2011年6月20日月曜日

「商人」文化の源か?「シアルク文明」

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:4頁

「商人」文化の源か?「シアルク文明」


そして次々に創案された古代連邦圏を表現する

色、方位、霊獣、季節、干支といった標識が実在したことを発見。

それによって時代ごとに発展した意外な古代文化を知ったが、

それは微々たる日本列島を離れて広大なアジアを西に越えた、

エーゲ海文明に端を発したもの。

時代はさらにさかのぼってアムール(アムリ)文明にまで至り、


 それが隼人町のアムリ川や「天降(あむ)り」や、

中ロ国境のアムール河(黒竜江)の名にまでなっていることに結びつく、

これらから類推すれば、

そのアムール(アムリ)と並立していたシアルクという文明の名が、

今も南九州地方で使われている

「さるく=仕歩(しある)く=歩き回る」という言葉と完全に合い、

シアルを中国訛りで発音したシァウにも

「商」の当て字がピッタリ合うことから、

そこに殷・商人の出自を求める必要が考えられるところまで、

私たちの建国探求は遡上した。

しかしそれに深入りすることは、

本来の主題である『記・紀』解明からは、

明らかに脱線行為だから、

私たちの先祖たちのもっていた文明が、

どんなものだったかがわかった現状で満足して、

また本題にもどることにするが、

これまで明らかになった私たちの血統が、

どういった文明と深く結びっいているかを

印象深く記憶に焼き付けるシステムとして、

我たちの史学には欠くことのできない『文化史年表』の1つを、

この機会にご覧にいれておこう。

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