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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:776頁
第十二章 大国神と大物主神
大国主神の奉祭氏族(2)物部氏①
師木県主・礒城黒速の系譜が衰えた後に
師木に勢力を張ったのが物部氏であろう。
天孫本紀は孝元天皇の皇妃欝色謎(内色許売命)の
兄大綜杵の孫建新川を「倭志紀縣主の祖」とする。
饒速日命(物部)―登美夜比売(登美)の氏族が
師木氏族と血縁を持った史料は
天孫本紀の建新川より5代前
出石心大臣命の兄出雲醜大臣命が
倭志紀彦(師木津日子)の妹真鳥姫を后としたことに始まる。
この頃に三輪山信仰に大国主神を加えて
代物主神が加えられたことも考えられる。
物部・登美氏に連なる大毘古命の阿部氏が
強盛になったのはこの頃であろう。
彼等も崇神天皇の皇后として御真津比売命を送る。
孝元天皇に皇后内色許売命を送った当時の頭主は
その父大矢口宿根であろう。
彼等が師木に志貴御県坐神社を創設したのはその頃であろう。
物部氏が金(属)加工(細工)技術者を抱えて
大和盆地に渡来して来たことは明白であり、
その金属加工の拠点の一つが「金屋」で
同社が鎮座する現在の地名である。
彼等はここでメスリ山古墳(桜井市高田)で
大量に発掘された銅鏃などを製造したのであろう。
後に欽明天皇の宮殿になる「金刺」はその理由による。
「刺」はサンスクリット語のsajya (弓弦) を祖語とし
佐土野に係わる。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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