2011年6月18日土曜日

古代西方大文明の移動と開花。その意外な片鱗

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:32頁

古代西方大文明の移動と開花。その意外な片鱗

その法文にはイッサックム(別名・エンシ)

(もとは都市国家の王だったが、このころは地方長官を意味する)が出てくる。

この名は卑弥呼の弟・五十狭芹(イッサンキン)=戦さの君(イッサックン)と、

帯方郡使の塞曹掾史(エンシ)・張政の官名「掾史」に合う。

これらもカルデアン=カリエン人

バビロンから運んできた名詞群の一部だったのである。

だから彼等の沖縄移住は殷商の建国より、

はるか前から始まっていた。

商人はもちろん遠くまで往来するし、

牧畜者は草を追って移住する。

アレクサンドロス軍は、行く先々にアレクサンドリヤを築いた。

大唐帝国もその1つだったことは、

楊貴妃を死に追いやった安禄山の名が、

アレクサンへの当て字であることでわかる。

そして今も東南アジア各地にアレクサンドロスを名乗る旧貴族が残っている。

だから台湾のタイナも、

そのコースからみてマラヤ半島につながる

タイ国(ナ)に先に建国していたのである。

するとそれと相前後して同じコースを進んだ、

1万人からなるソナカ宣布団に同行したり、

あるいは宣布団そのものが、

「八紘一宇」軍だった可能性もある。

いずれにしてもギリシャからの大文明

我が国の建国史の母体であることは動かない事実である。

私はその証拠集として

『兄弟の国・ギリシャ=100%混っている歴史』を書き上げてある。

『記・紀』の中に充満しているその引用は、在来説だと盗作だが、

天皇たちは真実を書いているのである。

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