2009年9月30日水曜日

お考えになって頂きたい遷都開始期

  『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:30頁

  しかし1980年代にウバイド遺跡の洪積層の下に、

  さらに古代の遺跡が見つかり、

  発掘調査の結果、それが8000年前のものだと確認されたが、

  折悪しく発生した湾岸戦争で中断し、それ以上の進展は見られないから、

  考古学的な実態は今のところ不鮮明である。

  私たち倭人の子孫としては、ウバイドという祖国の発生年代は、

  是非知っておきたい大問題である。

  調査の再開が待ち望まれる。

  発生時期はマルドゥク信仰などで

  バベル族が分化した頃であるということになるが、

  その決定方法などをお考えになってお教え頂きたい。

  B.C.E.9000年  最古の農耕・牧畜集落遺跡群散在

  B.C.E.8000年  前ウバイド期の集落遺跡

  B.C.E.8000年  最古の灌漑農耕施設 サマッラ

  B.C.E.8000年  新石器使用村落跡 メソポタミヤ北部

  B.C.E.6500年
      ↓      ウバイド文化遺跡群
  B.C.E.6000年  フジスタンにスサ誕生
      ↓      ウバイド文化の北部進出遺跡群
  B.C.E.5500年
      ↓      ウルク期
  B.C.E.5100年
      ↓      ジェムデト・ナスル期 都市化進展 
  B.C.E.5000年  スメル文明最盛期・都市国家群立  
      ↓      初期王朝時代 
  B.C.E.1792年  
      ↓      バビロン第一王朝↓
  B.C.E.1750年

