2014年12月31日水曜日

天照大神と多氏・大三輪氏②


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:825・826・827頁
 第十二章 大国主神と大物主神

 天照大神と多氏・大三輪氏②

  神武天皇が崩御された後、庶兄当芸志美美命の神八井耳命ら

 兄弟三人を殺そうとする謀略が察知された。

 そこでかえって三人で庶兄を殺そうとした時、

 兄神八井耳命は「手足和那岐弖得殺したまはざり」しため、

 弟の神沼河別命が「其の兄の持てる兵を包い取りて、

 入りて当芸志美美を殺したまひき」となった。

 そのため、兄は弟に

 「吾は仇を殺すこと能はず、汝命既に仇を得殺したまひき。

  吾は兄なれども上となるべからず。

  是を以ちて汝命上となりて、天の下治らしめせ。

  僕は汝命を扶(たす)けて、

  忌人(いみびと)と為りて仕え奉らむ」と申して

 天皇の位は弟に継承させ、自分は忌人(斎人)となった。

 『日本書紀』にも同様の伝承を載せ、

 「吾は是乃の兄なれども、懦く弱くして不能致果からむ。

  今汝特挺れて神武くして、自ら元悪を誅ふ。

  宜なるかな、汝の天位に光臨みて、皇祖の業を承けむこと。

  吾は、当に汝の輔と為り、神祇を奉典らむ」とある。

 神八井耳命は「忌人」「神祇を奉典らむ」と神職となったのである。

  「特選神名牒」がいう通り弥志理都比古は神八井耳命である。

 それは次のような理由付けができる。

 「八井」は「弥志理」と同義で同音なのである。

 「井」を表わすサンスクリット語に jala (水、泉、清水) があり、

 「八井」は「ヤジャラ」であり、弥志理の「弥」は「いや」であるから

 ye と解釈すれば「ミシリ」ではなく「ヤシリ」と訓め、

 双方の訓音が近似する。

 このヤジャラ(ヤシリ)は

 サンスクリット語の yajur ヤジュールであり、「祭祀」を意味する。

 ヤジュールは

 第8章 インド文化と祝祭「聖典とラパニシャット」で紹介した

 インドの四大聖典のうちのヤジュール・ヴェーダの

 名称になっている用語で、

 それはバラモン教の司祭 Adhvaryu の唱える

 祭詞を集めた祈祷詞集である。

 ヤジュールは神八井耳命がなった忌人で

 「神祇を奉典」を司る神官である。

 つまり特にアディヴァーユ祭官の祝祭式を執行するための

 知識を得た者をいう。

 また、「八井耳」を含めて解釈すると yajur-manman の音写で

 「(神祇祭祀)に専心する」の語義で、

  弟に天皇の位を譲って神官に徹した者の名称にふさわしい。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ 
 

2014年12月30日火曜日

天照大神と多氏・大三輪氏①


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 《参考:年表・資料》

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:824・825頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 天照大神と多氏・大三輪氏①

  ここでういう多氏は『古事記』の「意富臣」の氏族である。

 その祖は神八井耳命である。

 父は神武天皇で、母は伊須気余理比売命であるが、

 同比売命の母は勢夜陀多良比売命、父は「美和の大物主神」で、

 多氏の祖はまた三輪山に関係しているのである。

 氏族名「オホ」は aha の転訛であり、divasa(日、昼) と同義であり、

 大物主神に対応される。

 依って多氏は太陽神崇拝の氏族と考えられる。

 神武天皇(皇孫)の祖は「天照大御神」である。

 多氏の奉際するのが磯城郡田原本町多字宮ノ内の「多神社」で

 延喜式神名帳大和国十市郡に

 「多坐弥志理都比古神社二座名神大」とあり、
 
 史料には意富社、太社、大社と表記された。

 現在の祭神は、神武天皇、神八井耳命、第2代綏靖天皇となった

 弟の建沼河耳命、姫神となっていて、

 四棟式本殿のそれぞれの棟に祀られているとされる。

 これらの祭神をみると、多氏が「神武東征」のより外から大和盆地へ

 進出して来た氏族系統を継ぐ主要な集団であることが解かる。

 しかし、社号にある「弥志理津比古」は誰をいっているのだろうか。

 これまでの見解では確定されていない。
 
 神名帳に「二座」とあることから「特選神名牒」は

 「神八井耳命即弥志理比古、姫神」としている。

 平安時代の神名帳に二座とあるからには

 その後に二座増え四座となったのは事実であろう。

 その古い時代の祭神が「弥志理比古神」である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
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2014年12月28日日曜日

