略したままでは後でお叱りを受ける。

 先ず『 倭人(ウワイト)章』の、

 その補足からお話しして行こう。

 「連続読み」完全消滅

 原文は「南 至 奴国 百里」と書いてある。

 「南へ行けば奴国に着く。そこまで百里ある」だが、

 これは単に「南に奴国が在る」ではなくて、

 「伊都国から何処も経由せずに直行できる」という意味である。

 途中他の国を経由するのなら前の韓国の様に


 「○国を歴(へ)て」と書く。

 なのに「大和説」は

 「伊都から奴へ行き不弥へ行き投馬へ行き、

  更に東に行くと邪馬壹国に着く」

 と読むという。

 それなら

 「歴奴、歴不弥、歴投馬、到邪馬壹国」

 と書いてなければならないのに、それがない。

 だがこれを抜きにしても「大和説」式の連続読みでは、

 既に解決済みの「投馬=薩摩」から、

 南へ十日も船で行って上陸した後、更にーカ月陸行して、

 やっと都市に着くような大きな陸地は奄美にも沖縄にもない。

 「連続読み」は全滅で、

 それが唯一の拠り所だった「大和説」の復活は、

 もう絶対にない。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年7月29日水曜日

神道を崩壊させる邪馬台国大和説

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:30頁

 縦横がほぼ同じで、

 西と南は大海、

 東と北は大きい山が国境だという。

 これに合う土地は日本列島全体を見ても、

 鹿児島県一カ所しかない。

 新舊の両唐書は「小国・日本」は鹿児島県にあったと、

 それぞれ別の証拠を挙げて説明しているのである。

 唐は7世紀に出来た国だが新旧の『唐書』は、

 倭国はまだ四国にあると思っていて、

 奈良の大和朝廷を知らないし、

 『隋書』の記事も四国に都があったとしか読めない。

 奈良の大和朝廷は4世紀に鹿児島から出発した

 「倭の五王」が

 天草、宇佐、四国、淡路、紀伊、和泉、河内と拡大を続けて、

 倭王・武=雄略天皇に至って、

 初めて奈良の高市を確保したが、

 それが真の大和朝廷の誕生であることを

 各天皇の合理的な首都地名の名乗りが精密に証明している。

 この事実を寓話化したものが『淡路島国生み』だとしなければ

 『記・紀』は嘘の塊りに過ぎないことになり、

 それでは淡路島にある伊弉諾神宮などは、

 詐偽のための偽物だという烙印を押されてしまう。

 3世紀に奈良に邪馬台=大和朝廷があったと主張する

 「大和説」は、

 我が国の神道を初め、

 素朴な神社崇敬までも、

 根拠のないウソ記事に満ちた『記・紀』を

 迷信させる賽銭詐取犯罪だということにしてしまい、

 その大本である天皇家まで、

 嘘で固めた醜悪な支配者に見せてしまう。

 そんなに罪深く浅薄な思い付き説、

 それが『邪馬台国大和説』なのである。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm 
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年7月28日火曜日

