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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:763頁
第十二章 大国神と大物主神
大物主神の奉祭氏族:登美族(14)
隣りの太秦の遺跡からは
摂津大和に特徴を同じくする甕形土器が出土している。
細屋神社の鎮座する秦町は「ハダ」と訓み、
奈良時代・平安時代に幡多郷があった。
太秦に表わされる「秦氏」は「ハタ氏」で
「ハダ」と呼称されるにはその理由があるだろう。
太秦と区別するために「大秦」を使ったことあるという。
「幡多(はだ)」の実際の祖語はサンスクリット語の
vadha (女) ないし vadhū (女、妻、花嫁) であり、
勢夜陀多良比売命をいった遺称であろう。
幡多地名は高知県の幡多郡があったが、
これは医者を表わす vaidya (平田ヘイタ) の転訛であった。
「幡」は「バタ」とも読まれる。
茨田郡名を和名類聚抄、延喜式は「万牟田」と訓ませているが、
ここでは「マッタ」と呼ばれている。
これもまた vadhū の転訛である。
Va が ma となった例はすでに述べたが、
その例に並ぶものである。
大阪市鶴見区に残る茨田はしかし、
madhar に由来すると考える。
また寝屋(寐屋)を意味するサンスクリット語に vāsu があり、
これは宮処あるいは宮殿を表わす用語で、
この周辺には王族の宮殿があったと推測される。
このように讃良郡(茨田郡)の地を
三嶋湟咋父娘のいたところとすることができるのである。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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