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年9月29日火曜日

「倭人」の名が語る建国理想の真意

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:27頁

 この倭をウワイと発音するような、

 外国名への当て字音が漢字本来の中国語音でなく、

 外国語名詞本来の発音に変わるのもまた、

 漢字による当て字独特の現象である。

 飛鳥、春日、大和、陸奥、英吉利、仏蘭西、独逸など数多くの実例は、

 よくご存じの通りである。

 また倭だけで人種を意味しているから、

 「倭人」と書いて「人」をダブらせる必要はない。

 それなのに

 『魏書倭人章』は「倭人」と書く。

 これは人の字を、

 日本語で「ト」と読まなければウワイトにならないから、

 この文字を選んだのは魏人ではなく、

 倭人自身がウバイドの訛りであるウワイトを

 漢字で表現しようと考案して使ったものだと解る。

 このように人種名は、ウバイド人が始めた

 農耕文明政体が、様々な文明を生み、

 経済発展を遂げながら拡大して

 全世界に広がって行き、現代に至ったが、

 そのうち最も遅くまでウバイドの名を継承していたのは、

 A.C.640年ごろに日本と改名した倭人だけであるという事実である。

 世界に国家が発生する以前、

 まだ「国」という概念さえ生まれなかった時には、

 世界を一軒の家、母屋と離れ座敷、本家と分家と考え、

 互いに助け合って人類繁栄を計っていた。

 それ「八紘一宇」と表現したのが、

 あの神武建国の真意だったのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年9月28日月曜日

遷都の理由は日本列島のもつ自然防衛力

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:28頁

 だから倭人の考えは、あくまで他国への移住ではなく、

 行く先々が「我が生みの子の君たるべき土地」だったから、

 それはあくまで、時を移す「遷都」だったのである。

 その結果、様々な都市国家や政権が生まれたが、

 それはすべて分家であり、地方自治体に過ぎなかった。

 だから分れて出来た都市国家群は皆な兄弟姉妹で、

 地球という一軒の家の部屋なのであり、

 戦争や紛争は同族相食(は)む愚かなこと、

 愛と平和こそ厳守すべき人類繁栄の唯一の真理である。

 というのが常識で当然のこととされていた。

 それによってウバイドは唯一の世界国家として、

 自然の城壁である海岸線に守られて、

 海外で次第に数を増す侵略主義国家とも

 巧みに共存しながら7世紀まで存在した。

 何故?ウバイドから、

 絶海の孤島ともいうべき日本列島まで

 はるばる遷都したのか?という疑問には、

 古代農耕に適した環境もさることながら、

 第一は、やはり争いを避けるため、

 四面環海の日本列島が持つ自然防衛力を高く評価した結果であり、

 またそのお陰で

 ウバイドは今も日本と名を変えて、生き読けているのである。

 以上は国史だけでなく、

 世界史上にも不可欠な最新知識である。

 今まさにグローバル化の時代に突入した全人類が、

 少しも速く知る必襲のある必須人類史常識である。

 それを本学が本講で、世界で最初に確認できたことは、

 稀にみる痛快事で、ご同慶に耐えない。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年9月27日日曜日

「倭人」の名が語る建国理想の真意

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:27頁

 この倭をウワイと発音するような、

 外国名への当て字音が漢字本来の中国語音でなく、

 外国語名詞本来の発音に変わるのもまた、

 漢字による当て字独特の現象である。 

 飛鳥、春日、大和、陸奥、英吉利、仏蘭西、独逸など数多くの実例は、

 よくご存じの通りである。

 また倭だけで人種を意味しているから、

 「倭人」と書いて「人」をダブらせる必要はない。

 それなのに

 『魏書倭人章』は「倭人」と書く。

 これは人の字を、

 日本語で「ト」と読まなければウワイトにならないから、

 この文字を選んだのは魏人ではなく、

 倭人自身がウバイドの訛りであるウワイトを

 漢字で表現しようと考案して使ったものだと解る。

 このように人種名は、ウバイド人が始めた

 農耕文明政体が、様々な文明を生み、

 経済発展を遂げながら拡大して

 全世界に広がって行き、現代に至ったが、

 そのうち最も遅くまでウバイドの名を継承していたのは、

 A.C.640年ごろに日本と改名した倭人だけであるという事実である。

 世界に国家が発生する以前、

 まだ「国」という概念さえ生まれなかった時には、

 世界を一軒の家、母屋と離れ座敷、本家と分家と考え、

 互いに助け合って人類繁栄を計っていた。

 それ「八紘一宇」と表現したのが、

 あの神武建国の真意だったのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年9月26日土曜日

「倭」の字が語る国体と殷との関係

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:26頁

 では、殷が首都になったのか?。

 それとも首都は日本列島にあって、

 殷は植民地にすぎなかったのかを考えてみよう。

 それに答えてくれるのは殷と倭人という二つの国名である。

 この二つの国名はどちらも中国の文字で表現したものである。

 この文字は普通「漢字」と呼ぶが、

 原形は殷の時代に考案された。

 それがスメルの楔形文字とエジプトの象形文字とに

 多くの一致点をもっているので、

 殷文明のルーツはどこか、早くから判っていた。

 ウバイドに対する当て字だと解っている

 「倭人」を分析してみると、

 倭の、旁(つくり)の委は、

 上の「禾」は、稲や稗や黍や麦などの、

 穂が出て穀物を実らせる禾本科植物を意味し、

 下の「女」は、それを栽培し、

 それで食事を作って、

 管理している、のが「女」だという特徴を示している。

 そしてこの場合は人扁(にんべん)は人種を意味しているから、

 女性支配の農業国の名になる。

 だからそれは最初からウバイドの国を意味していたのである。

 それなのに何故?それは殷でなく、わが国の名になったのであろう?。

 いや<委>も<倭>も初めは、旁(つくり)の音で「イ」だったのである。

 だから「イン=倭の」だったのだが、

 「豊か」といういい意味のイン=殷の字に変えたのだ。

 そして「倭」の字の発音は「イ」でなく「ウワイ」に変わった。

 これは我が国の国名がウワイトと呼ばれていたから、

 当て字の発音もそれに従って変わったのだ。
 
 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年9月25日金曜日

失礼すぎる「出雲の流れ者スサノオ」観

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:25頁

 もちろん稲敷を故郷とし、

 そこを太陽神の居る場所として遥拝した殷人は、

 スメル人の一部に過ぎない。

 しかしその<イン>という発音は、

 インダスを経由したイナンナ女神の名を継いでおり、

 「須佐の男=スサの王」と結婚した

 「稲田姫=インダス姫」を祖先とする私たちは、

 ごく近縁なのだから、スサノオの両親に擬される

 イサナキ・イサナミ型説話が、

 殷人によく知られていたことは当然で、

 臣下として坦己と紂王に仕えていた武王も、

 それをよく知っていて利用したことは不思議ではない。

 とすると、これは今から3200年前の史実なのだから、

 在来考えられていたような

 朝鮮からの流れ者に過ぎないスサノオの尊が、

 古代出雲の村落で田舎娘の稲田姫と

 結婚したという解釈は余りにもお粗末で、

 そんなものを天皇の先祖の話として、

 なぜ?麗々しく取り上げ、宣伝してきたのか?

