2011年6月23日木曜日

文化史年表 CHRONOLOGICAL CHART:シベリア(SIBERIA)・蒙古(MONGOLIA)

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:5~6頁

シベリア SIBERIA

蒙古 MONGOLIA


BCE 04700

赤峰紅陶器文化

BCE 02300

BCE 03500        ミヌシンスク文化 MINUINSK  CUL.

BCE 02300    

アンドロノボ文化 ANDRONOVO CUL.

BCE 01000

BCE 00600

綏遠青銅器文化

BCE 00100

BCE 00300

           匈奴 HUNS

ADE 00046         北匈奴南匈奴


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2011年6月22日水曜日

文化史年表 CHRONOLOGICAL CHART:朝鮮 KOREA

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:5~6頁

朝鮮 KOREA

BCE 03700

櫛目文土器文化 KAMMKERAMIK CUL.

BCE 01500     

商人 漕ぐ盧高句麗

潜り盧蒙古

BCE 01000     支石墓文化

    ↓       箕子朝鮮

BCE 00194       衛氏朝鮮衛満朝鮮

BCE 00108       漢四郡                   

BCE 00075       楽浪郡                   

BCE 00037       扶余


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2011年6月21日火曜日

文化史年表 CHRONOLOGICAL CHART:日本 JAPAN

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:5~6頁

文化史年表 CHRONOLOGICAL CHART

日本 JAPAN

BCE 10000
                      縄文文化  JOMON CULTURE

BCE 07951     夏島遺跡

BCE 07500           縄文文化早期 JOMON CULTURE  1st. Stage

BCE 04200           縄文文化前期 JOMON CULTURE  2nd. Stage

BCE 03500           縄文文化中期 JOMON CULTURE  3rd. Stage

BCE 03150     加茂遺跡

BCE 03000

       商人 (シアルクSIALK仕歩くさろくさるく歩き回る)

BCE 02563     姥山遺跡

BCE 02500           縄文文化後期 JOMON CULTURE 4th. Stage

BCE 01500 

沖縄文化  貝貨幣産業殷(商)

霊ライン→殷→→古墳文化

稲敷文化

干支圏

BCE 01122     検見川遺跡

BCE 01100     縄文文化晩期 JOMON CULTURE 5th. Stage

BCE 00334        弥生文化前期前半  YAYOI CUL.

BCE 00200        弥生文化前期後半

BCE 00100        弥生文化中期前半

BCE 00000          

弥生文化中期後半

ADE 00000


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2011年6月20日月曜日

「商人」文化の源か?「シアルク文明」

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:4頁

「商人」文化の源か?「シアルク文明」


そして次々に創案された古代連邦圏を表現する

色、方位、霊獣、季節、干支といった標識が実在したことを発見。

それによって時代ごとに発展した意外な古代文化を知ったが、

それは微々たる日本列島を離れて広大なアジアを西に越えた、

エーゲ海文明に端を発したもの。

時代はさらにさかのぼってアムール(アムリ)文明にまで至り、


 それが隼人町のアムリ川や「天降(あむ)り」や、

中ロ国境のアムール河(黒竜江)の名にまでなっていることに結びつく、

これらから類推すれば、

そのアムール(アムリ)と並立していたシアルクという文明の名が、

今も南九州地方で使われている

「さるく=仕歩(しある)く=歩き回る」という言葉と完全に合い、

シアルを中国訛りで発音したシァウにも

「商」の当て字がピッタリ合うことから、

そこに殷・商人の出自を求める必要が考えられるところまで、

私たちの建国探求は遡上した。

しかしそれに深入りすることは、

本来の主題である『記・紀』解明からは、

明らかに脱線行為だから、

私たちの先祖たちのもっていた文明が、

どんなものだったかがわかった現状で満足して、

また本題にもどることにするが、

これまで明らかになった私たちの血統が、

どういった文明と深く結びっいているかを

印象深く記憶に焼き付けるシステムとして、

我たちの史学には欠くことのできない『文化史年表』の1つを、

この機会にご覧にいれておこう。

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2011年6月19日日曜日

なぜ?シュメルにまで遡る必要があったのか?

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:3頁

なぜ?シュメルにまで遡る必要があったのか?


