2011年6月8日水曜日

麒麟はギリシャ人のイメージから生まれたか?

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:22頁

麒麟はギリシャ人のイメージから生まれたか?

麒麟は、あくまで中心がギリシャであることを表現するための、

ギリシャ系大隅人たちの着想だった。

では、それにアフリカのジラフは、関係しているのだろうか?。

もちろん日本列島の原日本人も、

古代中国人もアフリカ産のそんな獣は知らない。

中国製の麒麟像がジラフと懸(か)け離れているのは当然だともいえる。

しかしエジプトの首都をアレクサンドリヤにもつギリシャ人は、

ジラフについても幾らか聞いていて、

黄色くて首の長い偶蹄類だという程度の知識はもっていたから、

それに想像を交えて異様な麒麟に仕立てることもできる。

だから異様ではあるものの多くの点でジラフとの共通点が多い麒麟像は、

ギリシャ人の発想で完成したと見るしかない。

そうすると日本を起源とする

『四神』と『五彩圏』が、

後世の隋代に造られた銅鏡に明瞭に存在する理由が、

より明確に納得できる。

またそれが架空のものでも、知識があったことは間違いない。

では銅鏡の麒麟像はいっ中国に現われたか?。

隋以前の古鏡には紐を麒麟像にしたものは愚か、獣にしたものもない。

そうした様式が現われたのは隋唐以後で、

この時代に鏡背図案の様式がガラリと変わり、

獣と葡萄唐草文(ぶどうからくさ)が絡(から)まった

海獣葡萄鏡」などが作られるようになった。

在来の学者も、それは西方文明の影響だと、はっきり認めている。

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