ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2013年5月10日金曜日
祝(ハフリ)(2)
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:15頁
第一章 祝祭 「祝」(2)
祝は禰宜の呼称より古いと述べたが理由がある。
古事記に天孫降臨の後邇邇芸命が笠沙の御前(みさき)で
大山津見神の御子神木花之佐久夜毘売命に会い結婚し生まれたのが、
火照命、火須勢理命、火遠理命(ほおりのみこと)で、
この火遠理命が別名穂穂出身命と称され皇統を継ぐことになるが、
その職務を
「毛の麤物(ろうもの)、柔物(にこもの)を取りたまひき」と説明している。
この一節は諏訪大社で行われてきた狩の祭典
御射山祭(みさやままつり)において祝である守矢神長官が
山神に奏上した申上つまり祝詞(のりと)の一説に通ずる。
「ししのこふとはらにやかけさせ給へ、
やかけのなかににこいけあらいけあらいけに
こいけゑらふことなくとらせ給へ
かしこみもかしこみもぬかっか申す」
ここにみえる【にこいけ】(柔毛)、【あらいけ】(麤毛)のことで、
火遠理命が祝であったことを理解できる。
御射山祭とは鎌倉時代に盛大に挙行された諏訪大社上社は
その背後となる茅野市から富士見町にかけての高原、
下社の場合はずばりその背後霧ヶ峰高原で
鹿、猪などを山狩する謝肉祭であった。
《Key Word》
邇邇芸命
笠沙の御前
大山津見神
木花之佐久夜毘売命
火照命
火須勢理命
火遠理命
穂穂出身命
毛の麤物(ろうもの)、柔物(にこもの)を取りたまひき
御射山祭
守矢神
祝詞(のりと)
諏訪大社上社
霧ヶ峰高原
茅野市
謝肉祭
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