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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
Matのジオログ
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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:824・825頁
第十二章 大国主神と大物主神
天照大神と多氏・大三輪氏①
ここでういう多氏は『古事記』の「意富臣」の氏族である。
その祖は神八井耳命である。
父は神武天皇で、母は伊須気余理比売命であるが、
同比売命の母は勢夜陀多良比売命、父は「美和の大物主神」で、
多氏の祖はまた三輪山に関係しているのである。
氏族名「オホ」は aha の転訛であり、divasa(日、昼) と同義であり、
大物主神に対応される。
依って多氏は太陽神崇拝の氏族と考えられる。
神武天皇(皇孫)の祖は「天照大御神」である。
多氏の奉際するのが磯城郡田原本町多字宮ノ内の「多神社」で
延喜式神名帳大和国十市郡に
「多坐弥志理都比古神社二座名神大」とあり、
史料には意富社、太社、大社と表記された。
現在の祭神は、神武天皇、神八井耳命、第2代綏靖天皇となった
弟の建沼河耳命、姫神となっていて、
四棟式本殿のそれぞれの棟に祀られているとされる。
これらの祭神をみると、多氏が「神武東征」のより外から大和盆地へ
進出して来た氏族系統を継ぐ主要な集団であることが解かる。
しかし、社号にある「弥志理津比古」は誰をいっているのだろうか。
これまでの見解では確定されていない。
神名帳に「二座」とあることから「特選神名牒」は
「神八井耳命即弥志理比古、姫神」としている。
平安時代の神名帳に二座とあるからには
その後に二座増え四座となったのは事実であろう。
その古い時代の祭神が「弥志理比古神」である。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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