2014年11月30日日曜日

神坐日向神社と大三輪氏⑥


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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:802頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 神坐日向神社と大三輪氏⑥

  『古事記』が記す大田田根子の祖

 櫛御方神、飯肩巣見命、建甕槌命を現在祭神としているのが

 神坐日向神社である。

 延喜式神名帳に「神坐日向神社大」とある神社で、

 桜井市三輪字御子宮に鎮座する。

 そして、その日向御子神を祭っているのが高宮社で

 三輪山の頂、神峯(こうのみね)に鎮座する。

 双方とも大神神社の摂社であり、

 三輪氏と強い縁(ゆか)りのある社である。

 日向社が三神を祭神としているが、」
 
 実際のところその祭神は史料においても確定しがたいのが実情である。

 「日向御子」を解くことがその秘密を解く術となる。

 日向は「日に向う」ことで「東」と解釈されている。

 その背景についてはここでは省くが、

 その概念に「光輝」がある。

 「高宮」、神事の「コウ」は、

 単に「高い」「かみの」をいっているのではない。

 これはサンスクリット語の gaura の転訛で「光輝、光明」を表わす。

 三輪山の山頂にあるに相応しい名称である。

 そして、大物主神に新しい神格で現れる。

 つまりサンスクリット語の divasa (ダイブサ)で「日、昼」を表わす。

 同語は aha と同義で、同類語に dhan,ahana,ahar があり、

 これまで「オホ、オフル」の祖語として紹介してきた。

 つまり、大物主神は「光明」の神である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年11月29日土曜日

神坐日向神社と大三輪氏⑤


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:800・801頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 神坐日向神社と大三輪氏⑤

 「陶津耳命」「陶邑」などの職に係わる地名に対応し、

 大田田根子が禰宜として土器を作る技術を

 持っていなければならなかったと述べたのは

 この祖名よっても理解される。

 第5代の甕尾命などの名前は二重口縁壺の底を

 象徴したもので、

 御気主、御気持名が二重口縁壺を

 提供する主であることを示している。

 そして、鴨、賀茂の「カモ」は khamat で「穴持」で

 これも二重口縁壺というものである。

 ここに二重口縁壺である櫛𤭖玉大物主神と

 大穴持である大国主神が習合していることをみることができる。

 三輪山周辺から出土した壺で「横瓮」と呼ばれているものには

 穴が開いていなかった。

 それは3世紀に属するものであろう。

 その後およそ4世紀の始めから各地の古墳で

 祭祀に用いられるようになった二重口縁壺は大田田根子以降の

 大神神社によって、

 祈祷者が穴を穿ち易い壺かあるいは穴が開けられた状態の壺が

 提供されたと考えられる。

 なお、 ghata の gha は megha 弥伽と同音で

 漢音写では「伽」と表記される。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

神坐日向神社と大三輪氏④


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:799頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 神坐日向神社と大三輪氏④

  この系図の命(みこと)名に目立つのは

 「ミカ、ミケ」「カタスミ」である。

 前者は甕と同音で「壺、瓶、甕」である。

 また肩、片、賀田の「カタ」はサンスクリット語の

 ghaṭa で「瓶、壺、水差し」を、

 巣見、隅の「スミ」は śami で「仕事、労働」を表わし、

 ghaṭa-śami は「陶工」を表現するものである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年11月28日金曜日

神坐日向神社と大三輪氏③


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:798頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 神坐日向神社と大三輪氏③

