『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:24頁
「国際戦争だった卑弥呼共立内戦や三国志内戦」
では、これで隋唐鏡の問題は一応終了にして、
またリストの、後漢時代に戻ろう。
すると、これまでとは違った内容の「倭人章と倭人像」がみえてくるはずである。
107 倭国王帥升(スイ・サヌウ=スサノオ=高句麗王・位宮も同じ名乗りだ)後漢に朝貢。
すでに女性を信者とする優婆畏(ウワイ)の国・倭があったことになる。
また公式記録は見つかってはいないが、
日中間で非公式な往来が盛んだったことは、
我が国の当時の地層から、
鏡や武器など中国製青銅器の大量出土で明瞭。
166 ローマ王アントニウスの使者、後漢政府に来訪。
当時のローマ貨幣はべトナムでも発見。
後漢の桓帝と霊帝との間に、倭人連邦の中で大乱、卑弥呼、女王に共立される。
これは天の稚彦と明媛や蘇那易叱智、天の日矛などの伝承に分裂したが、
実体は卑弥呼=神功皇后と仲哀天皇=ソナカとの宣布活動であり、
「三韓征伐」と呼ばれたものであって。
ギリシャ人とパーリ語人との連合体と、旧勢力との間に起こった内戦。
191 呉の孫堅、首都・洛陽に入る。後漢政権有名無実になる。
『三国志』時代の開幕。この呉は現地発音ウー、孫はスンで烏孫への当て字。
呉孫は長江を下って来た烏孫(大隅)人をさす当て字。
『三国志』内戦の実態は、旧説とは比較にならぬ広汎な世界戦争。
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