2014年10月31日金曜日

大国主神の奉祭氏族(3)出雲族①


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:780頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国主神の奉祭氏族(3)出雲族①

  「タカ」は大国主神と不離の用語である。

 第11章「剣を地名とする地名」で紹介した

 茨城県真壁郡大和町の大国主命を祭る大国玉神社の隣りに

 鎮座する高久神社名及びその地区名「高久」は明らかに

 「大国主神」に係わるものである。

 そしてこの「タク」が多くみられるのが出雲である。

 「出雲風土記」の神門郡に「多伎郡」があり、

 「天の下造らしし大神の御子、

  阿陀加夜努志多伎吉比売坐す。

  故、多吉といふ。

  神亀3年、字を多伎と改むとある。」 

 「天の下造らしし大神」とは、同郡の「八野(やの)郡」に

 「天の下造らしし大神、大穴持命」とあり、

 大穴持命(出雲特有の大国主神の尊名)を表わす。

 既に数回述べたように「阿陀加夜努志」は

 サンスクリット語の ādi-gaya の転写で、

 主(努志)を添えた名称で、「太初種族の主」という意義で

 「多伎吉比売命」は『古事記』にいう

 「天の下という造らしし大神」に合致する。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
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2014年10月30日木曜日

大国主神の奉祭氏族(2)物部氏④


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:779頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国主神の奉祭氏族(2)物部氏④

 かって富雄村に属していた現在の石木町に登弥神社が鎮座する。

 同社は延喜式神名帳にも添下郡に同名で記載されている。

 石木は石堂と木島が合併した地名であるが、

 石堂はサンスクリット語の

 「女人」を意味する īṣtr の転訛と考える。

 というのも登弥は

 ラテン語で donina 、

 ギリシャ語で οάμε で
 
 サンスクリット語で devi となり、

 日本の古典に「止女、斗売」となっている用語の転訛とみられ、
 
 それらの語義は「婦人、夫人、女王」また「女神」を表わし、

 登美夜毘売に係わる神社と考えるからである。

 「大和史料」は

 「鳥見明神ハ図説ニ謂ユル饒速日夫妻ノ庿社ニシテ」と

 推測している。

 「神社霰録」は祭神について饒速日命とし、

 現在本殿の西殿に「登美饒速日命」の名称で祀られており、

 同神が登美の入婿神であるような表現が用いられている。

 「饒」の語義は「豊かにする、増す、豊か」で、

 また訓に「トミ」があり、まさに「富」と同じである。
 
 饒速日は「富速日」で「トミハヤヒ」と訓むことができるのである。

 東殿には高皇産霊神が祀られているが、

 この神名は竹玉(臼玉)の神格化されたものであることは

 既に述べた。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
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2014年10月28日火曜日

大国主神の奉祭氏族(2)物部氏③


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 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:778頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国主神の奉祭氏族(2)物部氏③

 登美族が三輪山信仰に関係していたことはすでに述べたが、

 富雄にある地名「三碓(みつがらす)」がそれを説明する。

 「碓」は「臼」であるが、臼を何故「ガラス」と呼ぶのだろうか。

 「ガラス」はサンスクリット語の gharas (摩擦) あるいは

 gharsana (摩擦、挽くこと、擦り込むこと)の転訛で

 「臼」を表わす。

 三輪山周辺で出土した遺物の中の臼玉(竹玉、菅玉)を

 「大和史料」は「切子玉」と表記しており、

 切子がガラスであることに相違ない。

 「碓」は大神神社の信奉に係わる臼玉の名であり、

 「三碓」は「三輪」をいったものであることがわかる。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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大国主神の奉祭氏族(2)物部氏②


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 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:777頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国主神の奉祭氏族(2)物部氏②