  大田田根子の祖について、

 『記・紀』は大物主大神とするが、

 三輪高宮系図では

 大国主命の都美波八重事代主命としている。

 これは大国主神と大物主神が習合された後の解釈と

 みられるが、

 それは大田田根子の時代つまり崇神天皇の時代には

 すでにその習合がなされていたものと察することができる。

 太田亮が姓氏家系大辞典でその系統を纏めているので

 それに沿い略記してみる。

 <1>大国主神

 <2>事代主神

 <3>天日方奇日方命

   「姓氏録」には

  大物主神の男、久斯比賀多命、又は櫛御方命とあり、

  『日本書紀』に

  「父は大物主大神、母は活玉依媛、陶津耳の女、

   別の説では奇日方天日方武茅淳祇の女」とある。

  またの名は阿田都久志尼命という。

 <4>健飯勝命

  天日方奇日方命の子、『古事記』の飯肩巣見命

 <5>健甕尻命
 
  健飯勝命の子、健甕槌命、健甕之尾命

 <6>豊御気主命
 
  健甕尻命の子、健甕依命

 <7>大御気主命

  豊御気主命 <8>二男子の父 

 <8>阿田賀田主命 吾田片隅命

  健飯賀田主命 『古事記』は飯肩巣見命の子とする。

 <9>大田田禰古命

  健飯賀田須命の子、『古事記』は健甕槌の子とする。

  大直禰古命

 <10>大御気持命 大田田禰古命の子、<11>三男子の父 

 <11>大鴨積命 大賀茂都美命(鴨朝臣、鴨氏の祖)、加茂君

  大友主命、『日本書紀』推任天皇に三輪君祖大友主、

  仲哀天皇に大三輪大友主君、大神君田田彦命

  『日本書紀』仲哀天皇に神部直、大神部直

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
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 鳥居のルーツ

神坐日向神社と大三輪氏②


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:797頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 神坐日向神社と大三輪氏②

  『古事記』には

 「大物主大神、陶津耳命の女、活玉依毘売を娶して生める子、

  名は櫛御方命の子、飯肩巣見命の子 、建甕槌の子、

  僕意富多多泥古ぞ」と言わせている。

 「陶津耳命」、『日本書紀』の「茅淳県陶邑」とある

 「陶」は大物主神を祭祀する禰宜(祝)が

 土器(陶器)を作る技術を

 備えていなければならなかった事情を示唆している。

 𤭖玉である二重口縁壺などを製作する技量である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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2014年11月26日水曜日

神坐日向神社と大三輪氏①


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:796頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 神坐日向神社と大三輪氏①

  大神神社の奉祭氏族としては大三輪氏

 あるいは三輪氏がよく知られる。

 この氏族は大田田根子に始まる。

 彼が三輪山を祭るようになったのは崇神天皇の時代からである。

 そして『記・紀』は

 それ以前に三輪山信仰が衰えていたことを示唆する。

 大物主神の御子神を皇后とした神武天皇の皇孫が

 大物主信仰を尊重したことは当然だが、

 しかし、崇神天皇の時代かその前の開化天皇の時代あたりに

 その勢力が三輪山周辺の覇権か奉祭権を

 失ってしまったと考えられる。

 つまり新しい権力集団がこの地域に進攻してきたといいうる。

 その支配者たちは大物主神への奉祭を重要視しなかった。

 そのため社会は疲弊し疫病が広がった。
 
 その時巫女である倭迹迹日百襲姫による神託(『日本書紀』)、

 あるいは崇神天皇の夢に大物主神が直接顕れて(『古事記』)、

 旧来に復して大物主神を

 大田田根子に斎き祀らせるよう託したのである。

 大田田根子は『日本書紀』では茅淳県陶邑にいた。

 大物主神の御子神を皇后とした神武天皇の皇孫が

 大物主信仰を尊重したことは当然だが、

 しかし、崇神天皇の時代かその前の開化天皇の時代あたりに

 その勢力が三輪山周辺の覇権か奉祭権を

 失ってしまったと考えられる。

 つまり新しい権力集団がこの地域に進攻してきたといいうる。

 その支配者たちは大物主神への奉祭を重要視しなかった。

 そのため社会は疲弊し疫病が広がった。
 
 その時巫女である倭迹迹日百襲姫による神託(『日本書紀』)、

 あるいは崇神天皇の夢に大物主神が直接顕れて(『古事記』)、

 旧来に復して大物主神を

 大田田根子に斎き祀らせるよう託したのである。

 大田田根子は『日本書紀』では茅淳県陶邑にいた。

 『古事記』では意富多多泥古と表記し、

 河内の美努村にいた。

 「大」「意富」は彼が「オホ」に縁りの者であることを示す。

 「田田」は「授けられた」あるいは「選ばれた」の意味で、

 「根子」「泥古」は祭官「禰宜」である。

 「河内の美努村」「茅淳県陶邑」は大阪府堺市辺りとされているが、

 後に考察する。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年11月24日月曜日

大国主神の奉祭支族:都農神社④


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 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:795頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 大国主神の奉祭支族:都農神社④