私たちは「倭の五王」の真相を解明している途中で、巨大な謎に直面した。

その謎とは、明らかに倭王である名乗りをもった「倭=大」のつく

倭讃=大雀=仁徳天皇のあとに、

どう見ても高王だとしか見えない名乗りをもった「興=高」のつく

穴穂=ケチホ=高千穂=高=河内王=安康(この諡号も安羅と康=高麗)天皇と、

その弟「武=高」を名乗る雄略天皇がいる。

これは占領地名だとしてきたが、果して敵の国名をそのまま名乗るか?。

という謎だ。

「倭(ウワイ)」が、

ソナカ宣布団がもたらした女王制の母体=女性仏教徒を指す

パーリ語名だったことは疑いないが、

高のほうは太古にスメル(シュメル)文明

スメラ御国(みくに)とスメラギとヤマトという

呼び名とをもってきた

カリエン=カルデアン=高麗人=高族の名乗りのはずだ。

すると卑弥呼の倭国政権を倒したのは、本来、

高句麗王だった

山上王・位宮=伊支馬こと活目・伊久米の天皇・垂仁天皇で、

邪馬壹国として分裂し、旧倭国と対立した勢力である。

それが仁徳天皇を初代とする「倭の五王」中でもまた、

2つに割れているように見えるのである。

これは『五彩圏』連邦内部の問題にすぎないことは間違いないが、

その根底に何があったのか?を考えさせ。

どうしても

高族がもたらした我が国の文化の源=シュメルにまで

さかのぼって確かめておく必要を感じて、

次々に超古代の文化圏を再検討してきたのだ。

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2011年6月18日土曜日

古代西方大文明の移動と開花。その意外な片鱗

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:32頁

古代西方大文明の移動と開花。その意外な片鱗

その法文にはイッサックム(別名・エンシ)

