『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録19:12頁
「「高族の来たコースも教える日本語」の誕生期」
これで「クッ」「イン」という日本語が3000年以上前のものであり、
それが太陽を介して東西を意味するようになり、
「来る」東風(こち)や、「去(い)ぬ」から「イン=居ない」や「イッ=行く」という
日本語が生まれたことがわかるが、方角を示す言葉はそれだけではない。
「来た」は北と同じ発音である。
その北には高麗があり、これは「クル=来る」とも読め、
その当て字「高」の漢音は「コウ=来(こ)う(来い)」という古語に合い、
「麗」はライで「来」に合う。
これは後の日本語が、北を「来た」と意識した時代に生まれたと証言している。
すると、それを北だと意識している位置は南である。
南に住んでいるから北を「来た遺跡」として強く意識しているのである。
そして、その南は「皆(みな)、水(み)」「皆、海(み)」と認識している。
これは沖熊本島での意識である。
南九州からなら、
すぐ種子島、屋久島があり、南西諸島があり、全部海だとは感じないからだ。
沖縄は宝貝の、世界に類をみないほどの大産地だった。
そこが全盛期にあったのも殷代だった。
人々は当然のように殷の都へ宝貝を運んでいたのである。
そしてその宝貝貨幣はカリエン=高麗人=カルデアンの商品だった。
その高人は「北から来た」と「日本語で」言い続けているのである。
彼等が来たのは殷文化が生まれた紀元前1500年代、
カッシート人がバビロンを征服したのは、
その約1世紀前のことである。
『ウワイト』
ウワイト
『ウバイド』
GoogleWeb検索
YahooWeb検索
YahooWeb検索
Google画像検索
Yahoo画像検索
言語復原史学会
言語復原史学会
『My ブログ』
歴史徒然
ネット歴史塾
ウワイト(倭人)ウバイド
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史の画像
歴史学講座『創世』うらわ塾
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
メソポタミア世界
シュメル-人類最古の文明
The ETCSL project,Faculty of Oriental Studies, University of Oxford
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
0 件のコメント:
コメントを投稿