『唐書』の倭国は四国、日本は鹿児島

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:29頁

 『奈良の北の国「略載」?』

 また『魏書倭人(ウワイト)章』には

 「女王国以北は略載できるが」という、

 旁国の前書きがあるから、

 大和説だと奈良の北の国々が略載してなければならないが、

 奈良の北の京都、福井の記事は全くない。

 略載してあるのは対馬から殺馬までの九州の国だけだ。

 「いや女王国『以西』の国々だ」といっても

 大阪、兵庫、鳥取、島根、岡山、広島、山口の

 各府県のものも一つも書かれていない。

 その理由は『新唐書』の日本の章末が説明している。

 そこには

 「邪古(ヤク)、波邪(ハヤ)、多尼(タネ)の三小王有り」と書いてあった。

 これが本州を含む日本列島のことで小王とは

 屋久島のような島の王だとすると、

 まだまだ隠岐の島や佐渡が島、淡路島、天草、五島列島などの大きい島の他にも、

 瀬戸内海の沢山な島々や伊豆諸島などが書かれていなければならない。

 それなのに屋久島、隼人、種子島の、

 鹿児島県の僅かな地名しか挙げられていない。

 これは初唐時代の小国・日本が、鹿児島県にあった証拠である。

 そこで『舊唐書』を見ると、

 その記録は

 「大国・倭国と、小国・日本国」

 との二本だてになっていて

 「倭国は東西五月行、南北三月行」とある。

 東西が長く、南北が短い。

 これは四国以外は考えられない地形である。

 それに続いて

 「日本は舊小国…その国界、東西も南北も各数千里。

  西界南界みな大海に至り、東界北界は大山を限りとなす」

 とある。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年7月27日月曜日

40を超える大和説壊滅の証拠群

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:28頁

  ここで先に概算した後、

 確認したものを約20として

 「大和説は間違いだ」と判る記事が

 『倭人章』にどれ程あるか、リストアップして、まとめてみよう。

 34 「倭地温暖冬夏生薬を食す」 

     これは南九州のことで、当時の奈良の冬には不可能。

 35 「皆 徒洗=裸足」

     高地で厳寒の奈良では冬はとても裸足では暮らせない。

 36 「女王国の東 渡海千里 また国あり」

     奈良の東には海はない。

 37 「侏儒国その南にあり。女王を去る四千余里」

     奈良の南四千余里には島国はない。

 38 「其東南 船で一年で至るべし」

     奈良からは船は出せない。

 39 「倭地は海中洲島の上にあり周旋五千余里ほどだ」

     奈良は陸地に囲まれれていて、

     とても海の中の島の上にあるなどとは感じないし、

     その周囲を五千余里ほどだとか、

     一周できると想像するような環境ではない。
 
    これは九州の描写に間違いない。

 40 「梯儁ら 倭国に詣り 倭王に拜假」

     郡使は伊都までしか行かないのだから

     倭王に会った場所は伊都以外にない。

     外出すらせず、見た者の少ない老齢の卑弥呼が
 
    奈良から駆け付けたのなら、

     それを詳細に誇らしげに報告するのが必然なのに、

     そんな肝腎な報告がないのは、

     女王国が九州にあったことの動かぬ証拠なのである。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年7月26日日曜日

学説論争でなく価値実力を示す資格試験

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:27頁

 こうしたことは、

 『倭人章』が『記・紀』と

 密接に関連している事実を疑わせない。

 だが例えばこの倭彦命を葬った陵が、

 身狭の桃花鳥坂(つきさか)にあり、

 それは奈良県高市郡の地名だと解説する本が、

 権威あるものとして今なお使われている。

 これをそのまま記憶した人々は、

 高市にある古墳をその証拠だと思い込む。

 それでは『垂仁紀』は大和説の証拠にしかならないが、

 ご確認いただいたように、

 『倭人章』は、

 完璧に大和説を否定していて容認する余地はない。

 これは『記・紀』が真実を曲げているためで、

 それは無知のためだけではなく、

 例えば神武東征の創作といった小細工が、

 かなりの量、混じっていることはすでに確認済みである。

 いまの私たちは、

 明治から昭和前半にかけての、

 過剰防衛狂騒時代の日本人を批判し、

 人道的グローバル時代の先導者として、

 人類全体から信頼され、

 世界から野蛮な対立抗争を取り除く実力者として認められてこそ、

 この時代に生まれてきた甲斐があるのである。

 面倒なこの講座を根気よくご購読戴いているのも

 その為だと拝察して、

 ご期待に沿おうと、懸命に努めてきた御蔭で、

 ここまで史実が解明できたのである。

 だから大和説は、

 許容できない悪説だということを、

 全世界の人々に熟知してもらいたい。

 これは、ありきたりの学説論争ではない。

 日本人の価値実力を示す資格試験なのである。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年7月25日土曜日

