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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:784頁
第十二章 大国神と大物主神
大国主神の奉祭氏族(3)出雲族⑤
出雲風土記から「タカ(多久)」のつく神社を拾ってみる。
○嶋根郡 多気社(松江市上宇部尾町多気神社)
○楯縫郡 多久社(平田市多久町多久神社)
○神門郡 多吉社(簸川郡多伎町多岐多岐神社)
○神門郡 多支枳社(簸川郡多伎町口田儀多伎芸神社)
○神門郡 多吉社(簸川郡多伎町多岐多岐神社境内大穴持神社)
○神門郡 多支社(簸川郡多伎町小田尾若権現社に比定)
○神門郡 多支支社(簸川郡多伎町口田儀多伎芸神社境内、
旧社地奥田儀の田尻谷という)
○飯石郡 多加社(飯石郡吉田村杉戸大歳神社に比定)
その他、出雲郡に多義村が載る。
これは現大原郡加茂町大竹に比定されており、
その近く斐川町の学頭に大黒山がある。
阿陀加夜 ādi-gaya が
出雲の太初の種族であることを紹介したのであるが、
この名称が三輪山周辺にも遺っていることを説明しておきたい。
阿陀が「小田」と転訛して多岐町にあるが、
この ādi が桜井市芝地区の小字「織田」となっている。
また芝のすぐ東三輪山との間が茅原(ちはら)であるが、
これはまた「カヤハラ」と訓め「カヤ」は gaya の音写で、
合わすと「阿陀加夜」と同音となる。
また芝の北の箸中の向うには太田地区があり、
これも ādi の転訛である。
同地には天照御魂神社が鎮座するが ādi は「太初の」の他に
「太陽」を語義としており、その祖語に相応しい。
同社は延喜式神名帳の大和国城上郡に載る
「他田坐天照御魂神社大」に比定されている。
これらの名前も阿陀加夜怒志である
大神神社の大国主神に係わるが、
その奉祭氏族、礒城氏族を含む登美族を称したものと考えられる。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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