青垣と神社③


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:823頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 青垣と神社③

  「神社」は青垣がさらに転訛された表現である。

 三輪山は神殿を必要としないので青垣が妥当であったが、

 「本殿/神殿」を備えた宮にとってはその表現は相応しくなかった。

 神社の定型はアルパチア遺跡の碗に描かれた高床式建物同様、

 神体を斎(ゆま)はる聖所への階段があり、

 屋根には角状の千木が施されている。

 また神殿の前には拝殿が建てられ、その左右から壁を継ぎ、

 神殿を包む囲壁とされる。

 神殿地には神職以外入れないというのが原則で、

 ここが天空界であることを示唆している。

 その象徴として鳥居を設け神社が天空界であることを参拝者に

 教えている。

 神社(ジンシャ)とは日本固有の用語ではなく、

 ハフリ:祝と同様メソポタミアから始まった宗教用語なのである。

 第5章 旧約聖書「創世記」でみたように祝祭の宗族ユダヤ教の

 宗教施設シナゴーグ synagogue (英語) も、

 「集会所」がその役柄で、宗旨として神体を持たない理由によるが、

 その祖語も sinjer であろう。

 キリスト教の教会 kirche(ドイツ語)、 church(英語)なども

 祖語は「角」である kert である。

 「神社」が

 サンスクリット語の śṛṅga 、

 パーリ語の sīng (角)= sinjer に

 由来するとして少しもおかしくない。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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2014年12月27日土曜日

青垣と神社②


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:821・822頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 青垣と神社②

 ラテン語の cerat は「角」であるが、

 ドイツ語 Gurt は「帯、紐」である。

 これらの用語が持っている概念がシンジャールである。

 「青垣」はこの sinjer を祖語とするサンスクリット語の

 śṛṅga(シンガ):角を音写した用語である。

 メソポタミアのアルパチア遺跡から出土した碗に描かれた

 高床式建物の屋根は牛角の形容をみせていた。
  
 その高床式建物を守るために垣、壁が

 備え付けられただろうことも考察した。

 それらを総合した神殿 sig (壁)-gur (穀倉)が

 シンジャールなのである。

 「青垣」 の音訓は sei-en (日本語音訓)だが、

 古語では sin-gan であったとみられる。

 垣は「クァン、グワン」と訓まれた。

 漢音に於いては qing-yen である。

 Singan は śṛṅga またはその同義の śṛṅgaka である。

 三輪山はその śṛṅga の概念に合致する円錐形の山容である。

  三輪山は確かに緑の樹木に包まれ、

 その状態から「青」が連想され用いられたと想像できるが、

 実は「青」には別の理由も考えられる。

 桜井茶臼山古墳の遺物の中に碧玉製の玉杖があったのを始め、

 三輪山の山ノ神祭祀遺跡からは五個以上の碧玉製曲玉、

 南麓の脇本遺跡の菅玉など、

 この周辺からは緑色、青色の宝玉が多く出土している。

 それには理由があり、大物主神であるインドラ神は

 indra-nīla といって青玉(サファイア)、

 緑柱石(エメラルド)と結びつけられ、

 それらの宝玉に飾られているからである。

 Nīla は「青、蒼、青緑、紺青」の色を表わす。

 さらに「黒い、暗青色」を含む。

 Mahā-nīla はサファイアをいう。

 この概念が「青」字を使わせたのである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年12月26日金曜日

青垣と神社①


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:819・820頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 青垣と神社①