  前章の「阿部氏の多」において

 登美毘古の本拠地が桜井市外山であることを紹介したが、

 その妹登美夜毘売と饒速日命の本拠地は奈良市の西部で、

 登美、鳥見、富雄、三碓みつがらすの地名が

 広がる地域である。

 同地の生駒市を越えた大阪府交野市私市には磐船神社が鎮座し、

 饒速日命の降臨した伝承を持つことでよく知られる。

 神武天皇東征に際し登美毘古が強力に抵抗したのは

 この生駒市辺りであろう。

 讃良郡周辺を拠点とするヤーダヴァ族(登美族)は

 この地方では強力であったのである。

 奈良市西部が登美夜毘売の支配地であったことは

 以下の状況で判断できる。

 まず富雄は「トミヤ」で「登美夜」の転訛である。

 富雄元町の北川西は桜井市の河西と同根で

 橿原市の川西、また磯城郡川西町があるように

 単に「川の西」ではない。

 埼玉県の稲荷山古墳の鉄剣に刻銘された「多氏族」にある

 「加抜次」とも同根で、

 高市郡の名称ともなっている王族、王侯を表わす用語である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
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2014年10月27日月曜日

大国主神の奉祭氏族(2)物部氏①


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 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

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 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:776頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国主神の奉祭氏族(2)物部氏①

  師木県主・礒城黒速の系譜が衰えた後に

 師木に勢力を張ったのが物部氏であろう。

 天孫本紀は孝元天皇の皇妃欝色謎(内色許売命)の

 兄大綜杵の孫建新川を「倭志紀縣主の祖」とする。

 饒速日命(物部)―登美夜比売(登美)の氏族が

 師木氏族と血縁を持った史料は

 天孫本紀の建新川より5代前

 出石心大臣命の兄出雲醜大臣命が

 倭志紀彦(師木津日子)の妹真鳥姫を后としたことに始まる。

 この頃に三輪山信仰に大国主神を加えて

 代物主神が加えられたことも考えられる。

 物部・登美氏に連なる大毘古命の阿部氏が

 強盛になったのはこの頃であろう。

 彼等も崇神天皇の皇后として御真津比売命を送る。

 孝元天皇に皇后内色許売命を送った当時の頭主は

 その父大矢口宿根であろう。

 彼等が師木に志貴御県坐神社を創設したのはその頃であろう。


 物部氏が金(属)加工(細工)技術者を抱えて

 大和盆地に渡来して来たことは明白であり、

 その金属加工の拠点の一つが「金屋」で

 同社が鎮座する現在の地名である。

 彼等はここでメスリ山古墳(桜井市高田)で

 大量に発掘された銅鏃などを製造したのであろう。

 後に欽明天皇の宮殿になる「金刺」はその理由による。

 「刺」はサンスクリット語のsajya (弓弦) を祖語とし

 佐土野に係わる。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年10月26日日曜日

大国主神の奉祭氏族(1)礒城氏⑤


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 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:775頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国主神の奉祭氏族(1)礒城氏⑤

 「二柱相副ひて、針間の氷河の前に忌甕を居ゑて」とある

 忌甕(𤭖玉:二重口縁壺)を斎る大神神社の信奉者である。

 日子寝間命は「針間の牛鹿臣の祖なり」、

 日子刺肩別命は

 「高志の利波臣、同前臣、五百原臣、角鹿の海直の祖なり」とある。

 孝霊天皇の皇后細比売命について

 『日本書紀』に「磯城縣主大目が女なり」とあるが、

 『古事記』には「十市縣主の祖、大目の女」とあり、

 判断しがたい。

 ただし、伝承では十市縣主は磯城縣主より分かれたものとあり、

 同族であったとも見られる。

 このように弟師木黒速の後裔は

 「師木王朝」と言ってもよいような権勢であったが、

 第7代孝元天皇が

 登美毘古の妹登美夜毘売と邇芸速日命の後裔である

 内色許売命を皇妃とするに及んでその勢いも下がり、

 その後裔は吉備、高志、角鹿、針間、豊前の地方勢力と変転し、

 三輪山の奉祭も夜麻登登母母會毘売の死をもって

 師木氏族の奉祭が断たれてしまったと考えられるのである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年10月24日金曜日

