ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年5月16日木曜日
牛祝祭(1)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:21頁
第一章 「牛祝祭」 (1)
諏訪大社の祝は御射山祭を主宰する祭官で、
その祭典が謝肉祭であったことを述べたが、
この謝肉祭とは二十世紀になって日本語に取り入れられた言葉である。
ドイツ、フランス、イタリア、スペインなどのカトリック教で
キリストの復活祭前四旬節(四十日の斎戒期)の直前に行われる祝祭、
カーニバルの内容翻訳後である。
古代日本では犠牲祭のことを何と呼んでいたのだろうか。
『日本霊異記』には
「牛の宍(しし)の饗」という表現が出てくる。
中巻二十四話、
奈良時代聖武天皇の御世平城京左京の檜磐嶋という人物の話である。
『続日本紀』延暦十年に「牛を殺して用ひて漢神を祭ることを禁ず」、
『日本霊異記』中巻五話
「漢神の祟りにより牛を殺して祭ったが、病気が直らなかった」
によって理解できるように、
奈良時代に漢神を祭るための祝祭だったことが知られる。
《Key Word》
諏訪大社の祝
御射山祭
キリストの復活祭
日本霊異記
牛の宍の饗
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