  「青垣」を三輪山そのものとする考えを述べた。

 それは『古事記』の原書に「倭青垣東山」とあることに依る。

 「垣」は天門である三輪山そのものであり、

 「青」は緑の樹木に包まれていることを想起させる。

  サンスクリット語の「垣、囲壁」を表わす 

 kaksyā は kakṣa と同類で双方とも「帯」の意味を含む。

 『古事記』雄略天皇条の歌に

 「みもろに築く玉垣」とある「玉」はサンスクリット語の

 dāna の音写で「帯、紐」を意味し、

 「玉垣」は神殿などの周囲に設けられた垣で、

 瑞籬などをいうものである。

 帯は環状にして使用されるもので、

 mālā は「環」を表わし御諸の原語 mih(megha)-mālā の構成語で、

 環が輪であることから三輪となっている。

  この環こそ三輪山の垣なのである。

 サンスクリット語 kakṣa (垣) の同義語に kāñci (垣) があるが、

 これはラテン語の cingo 、cinxi、cingulum と

 祖語を同じくする。

 その祖語は北メソポタミアの山脈シンジャール sinjer に

 遺留されている。

 Sinjer はドイツ語に Zingel (囲壁、市の城壁、段丘)、

 Sigel (市の外壁)となっている。

 またサンスクリット語に śṛṅga があり、その本意は「角」である。

 パーリ語では śinga と表記される。

 シンジャール山脈のある地方はハブール地方で

 牛角信仰の主要な地域であったとの考察を

 第2章メソポタミアと牡牛で展開した。

 同語はまた「小塔、高さ、頂点、山頂、峰」の意味を持つが、

 śṛṅga-gāta は「三角形、三角形の場所」を表わす。

 その訓音は、śṛṅga-vera が生姜:しょうがを意味するので、

 英語の ginger 、ドイツ語の Ingwer にあるように

 「シンジャーール」 であることに間違いない。

 「角」がカルト(ケルト)人の祖語であることは第3章カルト人の進出などで

 考察した。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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2014年12月24日水曜日

三ツ鳥居と瑞垣⑧


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:818頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 三ツ鳥居と瑞垣⑧

  三ツ鳥居は、三輪山を天門とする、

 その前に立つ「垣」であり、門前の「杙」である。


  大神神社の霊威の象徴として「清めの砂」がある。
 
 建物の普請や造作に際してその地に振り撒かれる。

 この「砂」はまた「天空、虚空」の意味を持つ

 サンスクリット語の śuna に由来する信仰である。

 稲荷大社の場合でも「砂」が関係していた。

 śuna の近似音語 sūna は「花」を表わすが、

 「ほとぎ、そん」といった

 三枝祭(ゆりまつり)に欠かせない神饌である。

 同祭は率川(いさがわ)坐大神御子神社の例祭である。

 三枝の花(笹ゆり)を岳(ほとぎ)、罇(そん)という

 酒樽を飾ってお供えをするという。

 「そん」は罇(酒樽)とされているが、

 その神饌の主体は笹ゆりである花であり、

 sūna の転訛したものと考えられる。

 三枝祭の特殊神饌では折櫃(おりびつ)を柏葉で迎う。

 この「柏葉」で神饌を奉る禰宜を「かしわ手」といい、

 「膳夫」と表記されるようになったと推測される。

  三輪山信仰は天空への信仰なのである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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三ツ鳥居と瑞垣⑦


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 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:817頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 三ツ鳥居と瑞垣⑦

  三ツ鳥居の本鳥居の柱の前に

 「唐居敷」と呼ぶ方形の石が据えられている。

 この二つの石は柱を支えるのでもなく、

 鳥居の構造に係わるものでもない。

 特別の意義があって置かれた様子である。

 「唐居敷」は「唐を置き据える」とみられ、

 「唐」の持つ意味が重要である。

 「カラ」ハサンスクリット語の kīla の転訛である。

 その語義は「杙、閂、橛釘」で、これが indra-kīd となると

 「門前の杭」、「入口の土合石」の意味となる。

 閂は釘である。

 橛は「門の中央に立ててある低い杭」で「門前の杭」であり、

 「入口の土台石」は唐居敷が象徴するに相応しい。

 ここで三ツ石を置いているのは脇鳥居を持つ構造で

 本鳥居が中央であるからであろう。

 Indra-kīd の indra はインドラ神によるが、

 ここでは猿田彦神の性格を考察した際に明らかにしたが、

 「案内する、紹介する」門を主旨とした意味合いである。

 摂社玉列神社(桜井市慈恩寺)の境内には

 猿田彦社が鎮座している。

 『日本書紀』が大物主神の神妃となった

 勢夜陀多良比売命の父を「三嶋溝橛」と「橛」字を使っているのは。、

 彼がやはり大神神社の信奉者であったことを物語っていると

 みることができる。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
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三ツ鳥居と瑞垣⑥


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 牛角と祝祭・その民族系譜:816頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 三ツ鳥居と瑞垣⑥

 「天照御魂」とはこの三ツ鳥居とみられる。

 町名森の東の「東」は「日向」であろう。

 三輪山には中世の史料に一部「神体杉木」あるいは磐座に

 当てるものがあるほか、神体は無い。

 大神神社のご神体は「天」なのである。

 そして三輪山はその天門であり、

 三ツ鳥居は天門の象徴なのである。

 三ツ鳥居の扉は年中閉ざされたままである。

 春秋の大祭においてさえも、

 御開扉と称するものの宮司が御簾を巻き上げるに過ぎない。

 しかも御簾の向うには幔(とばり)が掛けられていて

 中央の扉を拝観することはできない。

 ただ年に一度元旦の午前1時から始まる

 繞道祭:にょうどうさい(ご神火まつり)においてのみ開扉される。

 それは垣内で鑚火を採るためであるが、

 ご神火とは天照若御魂神にして日向御子、

 ウシャス(暁)である「天照大神」の象徴と考えられる。

 天門より参られる天照大神をお祭りするのであり、

 それは初日の出を拝礼するのと同じ意義を持つ。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年12月23日火曜日

