2011年6月3日金曜日

「高族の来たコースも教える日本語」の誕生期

『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:12頁

「高族の来たコースも教える日本語」の誕生期

これで「クッ」「イン」という日本語が3000年以上前のものであり、

それが太陽を介して東西を意味するようになり、

「来る」東風(こち)や、「去(い)ぬ」から「イン=居ない」や「イッ=行く」という

日本語が生まれたことがわかるが、方角を示す言葉はそれだけではない。

「来た」は北と同じ発音である。

その北には高麗があり、これは「クル=来る」とも読め、

その当て字「高」の漢音は「コウ=来(こ)う(来い)」という古語に合い、

「麗」はライで「来」に合う。

これは後の日本語が、北を「来た」と意識した時代に生まれたと証言している。

すると、それを北だと意識している位置は南である。

南に住んでいるから北を「来た遺跡」として強く意識しているのである。

そして、その南は「皆(みな)、水(み)」「皆、海(み)」と認識している。

これは沖熊本島での意識である。

南九州からなら、

すぐ種子島、屋久島があり、南西諸島があり、全部海だとは感じないからだ。

沖縄は宝貝の、世界に類をみないほどの大産地だった。

そこが全盛期にあったのも殷代だった。

人々は当然のように殷の都へ宝貝を運んでいたのである。

そしてその宝貝貨幣はカリエン=高麗人=カルデアンの商品だった。

その高人は「北から来た」と「日本語で」言い続けているのである。

彼等が来たのは殷文化が生まれた紀元前1500年代、

カッシート人バビロンを征服したのは、

その約1世紀前のことである。

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