 まったく理解に苦しむ。

 スサノオは名乗りだから一人だけではないが、

 インダスの女王と結婚した大王は、

 世界の海洋を股にかけていた大国の王であって、

 朝鮮から木の苗をぶら下げてきた流れ者などではない。

 それは小さな都市国家時代の話でもなく、

 スメル文明の国家群がさらに東に拡大して、

 インダス文明を生んだ史実を、

 桃太郎や浦島太郎式に神話化したものである。

 それがさらに日本列島に遷都し、

 中国に拡大して殷(商)帝国を生んだ事実を

 よく教育しなくてはならない。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
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 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
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 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
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 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
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 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年9月24日木曜日

殷(商)帝国滅亡にも見るイサナキ説話

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:24頁

 ほかにも我が国と殷との関係は、

 神話伝承にもに共通のものがあったと考えられるものがある。

 殷は周に滅ぼされたが、

 その周が殷王朝打倒の理由に挙げている有名な物語が、

 最後の皇帝・紂(チュウ)王が、

 王妃・坦己(ダッキ)という悪女の尻に敷かれて、

 酒池肉林を初めとする乱行、悪政の限りを尽くしたので、

 天下万民のために周の武王が立って征伐し、

 新たに周王朝を建てたという歴史を遺した。

 勝者はどのようにでも都合よく歴史を書ける。

 しかし、まるっきり嘘ばかりでは自国民も内心、

 武王とその政権を軽蔑する。

 だから根拠がなければならない。

 この坦己が紂王を尻に敷いたというのは、

 作りごとではなかった。

 それは殷人はカリエンだったから、

 ウバイド以来の女帝制国家であったことは、

 当時の人々の常識だった。

 武王はその女帝制の平和偏重の欠点を衝いて、

 「武」の必要を誇張し、

 男帝制の優位を掲げて革命に成功したから『武』王なのである。

 だから「女性上位では悲劇に終わる。男性上位が良い」

 というイサナキ説話と同じ葛藤と教訓が、

 ここにも実在していたのである。

 岐美2神には「子の数に入らない子供」しか生まれず、

 坦己と紂王には継ぐべき子孫も国土も無くなってしまった。

 わが国の『イサナキ説話』には、

 こうした同族の古い記憶や教訓が入っていたのだ、

 ということも見落としてはならないと思うが、如何であろうか。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
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 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
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 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年9月23日水曜日

殷の全てを立証する二個の人面注口器

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:23頁

 稲敷の阿見町に今も残る福田は、

 最初はマルドゥクの村だったが、

 「日の出」の当て字が

 ホッデンと読まれるようになって

  「福田」という当て字に変わり、

 周辺一帯が日の立つ所=日立と呼ばれたが、

 後に日の昇る地という意味が嫌われて、

 <ヒタ>には「常」が、

 <チ>には「地⇒陸」が当てられて、

 「常陸」になったのは「大化」革命の遺物である。

 これは我が国の地名が、

 様々に変化する事実と、

 発音が先にあって、

 後から当て字されるものだという事実を物語っているのである。

 A:「辰馬人面注口土器」(復原レプリカ)

 B:「青銅人面盉」(中国殷墟出土)

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
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 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
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 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年9月22日火曜日