『記・紀』が立証する邪馬壹国実在

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:26頁

 しかし卑弥呼時代には壱岐と一大率の名だった「イチ」が、

 壹與時代になると、

 邪馬国と一緒になって『邪馬一国』という君臨国名になり、

 13歳の少女が「壹與=一女王」と呼ばれて倭人に君臨し、

 筆頭官も伊支馬と呼ばれ、

 それは『古事記』に

 「伊久米伊理毘古伊佐知命」とある「伊久米」に合い、

 『日本書紀』の「活目入彦五十狭茅尊」の「活目」にも合う。

 これは『記・紀』がどう書かれたかを、正確に教えてくれる。

 イチに活(イキ)を当て字しているからイチは沖縄、

 それをイキと発音するのは本土語で、

 3世紀には沖縄語が話されていたのだが、

 『日本書紀』の編集者は

 伊支馬をイキマと読んでしまって「活目」と当て字し

 『古事記』の編集者は

 その名に「伊久米」と当て字した。

 これはイキウマと読み、

 理由は位宮が

 「生き馬の眼を抜く」という諺を生んだ人物だからだ、

 という考え方と、

 いや「伊久米」は「生き埋め」と読むのだ、

 という考えが対立したことが考えられる。

 それは卑弥呼の

 「殉葬者 奴婢百余人」を生き埋めにしたという記事が、

 『垂仁紀』にも倭彦命を葬った際に、

 その近習を全部、

 陵域に生き埋めにしたと書いてあるからである。

 倭彦命は天皇の弟だと書いてあるが、

 殉葬者を生き埋めにしたことに変わりはない。

 またそれがスメルのウル女王墓にも見られる慣習だったことも、

 ルーツを立証する貴重な史実で、見過せない。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年7月24日金曜日

「女王国以北」の「一大率」の正体

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:25頁

 「女王国以北」には、もう一つ重大な記事がある。

 そこには

 「女王国以北に特に一大率を置き検察する、

  諸国は之を畏れ憚る。常に伊都国に治す」

 とある。

 だからここにも女王国は伊都国の南にある事実を、

 詳しい位置関係説明として、

 念を入れて書き加えてあるのである。

 ただ一字だけの

 「南」を『東』の誤りだと主張する「大和説」は、

 これをどう説明するのか?

 またこの「一大率」は、

 もう一つの「大和説」欠陥証明になっている。

 率は「ひきいる」という意味と、

 任務が諸国を検察することで、

 軍と警察が一つになった組織だと確認できる。

 この「一大」は現在私たちが使う

 「大きさを表わす形容詞」ではない。

 それは小さな壱岐の島が   「一大国」という名をもっていたことでも判る。

 他の名詞が沖縄発音なのだからイキはイチだったのであるから、

 一大はイッティとして使った郡使の当て字であって、

 「一大国」はイチマ、

 邪馬壹国の筆頭官・伊支馬と同じ名で、

 こちらは郡使・張政の当て字である。

 これを見易く配列すると

 一大国=伊支馬=壹国=活目(垂仁天皇)で、

 一大国も伊支馬も活目も総て同じ

 「壹国」を意味しているのだから、

 一大率の一大も「壹」に対する当て字の一つに過ぎない。

 それが卑弥呼時代と壹與時代とで違い、

 書き手とその解釈によって、

 「当て字」が様々に異なっただけなのである。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年7月23日木曜日

