2011年6月14日火曜日

『神武天皇紀』に残る台湾ギリシャ人の東征

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:28頁

『神武天皇紀』に残る台湾ギリシャ人の東征

東に良き国あり」と神武天皇が語ったのは、

与那国から見た沖縄本島なのだ。

なぜなら天皇は占領後、その土地をアキヅシマと呼んでいる。

アキヅとはトンボのこと。

沖縄語では今も蜻蛉を「アキヅ」と呼ぶ。

天皇はその国を形容してこう言う。

アキヅが臀砥(となめ)せる如し

(トンボが身体を曲げたような形をしている)

『神武天皇紀』の三十有一年夏卯月。

この形容に合う地形は沖縄本島しかない。


アキヅシマとは蜻蛉島で、蜻蛉之国(しま)なのだ。

しかし沖縄本島は大きい。

肉眼で見たのでは、とてもそんな形をしているとは判らない。

このことは当時すでに「地図」が作られていた証拠なのである。     

これを『日本書紀』の記事通り

腋上(わきがみ)の嗛間(ほほま)の丘」に登って

見た奈良のことだというのは、余りにも無理だし、

秋津島とは日本列島のことだというのもまた無茶である。

それこそ大き過ぎてトンボの形どころではないし、

また現実にそんな形もしていない。

これはばらばらになった記録の文字を拾い集めてつないで脚色したために、

編集者の主観が働いて矛盾だらけの作文が出来上がった証拠なのである。

それを沖縄へもっていけばピタリと当てはまるから、

大和は台湾

それに続く占領地が秋津島だと突き止めると、

始めて史実が復元できて、

それが、

台湾を発進したギリシャ人たちが残した貴重な記録だとわかるのである。

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