『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:3頁
なぜ?シュメルにまで遡る必要があったのか?
私たちは「倭の五王」の真相を解明している途中で、巨大な謎に直面した。
その謎とは、明らかに倭王である名乗りをもった「倭=大」のつく
倭讃=大雀=仁徳天皇のあとに、
どう見ても高王だとしか見えない名乗りをもった「興=高」のつく
穴穂=ケチホ=高千穂=高=河内王=安康(この諡号も安羅と康=高麗)天皇と、
その弟「武=高」を名乗る雄略天皇がいる。
これは占領地名だとしてきたが、果して敵の国名をそのまま名乗るか?。
という謎だ。
「倭(ウワイ)」が、
ソナカ宣布団がもたらした女王制の母体=女性仏教徒を指す
パーリ語名だったことは疑いないが、
高のほうは太古にスメル(シュメル)文明と
スメラ御国(みくに)とスメラギとヤマトという
呼び名とをもってきた
カリエン=カルデアン=高麗人=高族の名乗りのはずだ。
すると卑弥呼の倭国政権を倒したのは、本来、
高句麗王だった
山上王・位宮=伊支馬こと活目・伊久米の天皇・垂仁天皇で、
邪馬壹国として分裂し、旧倭国と対立した勢力である。
それが仁徳天皇を初代とする「倭の五王」中でもまた、
2つに割れているように見えるのである。
これは『五彩圏』連邦内部の問題にすぎないことは間違いないが、
その根底に何があったのか?を考えさせ。
どうしても
高族がもたらした我が国の文化の源=シュメルにまで
さかのぼって確かめておく必要を感じて、
次々に超古代の文化圏を再検討してきたのだ。
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