世界一視点が高い国史『記・紀』

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:24頁

 それがアレクサンドロス大王家の、

 深刻苛烈な両親の死闘まで生んだこともこの講座でお話ししたし、

 天智天皇が唐の侵略を恐れて

 倭国を日本に「大化」しようとしたのも、

 また全く同じ悲劇だったのである。

 こう見てくると、

 『記・紀』とは

 「世界国家ウバイド」指導者のための

 『哲学書』であり『思想教科書』であり、

 真の意味の『聖書』であった。

 その内容を人道の上に立って価値評価すれば、

 単なる利害紛争記録に終始している世界のどの国の国史よりも、

 はるかに高い視点で書かれ、編集されていることがよく解る。

 天照大神とスサノオの等の、いわゆる神話とされてきたものも、

 決して子供騙しの神話やお伽話ではなくて、

 君臨する者への高度の教科書だったのである。

 だからこの『誓(うけ)ひ説話』の実体は、

 この事件の直前に起こった

 遼東から朝鮮半島の支配者・公孫氏を、

 口実を設けて倒してその領土を奪い取り、

 さらに高句麗王・位宮(伊支馬=垂仁天皇=卑弥弓呼素=武内宿弥)を破って

 高句麗を奪い取った魏に対する、

 卑弥呼の平和主義・対魏親善外交と、

 敗走させられて魏とは絶対に和睦できない位宮の怨念との、

 妥協の余地のない対立だったのである。

 この天照姉弟の『誓(うけ)ひ説話』を

 奈良の事件と思う者はいない。

 卑弥呼の墓は死んだ南九州にある。

 奈良の箸墓は遠隔地に移住した子孫が彼女を祭る、

 礼拝用の「神社」に過ぎない。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年7月22日水曜日

「卑弥呼 以 死」の正解

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:23頁

 『A』

 それはその前の、張政がはるばる伊都までやって来て、

 難升米(ナヌシャンミ)=神名川耳(ナヌセンミン)=綏靖天皇に会い

 「皇帝の詔書と黄幢(最高司令官旗)と

 檄(直ぐ争いを止めよという命令書)を授けた」

 という記事を受けて、

 「卑弥呼 以死」=「以て=その為。それによって。

 その結果。

 それが原因で卑弥呼は死んだ」と、

 わざわざ「以」を使ってあるのだからである。

 卑弥呼は争うなという皇帝の命令に従って、

 倭人の将来を考えて身を捨てたのである。

 自殺だったという証拠は『記・紀』にもある。

 いわゆる『神話』と『崇神天皇記・紀』に分けてあるが

 『B』

 スサノオとの争いのあと、

 天の岩屋に神隠れした天照大神が自殺した卑弥呼であること、

 そこから再生した天照大神が壹與であることと、

 完全に一致している。

 『C』

 卑弥呼の名乗り

 「倭迹迹日百襲姫」が箸を使って自殺したという記事とも一致する。

 このように、「以」一字でも正しく読めば、

 これまで何を意味するのか不明だった謎が一気に3つも、

 明快に解けるのである。

 それはこの事件が

 「屋久島王=スサの王」の後継者である狗奴国王の武力闘争思想と、

 その姉とされる天照大神=卑弥呼の平和親善主義思想の争いであり、

 イサナキ・イサナミ2神の争いと同質の、

 ウバイド女帝制の世界家族視平和神前主義思想が、

 次々に出会ってきた古代天皇家宿命の対立の一つだったからである。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年7月21日火曜日

卑弥呼は自殺したのか?

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:22頁

 反対に「邪馬壹」が正しいというほうには、

 動かない証拠が山積している。

 それをも少し具体的に挙げて、お話ししておく必要がある。

 壹與は狗右智(ウチ)卑狗(武内宿弥)と共に戦って、

 卑弥呼の死後、倭人政権を継いだ。

 それは薩摩王=鹿児島半島の王=香坂(カゴサカ)王と、

 大隅(忍(オス))と球磨(クマ)(熊)の王=忍熊王とを

 倒して女帝政権を樹てたと、

 『記・紀』に記録されている神功皇后の事跡に、

 総て完全に一致する。

 これを南九州でなく、

 奈良にあった大和政権の話だというのが大和説である。

 だが大和説には、こんな具体的な証拠が全くないのに、

 鹿児島説にはさらに動かし難い証明記事がある。

 神功皇后として壹與が鹿児島に攻め込んだ時、

 郡使の張政が伊都までやってきて、

 難升米に会って「檄で告諭した」。

 その時、卑弥呼は死んだ。

 それを『倭人章』は「卑弥呼 以死」と書いている。

 在来は、これは

 「死せるを以て=死んだので=その時、偶然、卑弥呼が死んだので…」

 という意味に読むのだという説と、

 いや「以て死ぬ(檄の告諭を受けた為に卑弥呼は自殺した)」

 と読むのだという説があったが、

 どちらとも決められないままで宙に浮いていた。

 事が天皇家の先祖の話なので、

 自殺したというのを遠慮したのかも知れないが、

 そんなことでは、

 張政が折角、「以」を書き加えたのが何にもならない。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm  
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
 

2009年7月20日月曜日

『倭人章』にある証拠と大和説の誤因

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:21頁

 これでよくお解りになったと思うが、

 『倭人章』が書く「邪馬壹国」は、

 卑弥呼の死後、

 彼女の死によって壹與新女王が都した新政権の首都名で、

 卑弥呼時代も壹與時代も、

 国名は不変の「倭人=ウワイト」国だったのである。

 その証拠には『倭人章』は壹與時代になっても変化なく、

 「倭大夫」と、やはり倭を元のまま使っている。

 これは言うまでもなく「倭人国」の略である。

 だから仮に「邪馬臺国」が真実だったのなら、

 略称は「邪国大夫」とか「邪馬」大夫とか

 「臺国大夫」と書かれていなければならない。

 ところが大和説者はこのことにさえ気付かずに、

 『卑弥呼は百襲姫なのだから神武天皇の子孫である。

  神武天皇は3世紀より以前に奈良に遠征して、

  大和朝廷を樹立したのだから、

  百襲姫がいた土地は、当然、奈良以外にない。

  当時はそこはヤマトと呼ばれていたと思われるから、

  それを「邪馬壹」と書いている『倭人章』は間違っている。

  それは「壹」の字が、「臺」の字とよく似ているので写し損なったためだ。

  だから「邪馬壹国」は実在しないから。

  「邪馬臺国」が正しいのだ』

 と思い込み、

 それを頑固に主張したのである。

 だが彼等が不動の史実と思い込んだ神武東征は史実ではなく、

 似た史料を混ぜ合わせた偽史に過ぎないことが

 今では完全に確定している。

 大和説はすでに根底から崩壊していて認める余地はない。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年7月19日日曜日

