ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年5月19日日曜日
牛祝祭(4)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:24頁
第一章 「牛祝祭」 (4)
古事記、日本書紀のその場面を転記してみる。
『古事記』
八百萬の神、天安の河原に神集ひて、
高御産巣は神の子、思金神に思はしめ、
常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて鳴かしめて、…略…
天宇受売命、天の香山の天の日影を手次(たすき)に緊(か)けて、
天の眞折(まさき)を縵として、
天の香山の小竹葉(ささば)を手草(たぐさ)に結(ゆ)ひて、
天の岩屋戸に汗気伏せて蹈(ふ)み登杼呂許志(とどろこし)、
神懸(かみがか)り為(し)て、
胸乳を掛き出で裳緒(もひも)を香登(ほと)に忍(お)し垂れき。
璽に高天の原動(どよ)みて、八百萬の神共に咲ひき。
『日本書紀』
八百萬神、天安河に會(つど)ひて、其の祈るべき方を計ふ。
故、思兼神、深く謀(はか)り遠く慮(たばか)りて、
遂に常世の長鳴鳥を聚(あつ)めて、互に長鳴せしむ。
…略…又猿女君(さるめのきみ)の遠祖天細女命(あめのうずめのみこと)、
則ち手に茅纏(ちまき)の矟(ほこ)を持ち、
天石窟戸の前に立たして、巧(たくみ)に作俳優(はざをさ)す。
亦天香山真坂樹を以って鬘にし、蘿(つた)を以って手繦(たすき)にして、
火處焼き、履槽置(うけふ)せ(履槽此れをば于該(うけ)と云ふ)、
顕神明之憑談す(顕神明之憑談。此をば歌牟鵝可梨(かむがかり)と云ふ)。
《Key Word》
猿女君
天細女命
茅纏
2013年5月18日土曜日
牛祝祭(3)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:23頁
第一章 「牛祝祭」 (3)
日本に食肉料理文化が発展しなかったには、
平安時代に殺牛信仰が禁止されたためで、
韓半島のおいいぇも同様の殺牛信仰が広がっていたが、
禁止などということが起こらなかったので肉食文化は発達し、
現在その芳名を高めているのである。
さて、牛祝祭の実態はどのようなものであっただろうか。
専らに描写した記録は残念ながら今のところ見当たらない。
古典の中から抽出しなければならない。
手掛かりは阿智である。
阿智神社の祭神思金神は
天照大御神の前を政る祭官であることはすでに解明されたが、
阿智神に係わる事項として、
神楽の一種で作法を重要視する阿知女作法なるものがある。
神楽は夕暮れ後庭燎が焚かれ、和琴だけによる演奏が鳴り、
作法が開始され、唱和も始まる。
本方「アチメ、オ、オオ、オ」
末方「オケ、アチメ、オ、オオ、オ」
本方「オ、オケ」
ここに唱和される「オ、オオ」は呼び掛けの事で、
本来は神をほめる言葉であるが、
アチメ、オケとなんだろうか。
伝承によると天鈿女(天宇受売命)が天石窟(天岩屋戸)の前で
奏した神楽舞に起源があるという。
《Key Word》
肉食文化
神楽
天鈿女
2013年5月17日金曜日
牛祝祭(2)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:22頁
第一章 「牛祝祭」 (2)
漢神はまた「韓神」で『延喜式神名帳』に
宮内庁坐神三座のうち園神社、韓神社に座とある
宮中神三十六座のうちに祭られている神である。
『古事記』では須佐之男命が大山津見神の女神大市比売を娶して
生まれた子大年神の御子神韓神として出てくる。
因みに次弟會富理神は上記の国神を関係するよいう。
この「韓」は韓半島に係わる韓とは
直接的に関係の無いことをここでは言っておきたい。
韓神に供儀するこの祭をその頃何と呼んでいたか推測できないが、
牛祝祭と呼ぶこととする。
「牛宍饗」の宍(しし)は毛物の肉のことで、
転じて獣・猪・鹿も「しし」と呼ぶようになった。
「にく(肉)」は祝祭によって神に捧げられた宍の意であると
考えている。
諏訪大社信仰とは「鹿食免(かじきめん)」の幣あるいは
「鹿食免箸」があった。
諏訪明神の許し(免)があれば宍を食しても構わないというものであった。