 大阪市住吉はかって墨江(すみのえ)であったが、

 これは大阪湾をいう。

 『古事記』の「血沼(ちぬ)海」、

 『日本書紀』の「葦淳(ちぬ)海」で、

 「チヌ」は墨で「黒」の意味である。

 このチヌこそ「都農」の祖語である。

 漁師の専門用語で九州方面から伝わった

 「葦淳鯛(ちぬたい)」は黒鯛のことである。

 都濃町の南、川南町に平田川へ流入する川で黒鯛川があり、

 黒鯛の地名がある。

 七福神に「大黒天」がいるが、彼には鯛がつきものである。

 その理由はこの「チヌ」にある。

 そしてその祖像が大国主(大黒主)神であることは知られているが、

 仏教が入ってきてから自在天の化身である

  mahākāra (大黒)と習合したものである。

  都農神社は大黒主(大黒主)神を祀る「黒神社」である。

 都農川の北方に心見川が流れ、心見の地名もあるが、

 これはサンスクリット語の意味する śyama の転写であり、

 心見川は「黒川」である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

大国主神の奉祭支族:都農神社③


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:794頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 大国主神の奉祭支族:都農神社③

  都農神社が祭神を二座としているのは

 「男一人女一人」に依拠した配慮であろうか。

 この中で注目されるのは「頭黒」で、

 彼等が神人であることである。

 「吐乃ノ大明神」とは都農神社の祭神で「頭黒の神人」である。

 逸文の伝承は事実とはいえそうもないが、

 「吐乃ノ大明神」の背景に「黒」があったから、

 このような話となったと推測される。

 吐濃峯とは都農神社の後方にある岩山とみられ、

 「大明神」とは大国主神である。

 三輪山の大神神社の祭神が

 「大国主神」であったとの見解を述べたが、

 「頭黒」はその大国主から発想された神人であろう。

 というのも「吐乃」である「都農」が「黒」を意味しているからである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
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2014年11月23日日曜日

大国主神の奉祭支族:都農神社②


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 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

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 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:793頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 大国主神の奉祭支族:都農神社②