(もとは都市国家の王だったが、このころは地方長官を意味する)が出てくる。

この名は卑弥呼の弟・五十狭芹(イッサンキン)=戦さの君(イッサックン)と、

帯方郡使の塞曹掾史(エンシ)・張政の官名「掾史」に合う。

これらもカルデアン=カリエン人

バビロンから運んできた名詞群の一部だったのである。

だから彼等の沖縄移住は殷商の建国より、

はるか前から始まっていた。

商人はもちろん遠くまで往来するし、

牧畜者は草を追って移住する。

アレクサンドロス軍は、行く先々にアレクサンドリヤを築いた。

大唐帝国もその1つだったことは、

楊貴妃を死に追いやった安禄山の名が、

アレクサンへの当て字であることでわかる。

そして今も東南アジア各地にアレクサンドロスを名乗る旧貴族が残っている。

だから台湾のタイナも、

そのコースからみてマラヤ半島につながる

タイ国(ナ)に先に建国していたのである。

するとそれと相前後して同じコースを進んだ、

1万人からなるソナカ宣布団に同行したり、

あるいは宣布団そのものが、

「八紘一宇」軍だった可能性もある。

いずれにしてもギリシャからの大文明

我が国の建国史の母体であることは動かない事実である。

私はその証拠集として

『兄弟の国・ギリシャ=100%混っている歴史』を書き上げてある。

『記・紀』の中に充満しているその引用は、在来説だと盗作だが、

天皇たちは真実を書いているのである。

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2011年6月17日金曜日

史実を正しく復元できる『記・紀』の偉大さ

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:30頁

史実を正しく復元できる『記・紀』の偉大さ


しかし、

「そんな頼りない『記・紀』を基に、建国史を復元して何になる」

という意見もまだあると思う。

そんな人々には、

「では、他の歴史書は、どんなに優れているのか?」と訊ねるしかない。

彼が挙げた良い史書中に司馬遷の『史記』があったら、私はこう答える。

司馬遷はその『史記』に、

「中国歴代の皇帝は、多少の差はあるが、

みんな自分に都合の悪い記録や教えを、その歴史から削り、

道義を説いて諌めた家臣や儒者を退けたり殺したりしている。

秦の始皇の「焚書坑儒」と同じことをし、

自分に都合のいい歴史を偽造して書かせているのだ。

私が編纂したこの『史記』は、

そんな記録を集めたもので決して完全な史実の記録ではない。

だから、恥かしながら、不完全と言うしかない」

と自嘲している。と…。

『記・紀』の崇神天皇と神武天皇の記事も、まさにその好例である。

2人の天皇は相戦い、互いに相手を非難し、自分と味方を正義化している。

この同時存在を10代離れた一系の、

歴代天皇だとしているのが真実であるはずがない。

しかしこの小細工を復元して解消すると、

2つの記事は完全に一体化し、

特に武埴安彦の乱の記事は敵味方の双方が

書いた真実の記録だとよくわかる。

それはさらに

『魏書倭人章』の記事にもよく一致しているので、

時間帯も確認できる。

これは間違いなく貴重な史実記録だ。

無用だとする方が間違っているのである。

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2011年6月16日木曜日

史実を正しく復元できる『記・紀』の偉大さ

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:30頁

史実を正しく復元できる『記・紀』の偉大さ


しかし、

「そんな頼りない『記・紀』を基に、建国史を復元して何になる」

という意見もまだあると思う。

そんな人々には、

「では、他の歴史書は、どんなに優れているのか?」と訊ねるしかない。

彼が挙げた良い史書中に司馬遷の『史記』があったら、私はこう答える。

司馬遷はその『史記』に、

「中国歴代の皇帝は、多少の差はあるが、

みんな自分に都合の悪い記録や教えを、その歴史から削り、

道義を説いて諌めた家臣や儒者を退けたり殺したりしている。

秦の始皇の「焚書坑儒」と同じことをし、

自分に都合のいい歴史を偽造して書かせているのだ。

私が編纂したこの『史記』は、

そんな記録を集めたもので決して完全な史実の記録ではない。

だから、恥かしながら、不完全と言うしかない」

と自嘲している。と…。

『記・紀』の崇神天皇と神武天皇の記事も、まさにその好例である。

2人の天皇は相戦い、互いに相手を非難し、自分と味方を正義化している。

この同時存在を10代離れた一系の、

歴代天皇だとしているのが真実であるはずがない。

しかしこの小細工を復元して解消すると、

2つの記事は完全に一体化し、

特に武埴安彦の乱の記事は敵味方の双方が

書いた真実の記録だとよくわかる。

それはさらに

『魏書倭人章』の記事にもよく一致しているので、

時間帯も確認できる。

これは間違いなく貴重な史実記録だ。

無用だとする方が間違っているのである。

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2011年6月15日水曜日

今こそ発揮され始めた『記・紀』の真価

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:29頁

今こそ発揮され始めた『記・紀』の真価

私たちは神武天皇記事が、

複数の史実を合成したものであることを、

早くから知っていた。

今またここで、その建国の大理想が、

アレクサンドロス大王のものだったことを確認した。

それは悪くいえば寄せ集めの「偽史」である。

しかし、全くの嘘でもなく偽ものでもない。

評価のしかたは人によって異なるが、

神武天皇紀』がなければ『八紘一宇』が

ギリシャの悲劇と世界観と哲学とから生まれた、

古代には希な大理想、現代でさえも実現できずにいる、

真のグローバル化を目指したものだったことが、

わからないままで終わったのである。

これほどの内容をもったものを

「偽史」だから無価値だというのは、

その理想に比べると比較にならぬほど低い知性の持ち主だというしかない。

在来の便乗型・唯物史観の連中は、この事実に全く気づいていない。

また逆に、神武天皇の記事をそのままで神聖視して、

日本精神による優れた事跡の歴史だなどと、

国民に強制してきた皇国史観も、

全世界の人からは日本列島土人が描いた野蛮な侵略美化、

征服主義者の野望の現われとして忌み嫌われている。

私たちに流れる血の源である先祖たちは。

この余りにも低い知性と頭脳の子孫に、

激しい悲しみを味わっていたに違いない。

私たちは今、それを大きく改善し、

真の史実を復元することに成功した。

本学会員の喜びは、全人類の喜びそのものなのである。

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2011年6月14日火曜日

『神武天皇紀』に残る台湾ギリシャ人の東征

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:28頁

『神武天皇紀』に残る台湾ギリシャ人の東征

東に良き国あり」と神武天皇が語ったのは、

与那国から見た沖縄本島なのだ。

なぜなら天皇は占領後、その土地をアキヅシマと呼んでいる。

アキヅとはトンボのこと。

沖縄語では今も蜻蛉を「アキヅ」と呼ぶ。

天皇はその国を形容してこう言う。

アキヅが臀砥(となめ)せる如し

(トンボが身体を曲げたような形をしている)