仏教の影響により肉食が禁じられたなかで特別の扱いである。
《Key Word》
漢神
延喜式神名帳
宮内庁坐神三座
園神社
韓神社
宮中神三十六座
大年神の御子神韓神
牛祝祭
牛宍饗
諏訪大社信仰
鹿食免箸
2013年5月16日木曜日
牛祝祭(1)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:21頁
第一章 「牛祝祭」 (1)
諏訪大社の祝は御射山祭を主宰する祭官で、
その祭典が謝肉祭であったことを述べたが、
この謝肉祭とは二十世紀になって日本語に取り入れられた言葉である。
ドイツ、フランス、イタリア、スペインなどのカトリック教で
キリストの復活祭前四旬節(四十日の斎戒期)の直前に行われる祝祭、
カーニバルの内容翻訳後である。
古代日本では犠牲祭のことを何と呼んでいたのだろうか。
『日本霊異記』には
「牛の宍(しし)の饗」という表現が出てくる。
中巻二十四話、
奈良時代聖武天皇の御世平城京左京の檜磐嶋という人物の話である。
『続日本紀』延暦十年に「牛を殺して用ひて漢神を祭ることを禁ず」、
『日本霊異記』中巻五話
「漢神の祟りにより牛を殺して祭ったが、病気が直らなかった」
によって理解できるように、
奈良時代に漢神を祭るための祝祭だったことが知られる。
《Key Word》
諏訪大社の祝
御射山祭
キリストの復活祭
日本霊異記
牛の宍の饗
2013年5月15日水曜日
祝(ハフリ)(7)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:20頁
第一章 祝祭 「祝」(7)
殺牛供養は、
地中海地域からインド、中国、インドネシア
さらに韓半島にまで行われていたことはすでに知られている。
日本の古代における犠牲に殺牛、殺馬があったことを
皇極天皇元年七月の記録で知ることができる。
殺牛供犠が平安時代まで盛んであったことは、
奈良時代天平期に詔勅が出され、
禁止されたにもかかわらずなかなか改まらず、
九世紀まで詔勅が繰り返されたことで明らかである。
(一)続日本紀慶運三年(七〇六年)
天下の諸国に疫疾ありて、百姓多く死す。
始めて土牛を作りて大いに儺す。
(二)続日本紀天平十三年二月七日(七四一年)
詔して曰く、馬牛は人に代わりて勤労して人を養う、
茲に困りて、先に明勅ありて屠殺する事を許さず、
今聞く、国郡未だ禁止すること能はず、
百姓猶屠殺することありと、
宜しくその犯すことある者は陰贖を問はず、
先づ杖一百を決して然して後に罪に科すべし。
(三)続日本紀延暦十年九月(七九一年)
伊勢、尾張、近江、美濃、若狭、越前、紀伊等の国の百姓
牛を殺して用ひて漢神を祭ることを禁ず。
(四)類聚国史延暦二十年四月(八〇一年)
越前国で牛を屠り神を祭ることを禁じた。
《Key Word》
殺牛供養
韓半島
奈良時代天平期
平安時代
続日本紀
2013年5月14日火曜日
祝(ハフリ)(6)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:19頁
第一章 祝祭 「祝」(6)
サンスクリット語はインド・ヨーロッパ語として知られるが、
ヨーロッパの諸言語へも
hava 、haviru の同類語は移入されている。
ドイツ語では
opfer (神への捧げ物、奉献物、供物、犠牲)、
動詞形が
opfern (神に捧げる、犠牲に供する) 、
preisen (賞美する、賛美する)、
prister (司祭、僧侶、祭司、奉仕者)
opfer-prister は供物を捧げる司祭である。
これが英語になると
offer (提供、提供する)、
ラテン語では
offero (提供する) 、
offerentia (供犠、捧げ物)となる。
ギリシャ語ではもっと簡略化し、
ιερωζ (犠牲、供物) 、
ιερνω (供える、犠牲にする、屠る)、
ιερενζ(司祭、神官)となる。
その他ではコーカサスの国グルジアの beri (僧、司祭)を挙げておきたい。
《Key Word》
サンスクリット語
インド・ヨーロッパ語
ヨーロッパの諸言語
ドイツ語
英語
ラテン語
ギリシャ語
グルジア語
2013年5月13日月曜日
