2015年7月27日月曜日

大己貴命と「タカラ」②

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:960~963頁

 第15章 大黒柱と大己貴命

 大己貴命と「タカラ」②

  大己貴命名は『日本書紀』の名称である。

 その一書は

 「大国主神、別名大物主神、国作大己貴命と名付く、

  葦原醜男命、八千戈神、大国玉神、顕国玉神」と七つの尊称を挙げる。

 『古事記』は

 「大国主神、亦名大穴牟遅神と謂ひ、亦名葦原色許男神と謂ひ、

  亦名八千矛神と謂ひ、亦名宇都志国玉神と謂ひ、

  并せて五つの名有り」と記す。

 本書にはこれで大国主神を含めた尊称のうち、大己貴命、

 葦原醜男神、八千矛神の五神について述べたことになる。

  さて、山椒魚の「玉子」卵嚢は勾玉(曲玉)の原形であると述べたが、

 出雲の富氏族はこれを「財(たから)」と称したという。

 大己貴命信奉には勾玉が欠かせないことは明らかである。

 そして、その国を「タカラ」と称したと考えられる。

 東鯷国は大陸の漢人が呼んだ呼称である。

 だが「山椒魚国」の人々は自身で「タカラ」と呼んだ可能性がある。

 「財」の付く地名は岡山県、佐賀県、宮崎県、鹿児島県と

 山椒魚名のある地域にある。

  山椒魚は

 「ブリタニカ百科」によると「皮膚がサンショウの木の皮に似るとか、

  皮膚にたくさん顆粒があって刺激するとサンショウ匂いに似た

  乳白色の液を出す。

  サンショウの樹皮を食べるなどと

  伝えられていることに由来するらしい」のであるが、

 どちらにしても香辛料ともなる「山椒」と関係がある。

 日本列島の山椒は古代においては重宝であったとみられる。

 三国志魏書倭人章には倭の地の産物として

 「椒」が記されているからである。

 この山椒を南方からやって来た貿易商人のヤーダヴァ族は

 Takkola と呼び、香辛料の一種として使われている。

 Takkola はヤーダヴァ族あるいは

 「天毒の愛人」であるインドの商人達が

 インド亜大陸へ伝えた地名と考える。

 その名は「ミリンダ王の問い」で

 貿易商人が訪れる先として挙げられている地方の一つである。

 Vagṅaṃ、Takkolaṃ、Cinaṃ、Soviraṃ、

 Suraṭṭhaṃ、Alasandaṃ、Kolapaṭṭaṅaṃ

 とチーナ(支那)と並んで現れる地名である。

 各地名がどこを指すのか第10章天毒とセリカの

 「インドの海洋交易商人」に詳しく解説した。

 Kolapaṭṭana については第10章天毒とセリカでも推論を展開した。

 そこで中村元が「タッコーラ(北アルコット地方)」と

 インド亜大陸のベンガル湾側、

 つまり東インドの中間辺りを比定地としていることに

 疑問を提起しておいた。

 チーナに近い東アジアの地域に想定することは不可能ではない。

 その地域を日本諸島に限る必要はない。

 インドの商人は大陸ではない倭人の住む東方の島峡を「タカラ」と

 総称していたかもしれない。

 そこはセリカの一部であった筈である。

 台湾の台北から基隆新店両渓流間を

 「タカラ」あるいは「タアラア」と呼んでいた記録がある。

 漢字の表記で「大加蚋」ないし「大佳蠟」である。

 まだ漢族が積極的に渡来しなかった16世紀頃までの古名である。

 因みに Vaṅga についても

 中村元はベンガル湾の奥の地方ガンジス川下流を想定しているが、

  Vaṅga はインドネシア語の「香料」を意味する

  wangi (wangan) に近似し、古来香料諸島と呼ばれている

 Maluka (Mulccas) に比定できるのである。

 そこは丁字の原産地で、

 バビロニアの時代から丁字はメソポタミアに運ばれた。

  「タカラ」は考えられる日本の最古名である。

 「タカラ」が「タケル」に転訛したとすれば、

 『古事記』の国生み神話に「建」に冠されている

 下記の名称はその遺称である。

  〇建依別 土佐国

  〇建日向は豊久士比泥別 肥国

  〇建日別 熊曾国

  〇建日方別 吉備児島

  
  大己貴命の神名は以上のような日本の「創世」の頃の

 秘密が隠されているのである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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