3世紀の三韓=新羅・百済・加羅は鹿児島県

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:20頁

 ここで、その「壹與=神功皇后」には、

 他にどんな確証があったか?を、

 手短かに再確認しておこう。

 『記・紀』はその三韓征伐を、

 新羅、百済、加羅の三カ国と書くから、

 大和説の学者でも、朝鮮半島での事件だと思い込み、

 奈良の事件だと思ったり、主張したりはしていない。

 だがご覧の通り、それは邪馬壹国誕生の現場だったのである。

 だから、邪馬壹女王国は奈良だというのなら、

 これは有名な大事件だから、大和説は大喜びで、 

 奈良に実在した新羅、百済、加羅について、

 大いに議論し主張しなければならない。

 だがそれはこれまで実行されたことはない、

 しかし仮に実行されたとしても何の成果も得られない。

 それは、これは鹿児島での事件だという証拠があるからである。

 三韓の名は新羅、百済、加羅だが、

 それは3世紀には朝鮮半島の国ではない。

 百済は南九州後読みハッセイやオホスミ(倭百済(オホスミ))で

 当て字は長谷(ハセ)(種子島南部)や、大隅・忍海(オスミ)。

 新羅は大隅語でシラギ、薩摩語ではヒラキ、

 薩摩半島南部に「開聞・枚聞=ヒラキッ」という山や神社の名がある。

 全てヒラキ(日国王(ヒラキ))への当て字で、

 後に拡大移動して朝鮮半島に植民地を作ったために、

 新羅も百済も朝鮮半島の国だという固定観念ができためである。

 加羅はカラで、大隅半島にある姶良郡の姶良も、本来はカラへの当て字。

 だから、そこを見下ろす霧島山の最高峰は韓国見(カラクニ)岳(だけ)という名だ。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
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 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
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 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年7月18日土曜日

卑弥呼死後の大乱と神功皇后と武内

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:19頁

 殺馬国は人口五万余戸、邪馬壹国に次ぐ大国である。

 卑弥呼の宗女=次期女王の所領として最も相応しい国である。

 そこが壹国(サツマ)と呼ばれ、

 後女が壹與=イエッジョー=壹女王と呼ばれていたのは当然で、

 13歳という年少だったために軽視されて男王が立ったが、

 伝統の女王制を守る人々の反対で大乱に陥り、

 千余の犠牲者を出した後、壹與奉戴者の勝利に終った。

 その先頭に立って、卑弥呼を継いだ男弟を倒したのは、

 狗奴国王の卑弥弓呼素だから、

 この名は漢魏音で「ヒミキウンゴソ=姫木王の御祖」という大隅語の呼び名である。

 卑弥呼時代には女王に属さずと書かれて対立していた人物が、

 少女王を立てて屋久島から乗り込んだ。

 これは神功皇后を助けて三韓征伐をした武内宿祢と同一人物だ。

 なぜなら武(タケ)は高の大隅方言=タケで

 高の漢魏音はコー、これは大隅発音でク。

 狗奴(クノ)国の狗は、この高だったのである。

 では内は何だったのか?

 狗奴王の奴は大隅発音「ナ」。

 王はマレー語で「イ」だから。

 狗奴王は「高(ク)ナイ」、

 この「ナイ」に「内」の字を当て字したものが「高内」なのである。

 だがこの内は「ウチ」とも発音されていた。

 それが官名の「狗右智(ウチ)卑拘]なのである。

 これで壹與が何故?神功皇后か?という疑問が解けたと思う。

 また狗奴王は高内(クナイ)か狗右智(クウチ)なのに、

 「タケノウチ」と教えた過去の歴史教育の低さも、よくお判り戴けたと思う。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
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 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
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 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年7月17日金曜日

