『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:15頁
ギリシャ人渡来の証拠と移動拡大の歴史
その大隅は地元発音でウースン。
この当て字の一つが「烏孫」。
http://www.google.com/search?source=ig&hl=ja&rlz=1G1GGLQ_JAJP375&q=%E6%AD%A6%E5%B8%9D&aq=f&aqi=g10&aql=&oq=
彼等は前漢の武帝が即位した紀元前140年には
西域で月氏をバクトリヤに追い払っている。
これは大隅人が拡大して朝鮮半島を北上して
鴨緑江両岸に邑婁(ユウロ)や夫余をつくり、
殷代からの高族の国、高麗を支配下におさめて、
黒の国=玄武の国と名付けたことと、
烏は黒鳥だから「烏孫」と言う当て字は、
この地域にいる時に当て字された、という事実まで、
併せて立証しているのである。
彼等は、さらに北へ移動、
中国北部を迂回して西進して月氏の居住地を奪い取ったのだ。
その本国・大隅は新しい領土の都として栄え、
3世紀には7万戸ある大国・邪馬壹国の前身になった。
こうみてくるとその時期と、五彩圏の誕生がぴったり重なり、
そこにつけられた多くの国名が
ギリシャの五彩圏や神名群に一致するのだから、
この勝者がギリシャ人だったことは疑う余地がない。
では彼等はどこから大隅へやってきたか?。
それは与那国島がイオニヤを語源にもち、
台湾がホーライというギリシャの女神名をもち、
そこに一見して欧州人の子孫だとわかるアミ人が今も居住し、
アトモと呼ぶギリシャ式双耳土器を
現代まで焼き続けている人々もいる。
また、ポセイドン、アンピトリテ、アフロヂテなどといった
多数のギリシャ海神名が、百済、奄美、淡路島という国名に一致している。
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