祝(ハフリ)(5)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:18頁
第一章 祝祭 「祝」(5)
この単語はインドのサンスクリット語に移入され、
仏典 mahāvyutpayyi に havala と記載されている。
当仏典は漢訳されて「翻訳名義大集」となっていて、
それには音写で「哈波藍」とある。
サンスクリット語名の仏典は
「大荘叢語源教養集」といったところではあるが、
havala がインドにとっても外来語であったことを示している。
しかし、サンスクリット語の中には、
動詞語幹 hvā 、hu
(呼ぶ、呼びかける、呪文によって呼び出す、祈願する)、
havir (献供、犠牲)
havin (呼びかける、助力を祈願する)
huā (呼びかける、助力を祈願する、呪文によって呼び出す)など、
中でも
hava は祭式、献供、犠牲、呼びかけ、祈願を表す名詞で、
セム語の hubulla と hawiru の両方の字義を表している。
《Key Word》
サンスクリット語講座
havala
翻訳名義大集
哈波藍
大荘叢語源教養集
havir
havin」
huā
2013年5月12日日曜日
祝(ハフリ)(4)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:17頁
第一章 祝祭 「祝」(4)
地中海東岸にシリア国がある。
トルコでフラット河と現在では呼ばれるユーフラテス河が
シリアの東境からイラクを貫流してペルシャ湾に流れ行く。
またシリア、トルコ、イラクの三国の国境を結ぶ方面から
流れ下ってくるのがチグリス河で、
この二つの河の両岸地帯に古代メソポタミア文明は開化した。
ユーフラテス川の水源はなんとトルコの東端、
アルメニアに近いアララト山方面イランとの国境地帯である。
その河が西流した後古代でいえばアミダ付近、
現在ではエラジック辺りから南流を始め、シリアへ流れは入る。
シリアへ入ってから同河は東流を始めるのだが、
その北岸でイラクの国境に沿った地帯の砂漠からなる一帯が
ハブール( habār )高原でハブール川が
やはりトルコ国内を水源に南流し、
国境を越えて高原を下ってユーフラテス川に流れ込んでいる。
このシリア国内の流域は、メソポタミアの初期に当たる
シュメル文化を開花させた一民族セム族の故郷である。
ハブール高原からイラクの北方の山岳地帯、
トルコとの国境なるシンジャール山脈の辺り、
イラクの東北端の山岳地帯こそ「祝」の発祥の地と考える。
ハブールは「ハフリ」と語源を同じくする遺称である。
メソポタミアの古代文字、粘土板に刻まれた楔形文字の中に、
hubulla 、hawiru という用語が出てくる。
語意は、前者が捧げ物、後者が賛美者で、セム語族の言葉である。
《Key Word》
ユーフラテス河
チグリス河
古代メソポタミア文明
アルメニア
アララト山
ハブール高原
シンジャール山脈
セム族
メソポタミアの古代文字
楔形文字
ハブール
hubulla=捧げ物
hawiru
賛美者
捧げ物
2013年5月11日土曜日
祝(ハフリ)(3)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:16頁
第一章 祝祭 「祝」(3)
祝は「屠(ほお)る」と、
和名抄では「はふる」と読ませているが、
深い関係にある。
祝の真義は
「神への献供のため動物を犠牲にして殺す祭官」である。
勿論むだに犠牲の屠殺をしたのではない。
犠牲を神々に献供して祈願の呼びかけを行ったのである。
『日本書紀』
皇極天皇元年の記には雨乞いのためであった。
この「ハフリ」は古代世界において
極めて国際的に敷衍(ふえん)された用語であった。
それが日本列島へもその文化と共に入ってきたと考えられる。
《Key Word》
日本書紀
皇極天皇
和名抄
雨乞い
日本列島
敷衍
2013年5月10日金曜日
祝(ハフリ)(2)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:15頁
第一章 祝祭 「祝」(2)
祝は禰宜の呼称より古いと述べたが理由がある。
古事記に天孫降臨の後邇邇芸命が笠沙の御前(みさき)で
