2011年6月19日日曜日

なぜ?シュメルにまで遡る必要があったのか?

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:3頁

なぜ?シュメルにまで遡る必要があったのか?


私たちは「倭の五王」の真相を解明している途中で、巨大な謎に直面した。

その謎とは、明らかに倭王である名乗りをもった「倭=大」のつく

倭讃=大雀=仁徳天皇のあとに、

どう見ても高王だとしか見えない名乗りをもった「興=高」のつく

穴穂=ケチホ=高千穂=高=河内王=安康(この諡号も安羅と康=高麗)天皇と、

その弟「武=高」を名乗る雄略天皇がいる。

これは占領地名だとしてきたが、果して敵の国名をそのまま名乗るか?。

という謎だ。

「倭(ウワイ)」が、

ソナカ宣布団がもたらした女王制の母体=女性仏教徒を指す

パーリ語名だったことは疑いないが、

高のほうは太古にスメル(シュメル)文明

スメラ御国(みくに)とスメラギとヤマトという

呼び名とをもってきた

カリエン=カルデアン=高麗人=高族の名乗りのはずだ。

すると卑弥呼の倭国政権を倒したのは、本来、

高句麗王だった

山上王・位宮=伊支馬こと活目・伊久米の天皇・垂仁天皇で、

邪馬壹国として分裂し、旧倭国と対立した勢力である。

それが仁徳天皇を初代とする「倭の五王」中でもまた、

2つに割れているように見えるのである。

これは『五彩圏』連邦内部の問題にすぎないことは間違いないが、

その根底に何があったのか?を考えさせ。

どうしても

高族がもたらした我が国の文化の源=シュメルにまで

さかのぼって確かめておく必要を感じて、

次々に超古代の文化圏を再検討してきたのだ。

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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
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