2014年11月23日日曜日

大国主神の奉祭支族:都農神社②


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:793頁

 第十二章 大国主神と大物主神

 大国主神の奉祭支族:都農神社②

  この一帯は「『三国志』「魏書」第30巻烏丸鮮卑 東夷伝倭人条

 に載る「投馬国」でもあり、投馬は「富」である。

 ここが投馬国である一つの証は、

 その官名「弥弥」が

 日向市の美々津町名及耳川にその名を遺していることである。

 風土記日向国逸文に「吐濃峯」の一文がある。


 日向國古庚郡、常ニハ兒湯郡トカクニ、吐濃ノ峯ト云フ峯アリ。

 神ヲハス、吐乃大明神トソ申スナル。

 昔シ神功皇后新羅ヲウチ給シ時、此ノ神ヲ請シ給テ、御船ニノセ給テ、

 船ノ舳ヲ護ラシメ給ケルニ、新羅ヲウチトリテ帰リ給テ後、

 韜馬ノ峯ト申ス所ニヲハシテ、弓射給ケル時、

 土ノ中ヨリ黒キ物ノ頭サシ出ケルヲ、

 弓ノハズニテ堀出シ給ケレバ、男一人女一人ソ有ケル。

 其ヲ神人トシテ召仕ヒケリ、其ノ子孫今ニ残レリ。

 是ヲ頭黒ト云う。

 始テホリ出サルル時、頭黒サシ出タリケル故ニヤ、

 子孫ハヒロゴリケルカ。

 疫病ニ死シ失テ、二人ニナリタリケリ。

 其ノ事ヲカノ國ニ記ニ云ヘルニハ、

 日々ニ死ニツキテ僅ニ残ル男女両口ト云ヘリ。

 是 國守神人ヲカリツカヒテ國役シタガワシムル故ニ、

 明神イカリヲナシ給テ、アシキ病起リテ死ニケル也。

 是ヲ思へバ、男女ヲモ口トハ云フベキニコソト覚ルナリ。

 吐濃大明神疱瘡ヲマジナフニ、必ズイヤシ給トカヤ、

 カノ國ノ人ハ明神ノ御方ニ向テ、頌文シテ云。五常以汝為高、

 今者此物高於汝、若有懐憤、宜令平却ト唱ヘテ、杵ト云フモノヲシテ、

 朝ゴトニ三度アツルコト三日スレバ、疱瘡イユト云ヘリ。

 コトノツイデナレバシメス。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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