霊域線と日・殷の全ての謎が解ける

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:22頁

 いや、それだけではない。

 この「日の出」は、鹿児島語で読むと、

 さらに深い意味が読み取れて、

 この霊域線が何のためのものか…、

 何時の時代に…我が国へでやって来たか…から、

 古代の小国・日本は鹿児島県にあったことが

 史実であることまで、徹底的に立証する。

 鹿児島語では「出る」は「ヅッ」、

 「来る」は「ク」と発音するから、

 スメル語を用いて「日」を「マル」と読むと、

 「日が出て来る」は、

 「日(マル)出(ヅ=ドゥ)来(ク)マルドゥク」になる。

 これはバベルの主神「マルドゥク」が、

 「マル=円=太陽」であり、「ヅク=出来」

 すなわち「出てくる円形神」という神名をもっていることで、

 どこから見ても疑いなく、

 日殷の信仰は明らかにバベルと同じ太陽神崇拝である。

 我が国には古来、薩摩に「日の丸」の船(ふな)じるしがあり、

 赤丸で「日」の国を表現して来たが、

 それが幕末の英主・嶋津斉彬(なりあきら)によって

 我が国の国旗に選ばれて、

 明治に正式に国旗になり、

 今では人類の全てが日本の名と日の丸を知っている。

 鹿児島が古代の小国日本で、

 その名はニップルから出たことは既に確認した。

 そこに日の丸の旗があり、

 それを「日のマル」と呼んでいた。

 それはバベルの主神の名の謎を解き、

 日本語とスメル語との関係と、

 福田のフツデンがなぜ薩摩語なのかを説明しているのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
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 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
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 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年9月21日月曜日

福田は「日の出の」への当て字

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:21頁

 その聖なるラインの基点は阿見町の福田貝塚である。

 それはもうご存知のとおり殷墟から出土した

 「青銅人面盉」(ワシントンのフリア美術館蔵)と

 全く同じ多数のアイテムをもつ

 「人面注口土器」(西宮の辰馬史料館蔵)が、

 この福田貝塚から出土したからである。

 これは両者が同一の信仰と文化をもつ人々の手になるもので、

 稲敷の<イナ>と殷の<イン>とが、

 同じ血、同じ言語、同じ信仰、同じ文化、同じ歴史を

 もつ人々のものであることの、

 動かぬ貴重な傍証であり、

 36度線上に測量し設定された

 レイ・ラインが、単なる偶然ではなく、

 当時はカルデア人以外には見られない天文学と航海測量学の、

 非常な高文化の遺跡であり、

 無形文化財の最たるものが、

 何びとでも自由に地図上で確認できる

 霊域ラインの東西に層をなして現存しているのである。

 またその東端の東にある地名の「福田」も、

 大隅音で「福」は<フッ>、「田」は<デン>で、

 薩摩音では<ホッデン>である。

 これは「日津出(ホッデ)ン」

 すなわち鹿児島語で「日の出の」という

 地名への当て字だったのである。                         .

 これはこの霊域線が、

 西端の殷墟から36度線上を真東に見るもので、

 その東端が「日立=太陽が昇るところ」と呼ばれていることで、

 間違いない事実だと確認できる。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年9月20日日曜日

「手炙り」ではなかった超重要土器

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:20頁

 この比較写真でお判りの通り、

 「手焙り形土器」大阪府船橋遺跡・「フィリピンの手焙り形土器」

 我が国の考古学で

 「手炙り型土器」と呼ばれている土器群は、

 金属を高温で溶炉して細工するための、

 高度の文明器具で、現代の溶鉱炉であり、

 単に寒いからと暖をとる小型の火鉢なんかではない。

 かりに火鉢だったとすれば、それは万人の必要品で、

 少なくとも一家に一つは出土しなければならないが、

 出土数は少なく、それが特殊な用途をもつことを語っている。

 それなのに「手炙り型土器」と呼ぶのは、

 その学問の程度を低く見せると思うが、いかがであろうか?。

 (加治木義博著『日本人のルーツ』保育社カラープックス)