大国主神の奉祭氏族(1)礒城氏④

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 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:774頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国主神の奉祭氏族(1)礒城氏④

 その皇子が第7代考安天皇であるが、

 姫忍鹿比売命を皇后に迎える。

 この命についても『古事記』はその出自を記さないが、

 『日本書紀』は

 「立姫押媛、為皇后、一云、礒城県主葉江女」とする。

 この礒城県主「葉江(はえ)」は

 『古事記』の「波延(はえ)」と同声であるが、

 その世代的隔りがあり、本実は知れない。

 考安天皇と同皇后との間には大吉備諸進命等

 第8代孝霊天皇が誕れる。

 孝霊天皇の皇后ではないが、

 師木津日子命の孫に当たる二女を妃とする。

 その蝿伊呂杼(はへいろど)との間には

 日子寝間命と若日子建吉備津日子命、

 意富夜麻登玖遅阿礼比売命には

 夜麻登登母會毘売命、日子刺肩別命、

 比古伊佐勢里毘古命、倭飛羽矢苔屋比売命が誕れる。

 夜麻登登母會毘売命(倭迹迹日百襲媛命)は崇神天皇の時代

 大物主神の神妃となり、その伝説に箸で富登を突いて死んでしまう。

 若日子建吉備津日子命と比古伊佐勢里毘古命は

 第7代孝霊天皇に吉備地方へ派遣され、

 前者は「吉備下っ道臣」、後者は「吉備上っ道臣」の

 それぞれの祖となった。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年10月21日火曜日

大国主神の奉祭氏族(1)礒城氏③


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

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 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:773頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国主神の奉祭氏族(1)礒城氏

 『記・紀』によりその系譜を追ってみる。

 弟礒城黒速は礒城(師木)県主とされたが、

 その娘河俣毘売は神武天皇の第3子である

 第2代の綏靖天皇の皇妃となり、

 第3代の安寧天皇の母となる。

 その和名が師木津日子玉子見命という。
 
 この安寧天皇は黒速の子で河俣毘売命の兄で

 師木縣主を継いだ波延の阿久斗比売を皇妃とする。

 この二人から常根津日子伊呂泥命(この命の後裔は不明)、

 第4代懿徳天皇となる大倭日子鉏友命、

 そして師木津日子命が誕れる。

 師木縣主は波延に阿久斗比売命以外に子がなかったとすれば、

 師木津日子命が継いだものとみられる。

 「天孫本紀」は「俀志紀彦妹真鳥姫」ともう一人を載せているが

 『記・紀』にはない。

 懿徳天皇は『古事記』で「師木縣主の祖賦登真和訶比売命」

 を皇后に迎えて第5代考昭天皇が誕まれる。

 師木津日子には二人の王があったが、

 一人の名は伝わらず『古事記』はいい、

 もう一人の子和知津美命に

 蝿伊呂杼と意富夜麻登久邇阿礼比売命が誕れたが

 男子はなかった。

 考昭天皇は余會多本毘売命を皇后として

 第6代考安天皇誕まれる。

 同皇妃について『古事記』はその出自を記さないが、

 『日本書紀』は

 「一云、磯城県主葉江女、

  一云、倭国豊秋狭太媛女大井媛也」、

  また考安天皇の条に

  「母は世襲足媛、尾張連遠祖、瀛津世襲之妹也」とあり、

 混乱している。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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大国主神の奉祭氏族(1)礒城氏②


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

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 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:772頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国主神の奉祭氏族(1)礒城氏②

 『古事記』においては神武天皇に続く、

 綏靖(第2代)、安寧(第3代)、懿徳(第4代)の

 各天皇の皇妃を師木県主が出した。

 『日本書紀』では本文で第7代の孝霊天皇だけだが、

 一書では第2代から第5代の考昭天皇、第6代考安天皇の皇后を

 礒城県主が出しており、大氏族であったことを示している。

  ところで、志貴御県神社の祭神は饒速日命とされる。

 新撰姓氏録の大和国神別志貴連

 (日本書紀の天武天皇の時に志貴県主から連の賜姓があった)