『神武天皇紀』の三十有一年夏卯月。

この形容に合う地形は沖縄本島しかない。


アキヅシマとは蜻蛉島で、蜻蛉之国(しま)なのだ。

しかし沖縄本島は大きい。

肉眼で見たのでは、とてもそんな形をしているとは判らない。

このことは当時すでに「地図」が作られていた証拠なのである。     

これを『日本書紀』の記事通り

腋上(わきがみ)の嗛間(ほほま)の丘」に登って

見た奈良のことだというのは、余りにも無理だし、

秋津島とは日本列島のことだというのもまた無茶である。

それこそ大き過ぎてトンボの形どころではないし、

また現実にそんな形もしていない。

これはばらばらになった記録の文字を拾い集めてつないで脚色したために、

編集者の主観が働いて矛盾だらけの作文が出来上がった証拠なのである。

それを沖縄へもっていけばピタリと当てはまるから、

大和は台湾

それに続く占領地が秋津島だと突き止めると、

始めて史実が復元できて、

それが、

台湾を発進したギリシャ人たちが残した貴重な記録だとわかるのである。

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2011年6月13日月曜日

小島をイオニヤと命名した時、それは始まった

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:27頁

小島をイオニヤと命名した時、それは始まった


ギリシャ人は、いつ?、我が国にやってきたか?

彼等は何を目的にやってきたのか?

