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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:785頁
第十二章 大国主神と大物主神
大穴持命と出雲(1)熊野神社と来待神社①
風土記は8世紀の中頃編纂されたものだが、
それから250年後の延喜式神名帳の出雲国のうちに
「大穴持」を社名とする神社が意宇郡に3社、出雲郡に6社ある。
「大穴持命」は出雲国造神賀詞にも述べられる
出雲国特有の神名であろう。
八束郡宍道町来待に延喜式神名帳意宇郡に載る
来待(きまち)神社が鎮座する。
祭神は大物主櫛瓶玉命で社伝によると
崇神天皇の頃大和国三輪山から勧請されたという。
同社の東方上来待神社に佐久田神社が鎮座するが、
「サクタ」は大物主神であるインドラ神の剣をいうものである。
同社の周辺佐倉は śakra でインドラ神の尊称である。
来待川の西方の白石地区の「才」には同じく神名帳に載る佐為神社、
下白石に佐為高宮神社が鎮座するが、
佐為は佐伊で大神神社の摂社名に係わる。
高宮も同じく三輪山の頂の高宮神社に係わる。
ここで注視するのは来待で、「キマチ」がサンスクリット語の
kha-mat の音写で、その意味が「穴持」であることである。
Kha はこれまで
紀伊国の「紀」あるいは「香」として紹介してきた用語で、
そこでは「空虚、虚空、天空」と説明したが、
また「穴」をも含んでいる。
「キマチ」は「穴を備えた、穴持」で
「瓶玉」あるいは「𤭖玉」そのものを表わしているのである。
ここに大物主神と大穴持命とが習合している様子がよく知られる。
崇神天皇の時に大田田根子が三輪山を奉祭するようになり、
大物主神が当地方へ入ってきたものであろう。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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