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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
Matのジオログ
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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:825・826・827頁
第十二章 大国主神と大物主神
天照大神と多氏・大三輪氏②
神武天皇が崩御された後、庶兄当芸志美美命の神八井耳命ら
兄弟三人を殺そうとする謀略が察知された。
そこでかえって三人で庶兄を殺そうとした時、
兄神八井耳命は「手足和那岐弖得殺したまはざり」しため、
弟の神沼河別命が「其の兄の持てる兵を包い取りて、
入りて当芸志美美を殺したまひき」となった。
そのため、兄は弟に
「吾は仇を殺すこと能はず、汝命既に仇を得殺したまひき。
吾は兄なれども上となるべからず。
是を以ちて汝命上となりて、天の下治らしめせ。
僕は汝命を扶(たす)けて、
忌人(いみびと)と為りて仕え奉らむ」と申して
天皇の位は弟に継承させ、自分は忌人(斎人)となった。
『日本書紀』にも同様の伝承を載せ、
「吾は是乃の兄なれども、懦く弱くして不能致果からむ。
今汝特挺れて神武くして、自ら元悪を誅ふ。
宜なるかな、汝の天位に光臨みて、皇祖の業を承けむこと。
吾は、当に汝の輔と為り、神祇を奉典らむ」とある。
神八井耳命は「忌人」「神祇を奉典らむ」と神職となったのである。
「特選神名牒」がいう通り弥志理都比古は神八井耳命である。
それは次のような理由付けができる。
「八井」は「弥志理」と同義で同音なのである。
「井」を表わすサンスクリット語に jala (水、泉、清水) があり、
「八井」は「ヤジャラ」であり、弥志理の「弥」は「いや」であるから
ye と解釈すれば「ミシリ」ではなく「ヤシリ」と訓め、
双方の訓音が近似する。
このヤジャラ(ヤシリ)は
サンスクリット語の yajur ヤジュールであり、「祭祀」を意味する。
ヤジュールは
第8章 インド文化と祝祭「聖典とラパニシャット」で紹介した
インドの四大聖典のうちのヤジュール・ヴェーダの
名称になっている用語で、
それはバラモン教の司祭 Adhvaryu の唱える
祭詞を集めた祈祷詞集である。
ヤジュールは神八井耳命がなった忌人で
「神祇を奉典」を司る神官である。
つまり特にアディヴァーユ祭官の祝祭式を執行するための
知識を得た者をいう。
また、「八井耳」を含めて解釈すると yajur-manman の音写で
「(神祇祭祀)に専心する」の語義で、
弟に天皇の位を譲って神官に徹した者の名称にふさわしい。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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