2014年11月17日月曜日

大穴持命と出雲(1)熊野神社と来待神社③


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:787頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 大穴持命と出雲(1)熊野神社と来待神社③

 「加夫呂伎」は「神祖」とも表記されている。

 大穴持命といってもここでは久那斗神名である。

 Khana は穴ではあるが、「坑」「穴を掘る」で、

 久那斗 khanati(te) 、また khanitr (掘る者)に近い。

 熊野大社は「日本火出初社」として知られる。

 毎年十月十五日には鑚火(きりび)祭が行われる。

 この祭事で火を鑚り出すのに鑚臼(実)鑚木が用いられる。

 鑚臼は一枚の板で、鑚木は一本の棒で杵という。

 鑚木(杵)鑚臼に穴ができるように挽り込んで火を興すのである。

 この「穴を掘る杵」こそ毛野(気野)である「御気野命」にして
 
 久那斗神なのである。

  意宇の山狭に火を興す神が鎮座するのはなぜだろうか。

 それはここで金属生産ないし加工(鍛冶)が行われていたからである。

 金属業にとって火は不可欠である。

 「加武呂/加夫呂」を

 サンスクリット語の kamara (鍛冶工、金属工)とさえ考えられる。

 熊野の東側の岩坂には田村神社が鎮座し、

 祭神を金山毘古、金田(きんだ)明神としている。

 久那斗は後に「キヌタ:砧」と変化しており、

 「金田」はその砧であり、

 金山毘古神は製鉄の神としてよく知られている。

 ただし「田村」が tamara の音写とすると「銅」を表わすので

 銅加工が行われていたとみられる。

 その北方桑並川の下流に志多備神社が鎮座するが、

 「志多」は鉄、「備」は鞴(ふいご)と同義で炉を表わし、

 この神社名は「鉄炉」である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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