三ツ鳥居と瑞垣⑤


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 牛角と祝祭・その民族系譜:815頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 三ツ鳥居と瑞垣⑤

  ここで三ツ鳥居の意義について考察してみたい。

 ウシャス女神は「御子」であるからには、その親神は「日向」である。

 日向神はいうまでもなくディアウス神であり、

 divasa で日神である大物主神であるが、

 暁(天門)の向う(奥)に坐す(次に現れる)のは

 太陽である天照大神ということになる。

 天照大神は天界の支配的神である。

 この「天・天空」を表わす用語が 

 cuturth (第四位で空(くう)を象徴する) の派生語で tūrya で、

 これも第四位の「空」を表わす。

 「空」は「天空、天界」に通じ、 tūrya はその象徴である。

 この用語が「鳥居」と転写されたのである。

 その様子は既に第11章の「稲荷、黄金山信仰」で、

 稲荷神社の赤鳥居に対する想念として紹介した。

 大神神社の場合も既にみたように雲や太陽神への

 信仰から天空への想念が強い。

 tūrya は traya (tri-) にその訓音が近くその字義が

 「三」 を表わし、「三重の、三より成る、三種の」の意味でもある。

 これらの概念を表現したのが「三ツ」鳥居である。

 traya と祖語を同じくする。
 
 同様の概念で鳥居を「三」に構えたのが

 京都市右京区太秦森の東木嶋坐天照御魂神社の

 境内にある三角形、三本柱の鳥居である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

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 ハラフ期の土器について
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三ツ鳥居と瑞垣④


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

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 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:814頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 三ツ鳥居と瑞垣④

  幽宮(カクレノミヤ)という神の鎮まる宮居をいう表現がある。

 『日本書紀』に伊弉諾尊が淡路に幽宮を構えて隠れられたいう。

 「カクレ」は「隠れ」で「垣」の向うに入ることをいう。

 「垣の向う」はまた「日向」である。

 「日向御子」はウシャス女神で暁の神であることを述べたが、

 スバル人の後裔がグルジアの暁を表わす

 ziskari は za-kari (天‐門)と構成されている。

 つまり日向御子(高宮神社)の鎮座する三輪山は天門であり、

 三ツ鳥居はその象徴である。
 
 大神神社の神域には本殿(宝倉)がない。

 三輪山を神体と考えている。

 三輪山の禁足地前に三ツ鳥居があり、その前に拝殿があり、

 拝殿への入口には鳥居は無く、〆柱が立てられているのみである。

 いかに三ツ鳥居が重要であるかが解かるが、

 三輪山自体が天門(神門)である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年12月22日月曜日

三ツ鳥居と瑞垣③


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 『Yahoo!天気・災害』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 Matのジオログ
 さいたま朝日WEB

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:813頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 三ツ鳥居と瑞垣③

  第4章カルト人の移動で紹介したように、

 グルジアのカルトヴェリ(イベリア人)は

 古代メソポタミアのスバル人の後裔である。

 彼等は紀元前4・5世紀に移って来てから

 この峻烈な山々に天然の要塞(囲い)と考え、

 そう呼んだに違いない。

 グルジア人の中にイメレディと呼ぶ人々がいる。

 彼等がメソポタミアのテル・ブラクの前4千年紀の神殿から

 大量に見つかった「眼の偶像」の創造者であるとの見解も述べた。

 眼( mat )は太陽の象徴であったが、

 この用語はインド・ヨーロッパ語圏に移入され、

 ギリシャ語に ημέρα として残る。

 サンスクリット語の ahar と同義で「日、昼」を表わす。

 この用語が古代日本にやって来て「ヒモロギ」となる。

 Ημέρα-γη は「日(太陽)の土地」の語義で

 「神籬」と表記される。

 「日神」あるいは「天照神」の坐す所をいう。

 崇神天皇の時、天照大神が遷座された斎宮は

 礒城神籬といわれる。

 三輪山は divasa(日、昼)である dyaus 神、

 大物主神(事代主神)を祀り、既にして神籬である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