2014年10月4日土曜日

大物主神の奉祭氏族:登美族(14)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:763頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大物主神の奉祭氏族:登美族(14)

 隣りの太秦の遺跡からは

 摂津大和に特徴を同じくする甕形土器が出土している。

 細屋神社の鎮座する秦町は「ハダ」と訓み、

 奈良時代・平安時代に幡多郷があった。

 太秦に表わされる「秦氏」は「ハタ氏」で

 「ハダ」と呼称されるにはその理由があるだろう。

 太秦と区別するために「大秦」を使ったことあるという。

 「幡多(はだ)」の実際の祖語はサンスクリット語の

 vadha (女) ないし vadhū (女、妻、花嫁) であり、 

 勢夜陀多良比売命をいった遺称であろう。

 幡多地名は高知県の幡多郡があったが、

 これは医者を表わす vaidya (平田ヘイタ) の転訛であった。

 「幡」は「バタ」とも読まれる。

 茨田郡名を和名類聚抄、延喜式は「万牟田」と訓ませているが、

 ここでは「マッタ」と呼ばれている。
 
 これもまた vadhū の転訛である。

  Va が ma となった例はすでに述べたが、

 その例に並ぶものである。

 大阪市鶴見区に残る茨田はしかし、

 madhar に由来すると考える。

 また寝屋(寐屋)を意味するサンスクリット語に vāsu があり、

 これは宮処あるいは宮殿を表わす用語で、

 この周辺には王族の宮殿があったと推測される。

 このように讃良郡(茨田郡)の地を
 
 三嶋湟咋父娘のいたところとすることができるのである。

《参考》




 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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