 「インドの金属技術者」

 手焙り形土器の中の木炭を長い吹管で吹いて高熱し、

 金属を溶かして細工する。

 吹管は日本の火吹きと同じ性質の文化で、

 紀元前25世紀のエジプト第5王朝時代の壁面彫刻には、

 すでに似たものが見られる。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年9月19日土曜日

スメル人の本州居住は殷(商)建国以前

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:19頁

 私が少年時代から蓄積した貝類学の知識を活用して、

 青銅貯貝器などに遺されている貝貨を精査した結果、

 貝貨が最も威力を発揮したのは、

 古代中国の殷(商)帝国時代からであって、

 それが物々交換経済を通貨経済に飛躍させ、

 中国に新時代を開いたことが史実であったことと、

 その時、使用された宝貝が総て沖縄海域産だったことが、

 徹底的に確認できた。

 その後、それが貨幣として広く世界で用いられたが、

 のちに金属貨幣に姿を変えたのは、海産の生物では量に限りがあり、

 人類の需要を賄いきれなくなったからであることは、

 古代には辺境に過ぎなかったイギリスでさえ、

 宝貝を「コーリー」と呼んでいる事実からも、

 のちに宝飾品として用いた歴史が全世界に分布していることでも、

 またさらにカリエン人が今も世界の辺境で、

 金属加工業者として金銀銅製品の手工業を生計にしている事実と、

 その携帯用の「手炙(あぶ)り型土器」が、

 わが国で多数発掘されている土器と同型であることなどによって、

 生々しい現実感をもって納得させてくれるのである。

 これで殷以後の中国青銅器文明が、

 結局はカリエン(カルデア人=スメル人)の貨幣経済の副産物であり、

 それは茨城県の稲敷を経由して中国に渡り、

 そのコースに2200kmのレイ・ラインを設定して、

 カルデア天文学の遺物として現在まで残した。ということになる。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年9月18日金曜日

確認できる台湾⇒沖縄⇒九州コース

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:18頁

 ここまで判ると、序でだから、

 九州へはどこから来たのか?調べてみよう。

 伊都国は旁国の斯馬国と一つにされて糸島郡になった。

 だから伊都国は糸国=イトマである。

 すると沖縄にある糸満が「イ・トマの」で、

 沖縄から来たことを教えている。

 これは沖縄語発音には<イト>はなく、<イツ>になるが、

 『魏書倭人章』の伊都という当て字は、

 当時の漢魏音ではぴったり<イツ>と読む。

 帯方郡使が無意識に写した発音が、

 その国名は沖縄からやって来たと明確に、

 証言していたのである。

 しかし沖縄には<ウバ>に当る地名がない。

 それは最西海の与那国見より西。

 海の彼方の国・台湾にある。

 前にお話しした通り、

 タイワンは「大和ン」で

 「大和・ウワの韓」に対する当て字が、

 中国発音でタイワと読まれただけで、

 「大和・糸満」=ウワイト国の(マン)…

 を表現する分割地名そのものだったのである。

 ここで「ウバイド」が「ウワイト」になったことも判る。

 こうして地名が具体的に語ってくれる遷都の史実は、

 縄文時代に沖縄へカルデア人がきてカウレアンと呼ばれ、

 カウレに高麗の文字が当てられ。

 それがタカラと読まれて、

 宝(タカラガイ=貝貨幣)の国と呼ばれ、

 その宝貝は今も全世界でカウリーと呼ばれている。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年9月17日木曜日