大山津見神の御子神木花之佐久夜毘売命に会い結婚し生まれたのが、
火照命、火須勢理命、火遠理命(ほおりのみこと)で、
この火遠理命が別名穂穂出身命と称され皇統を継ぐことになるが、
その職務を
「毛の麤物(ろうもの)、柔物(にこもの)を取りたまひき」と説明している。
この一節は諏訪大社で行われてきた狩の祭典
御射山祭(みさやままつり)において祝である守矢神長官が
山神に奏上した申上つまり祝詞(のりと)の一説に通ずる。
「ししのこふとはらにやかけさせ給へ、
やかけのなかににこいけあらいけあらいけに
こいけゑらふことなくとらせ給へ
かしこみもかしこみもぬかっか申す」
ここにみえる【にこいけ】(柔毛)、【あらいけ】(麤毛)のことで、
火遠理命が祝であったことを理解できる。
御射山祭とは鎌倉時代に盛大に挙行された諏訪大社上社は
その背後となる茅野市から富士見町にかけての高原、
下社の場合はずばりその背後霧ヶ峰高原で
鹿、猪などを山狩する謝肉祭であった。
《Key Word》
邇邇芸命
笠沙の御前
大山津見神
木花之佐久夜毘売命
火照命
火須勢理命
火遠理命
穂穂出身命
毛の麤物(ろうもの)、柔物(にこもの)を取りたまひき
御射山祭
守矢神
祝詞(のりと)
諏訪大社上社
霧ヶ峰高原
茅野市
謝肉祭
2013年5月9日木曜日
祝(ハフリ)(1)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:14頁
第一章 祝祭 「祝」(1)
祝は「ハフリ」あるいは「ホオリ」と称されてきた。
神社に奉仕する神官(職)は禰宜と祝が古来あった。
双方の関係をみると、
禰宜の方が上位に位することが多かったようだが、
祝の方が古い職名であったと考える。
祝の用語が『記・紀』に登場するのは、
日本書紀の仲哀天皇八年正月に始まる。
伊賀彦という者を祝として祭ったとの記述である。
神功皇后九年十二月
忍熊王が謀反したため、皇后が攻めて紀伊国に至った時、
昼が夜のように暗くなったことがあり、原因として小竹(しの)(社)の
祝と天野(社)の祝が一緒の墓穴に葬られたからだと解り、
別葬したところ昼夜が別れたとの伝承を載せている。
さらに皇極天皇元年七月には
「村々の祝部、所教のとおりに或いは牛馬を殺して諸社の神を祭る」
と出てくる。
祝部は祝の職席のことで、
諸社の神々に牛馬を殺して供養しても雨が降らず、
旱魃がおさまらないといっている。
祝職のあった神社を挙げれば、
茨城県の鹿島神宮、
福岡県の高良玉垂命神社、
熊本県の阿蘇神社には
一から十までの祝と国造祝・金凝祝があった。
長野県の諏訪大社には鎌倉時代の初めに
大祝、権祝、凝祝、副祝などの職制が成立していた。
また愛媛県の大山祇神社でも大祝がおり、
その後においては諏訪大社と共に祝のいる神社として通っていた。
《Key Word》
禰宜と祝
禰宜
祝
日本書紀
仲哀天皇
伊賀彦
神功皇后
忍熊王
皇極天皇
茨城県の鹿島神宮
福岡県の高良玉垂命神社
熊本県の阿蘇神社
長野県の諏訪大社
愛媛県の大山祇神社
諏訪大社
国造祝
2013年5月8日水曜日
祝祭(ハフリ)(2)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:13頁
第一章 祝祭 祝祭(ハフリ)(2)
ところで、阿智神社を奉祀したのは阿智祝と伝えられ、
八意思兼神、天表春命はこの祝部の祖神である。
風土記逸文に出てきた地名(ふせや伏谷)であるが、
かっては阿智伏谷と合わせて呼ばれていたのではないかと
推測される。
阿智伏谷は
サンスクリット語に祭司を表す adhivarya とみられるし、
阿智はこの語から生まれたと考えられる。
祭司=アチヴァーヤは供儀の祭を行う実務に精通しており
実行の際には主宰する神官で、
祭は数種の職制に分かれて取り行われるが、
その第一に位するものである。
八意思兼神は、
このアチヴァーヤであり、阿智祝であったのである。
さらに注目すべき、明らかになってきた重要な点は、
天石屋戸における神集いは供儀の祭、
つまり動物などの犠牲を神に供えて
祈願を行う祝祭の情景を描いたものであることである。
《Key Word》
阿智神社・長野県
阿智祝
八意思兼神
天表春命
祝部の祖神
阿智伏谷
