2014年10月30日木曜日

大国主神の奉祭氏族(2)物部氏④


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 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:779頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国主神の奉祭氏族(2)物部氏④

 かって富雄村に属していた現在の石木町に登弥神社が鎮座する。

 同社は延喜式神名帳にも添下郡に同名で記載されている。

 石木は石堂と木島が合併した地名であるが、

 石堂はサンスクリット語の

 「女人」を意味する īṣtr の転訛と考える。

 というのも登弥は

 ラテン語で donina 、

 ギリシャ語で οάμε で
 
 サンスクリット語で devi となり、

 日本の古典に「止女、斗売」となっている用語の転訛とみられ、
 
 それらの語義は「婦人、夫人、女王」また「女神」を表わし、

 登美夜毘売に係わる神社と考えるからである。

 「大和史料」は

 「鳥見明神ハ図説ニ謂ユル饒速日夫妻ノ庿社ニシテ」と

 推測している。

 「神社霰録」は祭神について饒速日命とし、

 現在本殿の西殿に「登美饒速日命」の名称で祀られており、

 同神が登美の入婿神であるような表現が用いられている。

 「饒」の語義は「豊かにする、増す、豊か」で、

 また訓に「トミ」があり、まさに「富」と同じである。
 
 饒速日は「富速日」で「トミハヤヒ」と訓むことができるのである。

 東殿には高皇産霊神が祀られているが、

 この神名は竹玉(臼玉)の神格化されたものであることは

 既に述べた。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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