2014年10月13日月曜日

大物主神の奉祭氏族:登美族(18)


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:767頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大物主神の奉祭氏族:登美族(18)

 保の東方の三輪野江に三輪社が鎮座し、

 大神神社に係わる人々の地方への入来を証している。

 三輪野江から東の江戸川を越えたところは

 千葉県流山市三輪野山で三輪茂呂神社が鎮座し、

 そのさらに東方には諏訪神社が流山市駒木に鎮座する。

 同社の社伝によると、

 高市皇子(高市彦)を祖とする高市氏族が

 奈良時代に移住して来て、

 同社が創建されたのが大同2年(807年)とされる。

 高市皇子は天武天皇の長子で藤原京時代太政大臣であった。

 この藤原氏の全盛の時代、

 同皇子の長子長屋王は佐大臣にまで昇っていたが、

 「続日本紀」の神亀6年(729年)春3月の条に

 記されているところによると

 「左道を学び国家を傾けようとした」という謀反事件、

 いわゆる「長屋王の変」が興り、

 一族が危機に瀕して東国へやって来たと考えられる。
 
 諏訪神社の祭神は建御名方富命で

 大国主神の御子神とされる。

 大神神社の祭神である。

 「郡書類聚」には高市麻呂が

 大神神社に担っていたことを載せており、

 同族が関係していたことを示している。

 同社の周辺から奈良時代の溶鉱炉の遺構が見つかり、

 高市氏族が金属業の技術を持っていたことを明らかにした。

 その東は柏市だが、手賀沼に接して戸張地区がある。

 吉川市の戸張氏族の祖地で

 彼等はここでは領主であったという。

 このように登美族であるドヴァラカの系譜は

 東国に根を張ってきた。

 高市氏族の渡来はそのような環境があってのことであろう。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)  
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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