adhivarya=祭司
阿智祝
2013年5月7日火曜日
祝祭(ハフリ)(1)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:12頁
第一章 祝祭 祝祭(ハフリ)(1)
先に阿智神社に智里昼神が鎮座していることを述べたが、
この昼神とは八意思兼神が奉祭した神である。
古事記の天石屋戸の段において、
須佐之男命の乱暴に怒った天照大御神が
石屋戸に入り隠れてしまった場面において八百萬神は
困って思兼神に相談し、
天照大御神が石屋戸から出て坐(ま)す計略を工夫し、
諸神が集まって祭宴開き、
大御神が遂に出て坐された経緯からすると、
思兼神が祭宴を主宰し大御神に仕え奉る祭司である。
天照大御神は別に天照大日孁尊(おおひるめのみこと)と称された。
《Key Word》
祝祭(ハフリ)
サンスクリット語
阿智神社・長野県
智里昼神
八意思兼神
阿智伏谷
祭司
風土記逸文
八百萬神
天照大御神
大日孁尊
2013年5月6日月曜日
ははき木(12)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:11頁
はじめに:ははき木(12)
「箒木」は今にいう[ほうき]、
現代生活では電気掃除機にその主役を譲ってしまったが、
無用となり、忘れさられているものではない。
箒木は安産の神との伝承もあり、
大事にされているところもある。
栃木県那須郡の塩原町から矢板市、大田原市を箒川が流れ、
小川町の東の端で那珂川に合流している。
塩谷町玉生には伯耆根神社、
矢板市内には箒根神社が現在少なくとも5社が鎮座している。
箒木は、
古事記の天石窟戸の場面に出てくる「天波波迦」とも関係するだろうし、
「ハハ」は「妣」と関係する。
古事記によると須佐之男命が母神とされる伊邪那岐命に向かって
「僕は妣の国根の堅洲国に羅(まから)むと欲(おも)ふ。
故、哭(な)くなり。」といって
涕(な)泣き叫ぶ物語の「妣の国」のことである。
《Key Word》
箒川
那珂川
伯耆根神社
箒根神社
須佐之男命
伊邪那岐命
天石窟戸
妣の国
2013年5月5日日曜日
ははき木(11)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:10頁
はじめに:ははき木(11)
以上述べた歴史研究観からすれば、
本書に展開する提起は弁証法的にいえば、
騎馬国家民族論へのアンチ・テーゼである。
勿論、当然のことながら皇国史観に立ったものでは全くない、
新しい主張(テーゼ)と解釈していただきたいと思う。
新しい世紀(21世紀)における、
東アジア古代史研究の方向としての問題提起と
考えていただきたいと思っている。
特に遺物を以って実証とする研究をしている方々には、
インドのように火葬にしてその灰を聖なる川に流してしまい、
墳墓を作らない文化もあることを認識してほしい。
その葬むられた人々の骨格も成分も今や把握されないのである。
また、その伝承を文字に残すのではなく、
口承により伝承された文化もあるのである。
《Key Word》
弁証法
騎馬国家民族論
2013年5月4日土曜日
ははき木(10)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:9頁
はじめに:ははき木(10)
なぜ、この品質管理活動について概説したかというと、
江上波夫が「騎馬民族国家」などの著作で
日本に韓半島を経て騎馬民族がやって来て
国を創建したという理論を展開したことと、
その精神的風土が類似していると考えたからである。
両博士が認識を共通していたかどうかは別として、
その底にあるのは第二次世界大戦前にあった
上(国家)から与えられて行動することへの反感だっただろうと考える。
石川馨の場合は、底辺と決めつけられやすい従業員の発言を重要視し、
上層からの圧迫に対する自我を発揚させた。
江上波夫の騎馬民族国家論は、
皇国史観へのアンチ・テーゼ(反対主張)と解釈できるのである。
この理論は比較文化論を発揚させ、
神話学、考古学面で多くの研究がなされ、
現在に至っては多くの資料を参照できるようにしたいう
大きな功績があったいえよう。
だが、未だ決定的な考古学的史料と思われる古墳などが