  この一帯は「『三国志』「魏書」第30巻烏丸鮮卑 東夷伝倭人条

 に載る「投馬国」でもあり、投馬は「富」である。

 ここが投馬国である一つの証は、

 その官名「弥弥」が

 日向市の美々津町名及耳川にその名を遺していることである。

 風土記日向国逸文に「吐濃峯」の一文がある。


 日向國古庚郡、常ニハ兒湯郡トカクニ、吐濃ノ峯ト云フ峯アリ。

 神ヲハス、吐乃大明神トソ申スナル。

 昔シ神功皇后新羅ヲウチ給シ時、此ノ神ヲ請シ給テ、御船ニノセ給テ、

 船ノ舳ヲ護ラシメ給ケルニ、新羅ヲウチトリテ帰リ給テ後、

 韜馬ノ峯ト申ス所ニヲハシテ、弓射給ケル時、

 土ノ中ヨリ黒キ物ノ頭サシ出ケルヲ、

 弓ノハズニテ堀出シ給ケレバ、男一人女一人ソ有ケル。

 其ヲ神人トシテ召仕ヒケリ、其ノ子孫今ニ残レリ。

 是ヲ頭黒ト云う。

 始テホリ出サルル時、頭黒サシ出タリケル故ニヤ、

 子孫ハヒロゴリケルカ。

 疫病ニ死シ失テ、二人ニナリタリケリ。

 其ノ事ヲカノ國ニ記ニ云ヘルニハ、

 日々ニ死ニツキテ僅ニ残ル男女両口ト云ヘリ。

 是 國守神人ヲカリツカヒテ國役シタガワシムル故ニ、

 明神イカリヲナシ給テ、アシキ病起リテ死ニケル也。

 是ヲ思へバ、男女ヲモ口トハ云フベキニコソト覚ルナリ。

 吐濃大明神疱瘡ヲマジナフニ、必ズイヤシ給トカヤ、

 カノ國ノ人ハ明神ノ御方ニ向テ、頌文シテ云。五常以汝為高、

 今者此物高於汝、若有懐憤、宜令平却ト唱ヘテ、杵ト云フモノヲシテ、

 朝ゴトニ三度アツルコト三日スレバ、疱瘡イユト云ヘリ。

 コトノツイデナレバシメス。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
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2014年11月22日土曜日

大国主神の奉祭支族:都農神社①


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 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

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 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:792頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 大国主神の奉祭支族:都農神社①

  宮崎県児湯郡都農町に都農神社が鎮座する。

 延喜式神名帳に日向国児湯郡に載るが、

 その社殿に神武天皇が東征の出立に際し宮崎の宮を発った後、

 この地で武運長久を祈念して鎮祭したという古社である。

 同社の祭神は大己貴命、大国主命と、
 
 同神とされる二神名を並列させている、

  同社神域の西方に藤見の地名がある。

 これは「トウミ」と訓め、「トミ」に通じ、

 大和盆地の古族登美氏族、

 また出雲の富氏と大国主神を奉祭していた氏族名に共通する。

 この都農町のある児湯郡辺りには「富」の付く地名が目立つのである。

 日向市の富高・富島、

 西都市岡富、新富町富田、国富町、

 宮崎市富吉で都農神社を取り巻いている。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年11月21日金曜日

恵雲と八雲②


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 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

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 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:791頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 大穴持命と出雲(2)恵雲と八雲②

  出雲の名称については出雲風土記に説明がある。

   出雲と号(なづ)くる所以は八束水臣(みずおみ)津野命、

  詔りたまひしく「八雲立つ」と詔りたまひき。

  故八雲立つ出雲といふ。


  この水臣は「安部」にいた者であろう。

 その條(くだり)によると出雲は八雲と同義であると判断できる。


 《参考》

 「八雲立つ出雲の国」は〔狭布の推国〕。

 所以号「意宇」者。國引坐 "八束水臣津野命" 詔、

 「八雲立出雲國 者、狭布之推國在哉。初國小所作。故將作縫詔而

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

恵雲と八雲①


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:790頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 大穴持命と出雲(2)恵雲と八雲①

  三輪山大神神社の山麓に出雲屋敷の旧跡があり、

 そこは比売多多良伊須気余理比売命の

 住居(屋敷)があったところで、

 「イヅモ」が iṣumat で「矢持」の意味であった。

 Iṣu (矢)はまた iṣ に通じ「神酒、天に湛える爽快な水」で

 雨の比喩名であった。

 このことによると

 「出雲:雲を出るもの」が「雨」であることを理解できる。


  八束郡東出雲町出雲郷の阿陀加夜神社のある地籍は

 「竹花」という。

 そのすぐ北隣りは松江市竹矢町であるが、

 実は竹花、竹矢は同義である。

 「花」がサンスクリット語の hāna の音写で

 「矢」の語義であるからである。

 「竹」は既にみたように大国主神であり、

 阿太加夜努志、大穴持命で、

 竹花・竹矢は「大国主神の降らす雨」の意味で出雲と同義となる。

 出雲郷から遠くない八雲村日吉・岩坂の境に雨包山があるが、

 その東側周辺に安部地区がある。

 これは水を意味する ambu あるいは ambu-da (雲) に依る。

 出雲には「矢」の付く地名が極めて多い。

 八雲村の熊野山(天狗山)への矢谷、

 松江市の竹矢町に接した矢田町、

 安来市矢田、

 出雲市矢尾町・矢野町、鹿島町の一矢などである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