壹與の遷都先「壹国(サツマ)」=投馬=殺馬=薩摩

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:18頁

 この薩摩は、当て字を変えると「殺馬」とも書ける。

 これは伊都国から水行20日の所にある「投馬」によく似ている。

 こちらは『倭人章』の中では一度しか出てこないから、

 偏の上部が見にくいと、どちらか判らなくなる文字である。

 沢山書かれている壹の字とは違う。

 そこで伊都からの距離を計算してみると、

 伊都から邪馬壹国までは水行10日、陸行1月。

 これは牛津の南から熊本県の八代までの航海と、

 八代から球磨川沿いに鹿児島県の隼人まで歩く行程だと、

 すでに確定しているから、

 水行20日だと鹿児島県の川内市あたりに投馬国があることになる。

 すると前にお話しした「委面土国」への疑念が一気に氷解する。

 『後漢書』の最古版が引用されている北宋版の『通典』には、

 帥升の肩書きが『委面土国王』と書かれている。

 内藤湖南がこれを「ヤマト」と読めると主張した有名な国名である。

 だが、委はウワイだから、あとの「面土」が小国名である。

 漢魏音で

 面はミャン、土はヅーだからミャンヅー、

 するとその通りの発音をもった町がその薩摩郡にある。

 それが宮之城だとお話ししたのである。

 帥升の発音はスイサヌウ。

 スサノオの名乗りをもつから、後漢代にはここが首都だったのである。

 『倭人章』が邪馬壹国と並べて特記した投馬は、

 やはり殺馬=薩摩だったのである。

 だからこそ壹與は隼人からそこへ遷都したのだ。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
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 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
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 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
 「歴史wiki-小事典」  http://hiki.cre.jp/history/?Glossary

2009年7月16日木曜日

邪馬壹国は女王国 伊江津国で後の薩摩

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:17頁

 邪馬臺が「絶対にヤマトと読めなかったのに対し、

 邪馬壹国のほうは、しっかりした国名として、

 その意味が完全に理解できる。

 3世紀に魏使が使った魏音では、

 邪はジォ、

 馬はマ、

 壹国はイェッマだから

 「女王国(ジオマ)・伊江津国(イエッマ)(壹国)」

 この壹はマレー語で「サツ」だから、国のマが付けばサツマ、

 後世の当て字「薩摩」と呼ばれた地域の名だと解る。

 邪馬臺は3世紀には実在していないが、

 邪馬壹は、これだけの内容を持った国名だったのである。

 しかもこの女王国(ジオマ)は薩摩に移る以前に、

 屋久島にあったことが判る。

 『新唐書』の「日本」の章末に、

 「又、邪古、波邪、多尼の三小国有り」とあって、

 その発音の特徴から沖縄語の国名に、

 唐の発音で当て字してあることが判る。

 邪古はヤクで屋久島。

 波邪はハヤ、で隼人。

 多尼はタニで、

 『日本書紀』の天武天皇紀に多禰(タネ)と当て字してある種子島である。

 これは3世紀には旁国の中にも無かった国名である。

 しかし旁国の中に投馬国がある。

 馬は国を意味するマへの当て字だから、邪馬は邪国で、

 その南に女王国に属さない「狗奴国」があった。

 狗奴国は狗の国で、この二つの国が一つになれば

 邪狗(ヤク)、

 唐代の邪古はこれに間違いない。

 これが屋久島の歴史である。

 その東に隼人、さらに東に種子島と揃っているのが動かぬ証拠だ。

 邪馬と伊江島との女王が、

 後の薩摩に都したのが邪馬壹国だったのである。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

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 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
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 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
 「歴史wiki-小事典」  http://hiki.cre.jp/history/?Glossary