参照できないでいるいう事情はあるにしても、
今日までどのような民族が渡来し、
その国家とはどのような政朝であるかなどの結論はでておらず、
歴史として確立するまでに至っていない。
歴史観としては、東アジア各国歴史研究家に刺激を与え、
江上理論を基にした解釈を展開している者もかなりいるようである。
《Key Word》
江上波夫
騎馬民族国家
皇国史観
アンチ・テーゼ(反対主張)
2013年5月3日金曜日
ははき木(9)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:8頁
はじめに:ははき木(9)
ここに述べた品質管理活動、つまり科学的品質管理手法とは、
アメリカの統計学を生産現場に取り入れ、デミングの手法を日本に移植し、
一般従業員の経営参加観念の方法として全社的品質管理の名の下に
従業員間に品質管理グループ(QCサークルという)を結成させ、
品質改善、コストダウン・生産工程改善などで現場にいる彼等に
改善案を提案させ、生産性を向上させるというものである。
1945年の第二次世界大戦の終結後、
民主主義の潮流の中で構想され発足したこの活動は、
日本経済の高度成長に生産性向上の面から多大の貢献をした。
この活動の提唱者は東京大学教授であった石川馨であった。
《Key Word》
品質管理活動
科学的品質管理手法
アメリカの統計学
デミングの手法
品質管理グループ/QCサークル
石川馨
2013年5月2日木曜日
ははき木(8)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:7頁
はじめに:ははき木(8)
この横河川は筑摩山地鉢伏山が水源だが、
その南に通称高ボッチ山という奇妙な名の山があり、
別称が横山である。
山といえば、長野県と山梨県の県境に聳える八ヶ岳のうちに横岳がある。
さらに群馬県となるが、軽井沢町碓氷峠の東松井田町に横川がある。
信越本線の横川駅のあった地区である。
これらの横川ないし横には相互に関係があるのだろうか。
このような研究の探求の方法、
つまり資料分析で「有ったもの」迫るものである。
資料分析の発想は、
製造工業などにおける生産経営と生産管理技法のうち
品質管理手法に学んでいる。
商品となる製造品と歴史資料とは分析対象として
全く違う性格を持っているが、
まずはデータ収集が大切であることには変わりがない。
そして、
いうところの散布図により同質性によるカテゴリー分類、
特性要因によりその正当性を検討し、不良品を排除、
認可範囲(管理用)に入るもののみ以って標準品として出荷するのである。
真実であったとの推測を提起し、相関図を想定し、
物語化するというものである。
《Key Word》
筑摩山地鉢伏山
通称高ボッチ山
八ヶ岳
軽井沢町碓氷峠
松井田町
2013年5月1日水曜日
ははき木(7)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:6頁
はじめに:ははき木(7)
これが解明されれば日本の古代史はより実際的となる。
どう発音してもヤマトとは読めない「大和」が
当てられているのも不可解である。
この点についても箒木状態である。
地名をどのように読み込んでいくかは、
「その有るもの」に迫る効果的な手法であると考える。
安布知神社は、阿智村の横川地籍に鎮座しており、
その地名に因んだ河が横川川と先に触れたが、
この地名横川は長野県にはよくみられる。
同じ伊那のうち上伊那郡辰野町、
中央線が飯田線と分かれる辰野駅から
松本方面に向かってしばらく行った川島駅付近で、
西方から横川川が天竜川に流れ込み小野川と合流している。
横川の地名も川上にある。
また一山越えた南に小横川川が小野川に流れ込む。
駅のある川島地区に智子神社があり、
これもサンスクリット語の sikin の転訛とみられる。
天竜川の水源諏訪湖の北岡谷市には横川地区があり、
横河川が北から南の諏訪湖に向かって貫流している。
《Key Word》
大和
安布知神社
横川川
上伊那郡辰野町
智子神社
諏訪湖
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