が完全にわかった。

彼等は、アレクサンドロスの「八紘一宇」の理想実現の夢を追い続けて、

アレクサンドロスが病気のため引きあげ、若くして死んだあとも、

インドに残り、その後、次第に東へ東へと東征し続けた

「世界国家の戦士たち」だったのである。

もちろん本国からの物資輸送などあるはずもないから、

行く先々で自活するため小国家を建設した。

先住民との混血で風俗・言語も変化していった。

それが後に残したものが国名だ。

奄美、都井、百済、出水、大隅、淡路島といった

海の神々の名をそれにつけたのは、

彼等が海の戦士だったことを示し、

その後も朝鮮半島沿岸を北上して邑婁(ユーロ)などを造った。

その人々を東に送り出した根拠地は台湾

そこには海神でなく季節の女神・ホーライと名づけている。

これは気候温暖な楽土を理想の国とみて土着を決めたことを意味する。

そしてアルゴ船の故事からタイナ国(ロン)とも呼び、

先住南中国人語で「大和 Taiwoh タイウオ」とも呼んだ。

これがタイワンの語源である。

この国こそアレクサンドロスの夢の「和の国」だと自認したのだ。

しかしさらにその理想と夢を拡大して日本列島にも求める時がやってきた。

沖縄西端の小島・与那国をギリシャ語で

イオニヤ(行く者の国)と名づけた時、

それは始まったのである。

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2011年6月12日日曜日

ギリシャの青銅鏡の蓋と麒麟型文鎮

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:26頁

ギリシャの青銅鏡の蓋と麒麟型文鎮

ギリシャの青銅鏡の蓋

この下はアレクサンドロス時代の青銅鏡の、青銅製の蓋である。

英雄テセウスの妻・プェドラと、その乳母が語り、愛の神エロスがプェドラの背後にいる。

有名な物語りの1シーンだが、エロスが措かれているが、

信仰とは関係のない人間臭い情景である。

麒麟型文鎮

前漢時代の青銅製の文鎮

一本角をもった2匹が、たわむれている造型。

「図版」

ギリシャの青銅鏡の蓋と麒麟型文鎮

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2011年6月11日土曜日

中国製「神獣鏡」の実態

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:25頁

中国製「神獣鏡」の実態

左の鏡は京都府古墳の出土だが漢鏡である。

向かって左上に東王父という文字があるので、

上下の神々が、東王父と西王母たちとわかる。

左右には竜が2頭ずついる。

4方に配置されているが、

四神とは無関係なことが、一見してわかる。

下は中国、洛陽出土の唐代の鏡。

これも四周に鳥獣がいて『四神』に似ているが、

鳳凰らしいものが上下にいて、

玄武にあたるものがない。

東西双方にいるのも、一方は虎らしいが、

もう一方のものは蹄をもつから竜ではなく馬である。

本当の『四神』を表現したものは見当らない。

四神など漢代から唐代まで、

ほとんど重視されていなかったことがわかる。

「図版」

鏡は京都府古墳の出土だが漢鏡と中国、洛陽出土の唐代の鏡

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2011年6月10日金曜日

国際戦争だった卑弥呼共立内戦や三国志内戦

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:24頁

国際戦争だった卑弥呼共立内戦や三国志内戦

では、これで隋唐鏡の問題は一応終了にして、

またリストの、後漢時代に戻ろう。

すると、これまでとは違った内容の「倭人章と倭人像」がみえてくるはずである。

107 倭国王帥升(スイ・サヌウ=スサノオ=高句麗王・位宮も同じ名乗りだ)後漢に朝貢。

すでに女性を信者とする優婆畏(ウワイ)の国・倭があったことになる。

また公式記録は見つかってはいないが、

日中間で非公式な往来が盛んだったことは、

我が国の当時の地層から、

鏡や武器など中国製青銅器の大量出土で明瞭。

166 ローマ王アントニウスの使者、後漢政府に来訪。

当時のローマ貨幣はべトナムでも発見。

後漢の桓帝と霊帝との間に、倭人連邦の中で大乱、卑弥呼、女王に共立される

これは天の稚彦と明媛や蘇那易叱智天の日矛などの伝承に分裂したが、

実体は卑弥呼=神功皇后と仲哀天皇=ソナカとの宣布活動であり、

三韓征伐」と呼ばれたものであって。

ギリシャ人とパーリ語人との連合体と、旧勢力との間に起こった内戦。

191 呉の孫堅、首都・洛陽に入る。後漢政権有名無実になる。

『三国志』時代の開幕。この呉は現地発音ウー、孫はスンで烏孫への当て字。

呉孫は長江を下って来た烏孫(大隅)人をさす当て字

『三国志』内戦の実態は、旧説とは比較にならぬ広汎な世界戦争。

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2011年6月9日木曜日

ギリシャ人を立証する信仰の形=葡萄唐草文様

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:23頁

ギリシャ人を立証する信仰の形=葡萄唐草文様

この葡萄唐草文様は、

ギリシャから中近東にかけて盛大だった

酒の神・ディオニュツソス信仰の産物である。

葡萄は酒の母体であり神の賜物であった。

それは健康と快楽と長寿繁栄をもたらす霊草だった。

それに配された馬は海神ボセイドンの象徴であり、

その実体は海馬=竜の落し子(タツノオトシゴ)で、

これはギリシャ海人たちが、守護神として頼る信仰の証しである。

この信仰が中国の技術と結合してこの鏡が生れた。

しかし職人が中国人のため霊物の姿も中国人の常識に置き換わった。

鳥獣などの表現が全てギリシャ文明そのままというわけではないが、

その最大のモチーフである葡萄唐草文は、永くしっかりと守り続けられている。

ギリシャ生れのこの信仰が、これで中国に入ったことが確認できたのである。

その時期が隋唐時代だというのは、まさに大隅ギリシャ人の発展を裏書きしている。

大隅を都に発展し、3世紀には7万戸の大都市国家を造った彼等は、

大隅から溢れ出てウースンと呼ばれながら北上し、

鮮卑(朝鮮の日人)と呼ばれながら中国を制圧して隋・唐政権をっくった。

そしてそんな鏡をっくるまでに繁栄した。

こうみてくると「たかが鏡」だなどとはいえない、

強力な証拠力をもった俸大な文化財であり、

それが記録しているギリシャ信仰や文明の、

動かし難い完璧な物的証拠として、

あらゆる反対を吹き飛ばす大きな役割を果したのである。

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