ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年5月15日水曜日
祝(ハフリ)(7)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:20頁
第一章 祝祭 「祝」(7)
殺牛供養は、
地中海地域からインド、中国、インドネシア
さらに韓半島にまで行われていたことはすでに知られている。
日本の古代における犠牲に殺牛、殺馬があったことを
皇極天皇元年七月の記録で知ることができる。
殺牛供犠が平安時代まで盛んであったことは、
奈良時代天平期に詔勅が出され、
禁止されたにもかかわらずなかなか改まらず、
九世紀まで詔勅が繰り返されたことで明らかである。
(一)続日本紀慶運三年(七〇六年)
天下の諸国に疫疾ありて、百姓多く死す。
始めて土牛を作りて大いに儺す。
(二)続日本紀天平十三年二月七日(七四一年)
詔して曰く、馬牛は人に代わりて勤労して人を養う、
茲に困りて、先に明勅ありて屠殺する事を許さず、
今聞く、国郡未だ禁止すること能はず、
百姓猶屠殺することありと、
宜しくその犯すことある者は陰贖を問はず、
先づ杖一百を決して然して後に罪に科すべし。
(三)続日本紀延暦十年九月(七九一年)
伊勢、尾張、近江、美濃、若狭、越前、紀伊等の国の百姓
牛を殺して用ひて漢神を祭ることを禁ず。
(四)類聚国史延暦二十年四月(八〇一年)
越前国で牛を屠り神を祭ることを禁じた。
《Key Word》
殺牛供養
韓半島
奈良時代天平期
平安時代
続日本紀
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