 は「饒速日神の孫日子湯支命の後」

 とあることに依拠しているらしい。

 饒速日命は物部氏の祖であり、礒城氏族とは血縁関係にない。

 同社には礒城族に係わる尊名はその祭神の中にはない。

 これはどうしたことか。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年10月18日土曜日

大国主神の奉祭氏族(1)礒城氏①


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

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 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:771頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国主神の奉祭氏族(1)礒城氏

  桜井市三輪字金屋に志貴御県坐神社が鎮座する。

 延喜式神名帳に「志貴御縣坐神社大」と記載されている。

 志貴が大己貴命の「己貴」であることによるものだろうことを述べたが、

 「シキ」は『古事記』に「師木」、

 『日本書紀』に「礒城」と表記される。

 『旧事本紀』国造本紀には「志貴県主」と表記する。

 師木には神武天皇に反抗した兄師木弟師木の武将名がある。

 兄師木は滅ぼされたが、弟師木は帰順し、

 『日本書紀』に「弟師木、名は黒速を礒城県主とす。」とある。

 この黒速は大国主に依拠した名とみられる。

 志貴は狭い範囲としては三輪山と大和川の間、

 つまり志貴御県坐神社の鎮座する金屋辺りであり、

 大和川を超えたところが礒城島で粟原川との河間である。

 そして志貴県は城上郡、城下郡の広い範囲となる。

 この礒城氏族こそ

 太初において「大黒主」大国主神を奉祭していた氏族である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年10月16日木曜日

大国主神(3)


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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

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 牛角と祝祭・その民族系譜:770頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国主命(3)

 高木神は『古事記』に出る神名で、また高御産巣日神、

 『日本書紀』で高皇産霊尊となり、

 支配的最高神の位置が与えられている。

 奴玉は天照大神より皇孫に授けられたという

 三種の神器のうち「八尺瓊曲玉」として尊重されている。

 曲玉は八咫鏡、叢雲剣とは違い、

 一度として皇孫である天皇の手元を離れて奉祀されたことはなく、

 「万世皇位継承の御璽(印)」となっているのである。

 高木神は大神神社に祀られていない。

 同神がかなり後に神格化されたことが解かる。

 「大黒主」な係わる地名が三輪山周辺に多い。

 穴師、箸中、黒崎、初瀬、長谷である。

 慈恩寺に鎮座する大神神社の摂社玉列(たまつら)神社の

 祭神玉列王子(たまつらみこ)神とは

 「大黒主」である大国主神を表わす。

 玉列とは勾玉ないし「竹玉」を表わしている。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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大国主神(2)


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:769頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国主命(2)

 「大国主」は山ノ神祭祀遺跡などで見つかっている

 三輪山に特有の「子持勾玉」に象徴されると考える。

 勾玉は曲玉で、弓のように湾曲している宝石(玉)である。

 大国ははまた「大曲(だいこく)」でもある。

 曲玉である(子持)勾玉には「玉子(卵)」の意味が隠されている。

 古くはこれが「タカタマ」であった。


 「竹玉」と表記してタケタマでなく「タカタマ」と読むのは

 (2)櫛𤭖玉神での万葉集の引用のよっても明白である。

 玉が「卵」であるから「タカ」はその「親」の名となる。

 「タカ」が「大国主」に相当する。

 「タカ」は高久、高岐、高との表記されている。

 島根県八束郡東出雲町は元意宇郡に属しており、

 出雲郷が「あだかえごう」と呼ばれているが、

 その理由が阿太加夜怒志多伎吉毘売命の神名に由来すること、

 阿陀加夜怒志が大国主命のことで「多伎吉」が多伎芸で

 竹玉であることは既に述べた。

 簸川郡の多伎町名ともども

 これらは「大黒主」に依るものである。

 「タカタマ」である勾玉は多伎芸となって

 高木神へと『記・紀』の編纂されるころには高揚されている。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