2009年7月15日水曜日

発音が異なる九州と近畿の二つの伊都

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:16頁

 『伊都郡と伊都国』

 しかし今は九州に見当たらない「伊都」が近畿にはある。

 和歌山県伊都郡である。

 それは奈良県の南端に隣接している高野山周辺の地域だから、

 奈良はその北にある。

 このように大和説だと『倭人章』の記録と全く逆方向になるから、

 この理由も説明が要る。

 またその南は紀伊山地で「水行」などできない。

 南でなく東だとしても、

 やはり蛾々たる山岳が100km以上も続いている。

 どこから見ても伊都郡は伊都国ではない。

 しかし、全く同じ文字を使ったこの二つの地名は、

 元は同じものだったことを示している。

 だが3世紀の発音が「イツ国」だったのに、

 和歌山では「イト郡」に変っていることも見落してはならない。

 <イツ>は沖縄発音で、<イト>は本土発音だから、

 魏使が伊都(イツ)と当て字した当時は沖縄語が使われていた。

 同じ文字が和歌山で使われた時にはイトという別の地名なのに、

 なぜか昔のイツへの文字が、そのまま使われたのである。

 言語は土着するから九州で沖縄語を話していた人達が和歌山に移った後に、

 伊都の文字はイトと読むように変ったのである。

 この沖縄と本土の発音の違いは、

 九州から近畿へ人々が移動した事実を証言しているから、

 奈良でヤマトなら九州ではヤマツでなくてはならない。

 邪馬臺が本当でも、

 それがヤマツやヤマトとは絶対に読まれない。

 だから「女王国は大和(ヤマト)ではない」。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
 「歴史wiki-小事典」  http://hiki.cre.jp/history/?Glossary

2009年7月14日火曜日

大和説唯一の根拠は「南は東の誤り」

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:15頁

 『ありえないヤマトへの当て字』

 だから、3世紀に「ヤマト」と発音していたのなら、

 絶対に「邪馬臺」という字は当て字しない。

 <ヤ>には夜や野、

 <ト>には斗、徒、堵など幾らでも明快で、適当な文字がある。

 その<ト>に<ダグ>としか読めなかった

 「臺」の字をわざわざ使うわけがない。

 結局、大和説は、

 邪馬壹(いち)国は伊都国の「南」にあると書かれているが、

 その方角は「東」の誤りだ。

 という主張だけが、たった一つの拠り処にしかならないのである。

 『九州南部だという書き加え』 

 ところが、邪馬壹(いち)国への方角は、ほかにも書かれていて、

 やはり伊都国の南にあったと、詳しく明記されている。

 それは「旁国」の所である。

 そこには

 「女王国『以北』の国々は、その戸数や道里を略載できる」=

  即ち女王国はそれらの国々の南にあると書いてあるのだ。

 では、その略載された国々はどこどこなのか?

 それは対馬、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国だから、

 邪馬壹(いち)国は『九州南部にある』と、

 間違いのないようにここへも重ねて書き加えてあるのである。

 だから仮に大和説が正しいとすれば、

 ここは「女王国『以北』」ではなくて

 「女王国『以西』」と書いてなければならない。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
 「歴史wiki-小事典」  http://hiki.cre.jp/history/?Glossary

2009年7月13日月曜日

3世紀にはヤマトと読めない邪馬臺

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録39:14頁

 『文字で確かめる』

 邪馬臺国大和説というのは邪馬壹(いち)国を邪馬臺国と読み、

 それを更にヤマトと読み替えて、

 それは大和=奈良だと主張する説だが、

 発音が全然違い、聞書きした魏使が間違うことは絶対ない。

 壹(いち)と臺(だい)は少しは似てはいるが小学生でも見分けられる。

 それも一字でなく壹與や魏都の「臺(だい)」など多数使われていて、

 全部写し損なうことは絶対にない。

 『発音で確かめる』

 「漢字の発音」はカールグレン以来、

 私に至るまで多くの研究が積み重ねられていて、

 時代変化が確認されている。

 理由は中国の革命の連続で支配者が変わると、

 その支配者の発音が標準語になるからである。

 秦と漢で発音が変った事は『魏書東夷韓章』にも書いてあるし、

 元(ゲン)代の標準語が蒙古語だったことはすぐ判る。

 漢代にはウワイだった倭の発音が、

 唐代になるとワになったように、

 「臺」は漢魏音でダグだったのが、

 隋唐代に「ト」になった。  だから仮に『倭人章』に邪馬臺と書いていたとすれば、

 それは3世紀にはジャマダグと発音していたのであって、

 隋唐語を知らない漢や魏の人たちは絶対にヤマトとは発音しなかった。

 だからそれをヤマトと読む大和説は、

 こうした漢字音の時代差という原則さえ、

 全然知らない幼稚な思い付き説で、

 根底から間違った、いい加減な空想説に過ぎない。

 出典:Wikipedia:ベルンハルド・カールグレン    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3
 出典:Wikipedia:加治木義博    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E6%B2%BB%E6%9C%A8%E7%BE%A9%E5%8D%9A

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
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 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
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 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
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 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html
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