2014年11月26日水曜日

神坐日向神社と大三輪氏①


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:796頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 神坐日向神社と大三輪氏①

  大神神社の奉祭氏族としては大三輪氏

 あるいは三輪氏がよく知られる。

 この氏族は大田田根子に始まる。

 彼が三輪山を祭るようになったのは崇神天皇の時代からである。

 そして『記・紀』は

 それ以前に三輪山信仰が衰えていたことを示唆する。

 大物主神の御子神を皇后とした神武天皇の皇孫が

 大物主信仰を尊重したことは当然だが、

 しかし、崇神天皇の時代かその前の開化天皇の時代あたりに

 その勢力が三輪山周辺の覇権か奉祭権を

 失ってしまったと考えられる。

 つまり新しい権力集団がこの地域に進攻してきたといいうる。

 その支配者たちは大物主神への奉祭を重要視しなかった。

 そのため社会は疲弊し疫病が広がった。
 
 その時巫女である倭迹迹日百襲姫による神託(『日本書紀』)、

 あるいは崇神天皇の夢に大物主神が直接顕れて(『古事記』)、

 旧来に復して大物主神を

 大田田根子に斎き祀らせるよう託したのである。

 大田田根子は『日本書紀』では茅淳県陶邑にいた。

 大物主神の御子神を皇后とした神武天皇の皇孫が

 大物主信仰を尊重したことは当然だが、

 しかし、崇神天皇の時代かその前の開化天皇の時代あたりに

 その勢力が三輪山周辺の覇権か奉祭権を

 失ってしまったと考えられる。

 つまり新しい権力集団がこの地域に進攻してきたといいうる。

 その支配者たちは大物主神への奉祭を重要視しなかった。

 そのため社会は疲弊し疫病が広がった。
 
 その時巫女である倭迹迹日百襲姫による神託(『日本書紀』)、

 あるいは崇神天皇の夢に大物主神が直接顕れて(『古事記』)、

 旧来に復して大物主神を

 大田田根子に斎き祀らせるよう託したのである。

 大田田根子は『日本書紀』では茅淳県陶邑にいた。

 『古事記』では意富多多泥古と表記し、

 河内の美努村にいた。

 「大」「意富」は彼が「オホ」に縁りの者であることを示す。

 「田田」は「授けられた」あるいは「選ばれた」の意味で、

 「根子」「泥古」は祭官「禰宜」である。

 「河内の美努村」「茅淳県陶邑」は大阪府堺市辺りとされているが、

 後に考察する。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ
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