九州から関東までの遷都の道筋

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:17頁

 このことは何を私たちに教えてくれるのか?。

 ウバイドの伝統は「遷都」にあったのだから、

 末盧と伊都になる前は、

 そこがウバイド=倭人の都だったということである。

 それが国名を二分して、

 馬津国と伊都国とに分割されているのだから、

 どこかへ遷都した跡だけになっている。

 ここでもう一度『風土記』を読み返してみると、

 『播磨の国風土記』の「宍禾(しさわ)郡」の中に、

 宇波良(ウバラ)という村名と、

 表戸(ウハト)という地名がある。

 宇波良はウバ国のこと、

 表戸はウワ人で、

 漢音で読むと「ヒョウゴ」。

 播唐の国の後身が現在の兵庫県であることに合う。

 しかし九州北部から直接、兵庫県へ遷都したのでないことは、

 国名の播磨が数えている。

 私たちは既に播磨がハリ国であり、

 それは『魏書倭人章』中の

 旁国・巴利国=隼人町が拡大移動した後だと知っている。

 だから九州北部のウバイドは、

 九州南部の隼人に遷都し、

 その後、兵庫県へ遷都したのだと判る。

 それだけでなく、ウバラは「茨」だから、

 茨木は「ウバ国王(ラキ)」で、茨城も同じだ。

 大坂府の茨木へ遷り、さらに関東へ行ったのである。

 そのコースも伊勢の鳥羽から伊豆へ海上を進み、

 さらに千葉の夷隅郡に行き、茨城に落ち着いたことは既に見た。

 倭人の国名、地名は奈良時代以後、徹底的に消された。

 それなのにこんなに残っているのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年9月16日水曜日

末盧と伊都はウバイドの遺物

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:16頁

 たとえば、

 この百済出水(ポセイズン)はギリシャの海神であると同時に、

 馬の神でもある。

 それがタツノオトシゴが「海馬」と当て字されている理由だが、

 それはどちらも長い馬面をしているからである。

 百済は一般には<クダラ>と読まれているが、

 <クダ>はマレー語で馬のこと。

 <ラ>は国を意味する古代日本語の一つだから、

 百済は「馬国」を意味している。

 すると松浦は馬津国で、

 やはり馬の国、完全に同じ意味の地名になる。

 佐賀の北部海岸地帯は東松浦郡で馬の国。

 その東南五百里に牛津がある。

 これは「牛頭」と書いても<ウシヅ>と読める。

 これを普通「ゴヅ」と読むから、

 <五頭>であり<五津>である。

 これは<イヅ>であり、<イツ>でもある。

 『魏書倭人章』の書く

 末盧国は松浦郡で唐津湾。

 そこから東南五百里にピッタリ牛津があるから、

 そこが伊都国であったことは動かない。

 すると伊都の長官は牛頭天王であり、

 それはスメル語の<グヅ>からきた名詞である。

 こう判ってくると伊都は後に位置を変えて、

 松浦の東の恰土になった。

 これは<イド>と読めるから、

 ウバイドの<イド>に合う。

 松浦は馬津国だから馬。

 ウマは大馬(ウマ)で小馬はコマ。

 だとすると大馬は「ウバ」怜土は「イド」、

 ここにもウバイドが二つに分割された国名として生き続けていて、

 3世紀に魏の帯方郡使の手で末盧と伊都と当て字されて、

 明確な記録として残っていたのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
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 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
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 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
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 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
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 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
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2009年9月15日火曜日

牛頭天王と「堂々」の語源もスメル語

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:15頁

 スメル語名詞を日本語として読むシステムの途中で、

 『記・紀』の重要問題に逸れたが、

 次は欠くことのできないものだけをお話ししておこう。

 『ウルカギナの碑文』に

 グド・ドゥドゥと発音する「Gud dudu」という名詞がある。

 Gudは「牡牛」で、duduは在来は「立派な」と訳されてきた。

 スサノオは祇園八坂神社などで

 「牛頭(ごづ)天王」と呼ばれている。

 この<ゴヅ>は沖縄では<グヅ>と発音され、

 これが馬の動きに比べてノロい牛の動作から、

 愚図い、愚図愚図しているという形容詞にもなっている。

 これで「牛頭」がスメル語の

 「グド=牡牛」に対する当て字だったことと、

 「愚図」がその応用語で沖縄発音だったと幾重にも証明されて、

 はっきり確認できる。

 次の「立派な」と訳されてきた

 「ドゥドゥ」も、

 「堂々たる牡牛」という意味なのだから、

 意味不明の日本製形容詞「堂々」は何が語源だったかも、

 また実に明瞭に解る。

 これも沖縄語を頭におくと、本来は「ヅーヅー」だが、

 それが南九州で本土語化して「ドードー」になり

 「堂々」と当て字された経緯まで明確に確認できる。

 こうして証拠の数が増えてくると、

 「水面とスメル」の説明では、

 まだ疑いが残っていた

 「漢字表現の日本語」を中国語の借用だ、

 と思い込んでいたほうが間違っていたとお悟りになったと思う。 

 これは百済出水(ポセイズン)などで判るように、

 語源はスメル語に限らない。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年9月14日月曜日

初めて理解できた『日本書紀』の目的

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:14頁

 その体制整備で最も頭を悩ましたのは言うまでもなく

 女帝制と男帝制との対立だ。

 確かに持統天皇以後、女帝制は回復したが、

 血縁は歴代天皇が天智天皇の皇子女である。

 大化の再来は国の根幹を揺るがし兼ねないし、

 また地方の支配者・国造をどうするか?

