2014年11月29日土曜日

神坐日向神社と大三輪氏⑤


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:800・801頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 神坐日向神社と大三輪氏⑤

 「陶津耳命」「陶邑」などの職に係わる地名に対応し、

 大田田根子が禰宜として土器を作る技術を

 持っていなければならなかったと述べたのは

 この祖名よっても理解される。

 第5代の甕尾命などの名前は二重口縁壺の底を

 象徴したもので、

 御気主、御気持名が二重口縁壺を

 提供する主であることを示している。

 そして、鴨、賀茂の「カモ」は khamat で「穴持」で

 これも二重口縁壺というものである。

 ここに二重口縁壺である櫛𤭖玉大物主神と

 大穴持である大国主神が習合していることをみることができる。

 三輪山周辺から出土した壺で「横瓮」と呼ばれているものには

 穴が開いていなかった。

 それは3世紀に属するものであろう。

 その後およそ4世紀の始めから各地の古墳で

 祭祀に用いられるようになった二重口縁壺は大田田根子以降の

 大神神社によって、

 祈祷者が穴を穿ち易い壺かあるいは穴が開けられた状態の壺が

 提供されたと考えられる。

 なお、 ghata の gha は megha 弥伽と同音で

 漢音写では「伽」と表記される。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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