2013年5月15日水曜日

祝(ハフリ)(7)



 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:20頁

 第一章 祝祭 「祝」(7)

  殺牛供養は、

 地中海地域からインド、中国、インドネシア

 さらに韓半島にまで行われていたことはすでに知られている。

 日本の古代における犠牲に殺牛、殺馬があったことを

 皇極天皇元年七月の記録で知ることができる。

 殺牛供犠が平安時代まで盛んであったことは、

 奈良時代天平期に詔勅が出され、

 禁止されたにもかかわらずなかなか改まらず、

 九世紀まで詔勅が繰り返されたことで明らかである。

 (一)続日本紀慶運三年(七〇六年)

   天下の諸国に疫疾ありて、百姓多く死す。

   始めて土牛を作りて大いに儺す。

 (二)続日本紀天平十三年二月七日(七四一年)

   詔して曰く、馬牛は人に代わりて勤労して人を養う、

   茲に困りて、先に明勅ありて屠殺する事を許さず、

   今聞く、国郡未だ禁止すること能はず、

   百姓猶屠殺することありと、

   宜しくその犯すことある者は陰贖を問はず、

   先づ杖一百を決して然して後に罪に科すべし。

 (三)続日本紀延暦十年九月(七九一年)

   伊勢、尾張、近江、美濃、若狭、越前、紀伊等の国の百姓

   牛を殺して用ひて漢神を祭ることを禁ず。

 (四)類聚国史延暦二十年四月(八〇一年)

   越前国で牛を屠り神を祭ることを禁じた。

 《Key Word》

 殺牛供養

 韓半島

 奈良時代天平期

 平安時代

 続日本紀

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