 という大問題に直面したからである。

 その結果は、皇女はたとえ姉でも、

 天照大神=斎王として神事を司り、

 皇太子が次の天皇になるという、

 バラモン方式(斉王=ブラフマン、天皇=クシャトリヤ)=

 『日本書紀』式の相続法に移行したことでその経過が判るから、

 『日本書紀』はこのシステムを弁護するために作られた『皇統譜』で、

 それ以前の『帝紀』は、

 それを持っていた諸家から取上げて焼却処分してしまった。

 『古事記』がそれを

 「序文」に天武天皇の意向だったと書くのは責任転嫁だから、

 『記・紀』とは何かという論義は、

 ここまで来ないと本当の結論は出ない。

 だが有り難いことに、

 それまでは「女性が国造だった」という証拠が、

 厳しい官憲の検閲焚書の眼を逃れて残っている。

 それは『播磨国風土記』の

 「讃容郡」弥加都岐原の長文の中にある

 「因幡国造・阿良佐加比賣」である。

 国造だから当然『国造本紀』に載っているはずなのに、

 そこには

 「成務天皇の御世に彦坐王の子・彦多都命を稲葉国造にした」

 とあるだけであって、

 これもまた検閲焚書の実態をまざまざと記録している。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
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 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
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 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年9月13日日曜日

聖徳太子=ウバイド皇子 対 ニップル体制

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:13頁

 天武天皇の幼名が大海人=ウバイドだったことの発見は、

 本講の大きな成果だが、

 これを聖徒太子の幼名=厩戸と比較してみると、

 さらに面白いことが判る。

 ローマ字書きにしてみると

 Umayado で、Ubayd と比較すると、

 U=大、ma=馬、ba=馬、yado=yd

 だから二人とも元は同じ名乗りの

 「ウバイド皇子」だったのである。 

 ただ当て字が違っているだけなのだ。

 こう判ると語源はウバイドだから、

 小馬鹿にした当て字が「馬子」だったことが判る。

 すると全く同時存在の同名のもう一人、

 (蘇我)馬子は、聖徳太子その人を

 二重に表現した架空の人物だったことが、

 正常な頭脳の持ち主なら誰にでも確認できる。

 だから天智の大化改新の真の目的は、

 女帝が君臨してきたウバイド体制を、

 男帝制のニップル体制に大化することだったのである。

 しかしそれは大海人=ウバイド皇子にすぐ倒されてしまった。

 だが虎視耽々と隙を狙っている唐に、

 内紛の実情が暴露することを避けて、

 すでに知られてしまっている

 日本への改名は倭へ戻すことができなかった。

 こうして天智の陰謀は日本という新しい国名を

 生み出しただけの小化に終ったが、

 それをキッカケに内政の見直しが始まり、

 実質的には聖徳太子の改善を、

 より上回る近代的律令国家として、

 急速に整備されていくことになったのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html

2009年9月12日土曜日

神武東征も神武紀元も完全に消滅

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:12頁

 ここまで判ると、従来、かなり信じられていた

 「神武紀元」の大和肇国も「神武東征」も完全に消滅してしまい、

 後にはスメル紀元の「遷都」だけが残る。

 それも今、

 ここで大洪水後の最初の都市国家・

 キシュにまで遡ることが「確認」できたのである。

 では神武とは何だったのか?。

 それは邇芸(ニギ)速日(ソカ)=逃げ蘇我、

 鳥見屋媛・三炊屋媛=豊郷食炊屋姫=推古天皇、

 宇摩志麻遅=ウマ子馬チ=馬木=マキ・ウマコ=厩戸=聖徒太子という

 登場人物の名から既に証明済みのように、

 天智天皇の大化改新こと、

 倭人女帝制を一時的に男帝朝に改めた不成功革命の、

 真相を包み込んだ、やむを得ない「記念品」だったのである。

 彼の革命は天武天皇の反革命で短命に終わったが、

 それは唐の侵略を食い止めたという最大の成功を収めた。

 それをさらに永続させるために、

 対唐宣伝用に作成されたのが『日本書紀』だったが、

 そこに真実を書くことはできない。

 しかし国民は生々しく史実を知っている。

 ただ時が経過すれば、事件の概要は知っていても、

 それが何年何月の事件だったかは、朦朧となることも知っていた。

 こうした洞察と工夫によって、組み立てられたものが、

 神武東征と神武紀元だったのである。

 だから神武天皇は当然、天智天皇自身がモデルだったし、

 その敵は蘇我=ソナカ=ウバイド

 (倭人)女帝国=観世音信仰仏教体制だったのである。

『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年9月11日金曜日

紀州は大和朝廷の起首=「キシュ」

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:11頁

 また<キシュ>は初めて生まれた都市国家の名であることを考えると、

 我が国にも記念すべき国名として、

 どこかに残っていなければならないはずである。

 当然のことだが、それもある。

 紀州がそれだ。

 「紀州は紀伊の国で紀州は略称だ」と反対されそうだが、

 筑州とか豊州とか摂州という略称はなく、

 あべこべに「紀伊の国」というのは、

 『風土記』編纂時代の726年の民部省令、

 「郷名は好字二字で表記せよ」に従って、

 わざわざ余分な「伊」の字を加えたことが判っている。

 紀州は<キシュ>への当て字だった可能牲が限りなく強い。

 さらにもう一つ、紀州は大和朝廷の起首でもある。

 検討済みの淡路島首都時代の天皇だった

 履中天皇・伊邪木(イザナキ)和気が

 沼島から真東に海南市に渡ったのが、

 倭の五王の近畿遷都の起首で、

 そこが紀州の当て字名を今も保存している。

 それに続いて倭王・済=倭済の墨江中王の訓みに合う

 和泉、墨江の地域があり、

 倭王・興=安康天皇に合う

 河内=興王(キ)=コウキ⇒コウチ⇒カワチ、

 倭王・武に合う大和の高市と進んで、初めて大和に入り、

 奈良に移って遷都が一段落した。

 これが大和朝廷成立の真相なのだから、

 ここでも紀州は起首の重要地点に位置している。

 それは都市国家・キシュの記憶と伝承が、

 重く受け継がれた結果であり、

 それはスメル語の

 「キシュ」が「起首」を意味していた事実の、

 反論不可能な証拠なのである。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
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2009年9月10日木曜日

日本語化して初めて解る神格の発展

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学講院義録38:10頁

 ここまで解ると神名のエンヒル・エンキ・アヌが

 何を意味していたか?まで、

 とてもよく見えてくる。

 大河は我が国では「江・エ」と呼ぶ。

 <ン>は助詞の「の」。

 ヒルは「神」だから、エンヒルは「大河の神」。

 エンキは「大河の王」にピッタリ合う。

 これまでエンヒルは「大地の神」。

 エンキは「水の神」だとされてきたが、

 水面は大地に優る通路になり、

 人を助ける水面の支配者という意味に発展したから、

 エリヅも選り水から「選り津」に意味が変わったのである。

 こうして日本語として読んだ方が、

 よりよく名詞の意味が理解できる。

 この事実を放置しておいては必要な史実の復元はできず、

 貴書な証拠も無になるのである。

 ではエレチの神・アヌは何を意味するか?。

 沖縄へくると n=m でアム、

 奄美ではアマ、

 鹿児島ではアメになる。

 天と雨と海を意味するから、

 天はその水を降らせて与えてくれる神、

 雨はその水そのもの、

 海はそれが大量に溜ったものであり、

 さらに広大な水面で人々を富み栄えさせる神で、

 水の神を超えた大神として、

 具体的な崇敬対象になる。

 これをみると、スサ文明の信仰体系がどんなもので、

 それがどう進展していったのかが、鮮明に見えてくる。

 またそれとの関連で国名を見ると、

 それがどんな思想で命名されたものかもまた明白になり、

 私たちの先祖がどういうふうに文化を築き上げて来たのかまで解る。

 『参考』

 小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書:『メソポタミア世界』 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm
 オリエントより日本への遷都:『言語復原史学会:加治木義博』 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/blog-category-11.html
 シュメル-人類最古の文明:『小林登志子』中公新書 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/category9-20.html http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html
 「古代オリエントの地名一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E5%9C%B0%E5%90%8D%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E3.82.A4.E3.83.A9.E3.83.B3.E9.AB.98.E5.8E.9F
 「古代オリエントの用語一覧」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E8%AA%9E%E4%B8%80%E8%A6%A7
 「メソポタミア神話」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BD%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「バビロニア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「ギリシア神話」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1
 「オリエント学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E5%AD%A6
 「アッシリア学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%AD%A6
 「中国学」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%AD%A6
 「ギルガメシュ叙事詩」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%83%A5%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9  http://www.aurora.dti.ne.jp/~eggs/gil.htm
 「フェニキア」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「古代エジプト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88
 「ヒッタイト」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%88
 「アナトリア半島」  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%8D%8A%E5%B3%B6
 「新潮社」五〇〇〇年前の日常―シュメル人たちの物語―  http://www.shinchosha.co.jp/books/html/603574.html