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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
セブンネット
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:346~350頁
第16章 イスラエル人の日本定着とヘブライの信仰
イスラエル人と月氏:大月氏国の成立
紀元前177年頃、
匈奴の冒頓単于(ぼくとうぜんう)に敗れた
月氏は紀元前176年には
一部は安定に残留した(小月氏)ものの
他の部族は西遷を始めた。
彼等は天山北方のイリ(伊犂) に
弓月城を築いて一時滞在したが、
さらに西方に移動し、
張騫の派遣された139年までには
西トハリスタン、ソグディアナ、バクトリアに地歩を固め、
140年には大月氏国を成立させたとみられている。
移動したものを小月氏という。
これにより以前
マケドニアのアレキサンダー大王が東方への大遠征を行い、
バクトリア、ソグディアナまで到着し、
325年頃インダス河を下ってアラビア海へ出て
ペルシャのペルセポリスまで引上げた。
彼(アレキサンダー大王)が紀元前323年に突然死去すると、
帝国は分裂し、この地方はセレウコスの王朝となるが、
その勢いが衰え、この地方にはバクトリア国が、
大王に率いられて渡来し残留していた
ギリシャ人たちによって独立成立した。
ヘレニズムの東端の国といわれている。
同国も北方のスキタイ人などの圧力に押されて
次第にヒンズークシ山脈の南へ
内部分裂と紛争を繰り返しながら移っていく。
この北方からの勢力の中に月氏の勢力もあったといわれ、
その間に覇権をまとめ上げたのが大月氏国であった。
ソグディアナが彼等の故地であったとすれば、
帰還ということになる。
紀元前140年頃からの支配体制についての詳細は
よく解らないが、
その首都が中国名、藍氏(jian-ti)城で、
バクトリアの域内にあったとされる。
紀元前65年には五王国に分裂されたことが
中国の史料にみられる。
『漢書』によると、その五王国は
①休蜜翕候(きゅうみつきゅうこう)
②雙靡翕候(そうひきゅうこう)
③貴霜翕候(きしゃんきゅうこう)
④肦頭翕候(はんとうきゅうこう)
⑤高附翕候(こうふきゅうこう)
である。
翕候は王のような職位を表す。
そのうちの高附は喀布爾(かふじ)とも表記された
現在のアフガニスタンのカブールであり、
貴霜はタリム盆地の南西、
ギリシャ語でクスターナといわれた、
現在の和田(ホータン)である于闐(うてん)の地であり、
後に貴霜は他の王国を統一して
インド亜大陸へも勢力を伸張し、
仏教の擁護者カニシカ王を誕むこととなる。
この于闐の地は古来玉石の産地として繁栄したのであるが、
クシャン国もその天恵に浴した。
玉は角閃石の一種で同地には
白玉河、緑玉河、黒玉河があって
産量の豊富であったことを示している。
玉石は中国において殷の時代より
圭(けい)、璋(しょう)、璧(へき)と
王権の権威を象徴するのに用いられ尊重された。
漢の時代になってもその需要は高く、
大量に輸出されたらしい。
その状況は唐宋の時代まで続く。
その見返りとして漢からは絹が輸出された。
このことからシルクロード(これは現代の命名)は
確立されることになったのである。
大月氏国にもたらされた絹が
さらに西方に輸出されたことは間違いない。
東方の漢にとって大月氏は「玉の民族」であり、
西方の国にとっては
「絹の民族」という見方もここでは成り立つ。
地中海沿岸のフェニキアは
古来織物産業の活発な土地であり、
ヘブライの地でもそのような技術を修得しており、
メディアなどに移動させられてから
6百年を過ごした後とはいえ、
日常の衣服を生産するなどして技術を保持していた
技工たちはいたに違いない。
彼等が絹の専門技術者あるいは商人として
成長したと考えられる。
というのも、
五翕候の内、言及していない三翕候名は
サンスクリット語で解釈すると
養蚕業に係わる名称であるからである。
当時インドの言葉は仏教の伝播などと共に
この地方へも広がっていたから不自然ではない。
「休蜜」は krmi で「昆虫、虫」の意味で、
ここでは「かいこ」つまり蚕のことである。
「雙靡」は蚕の蛹(さなぎ)ことでサビであり、
「肦頭」は patta で絹を意味する。
貴霜についてもその語幹が kaşa で
サンスクリット語の「草」であるが、
書き残されたなかには
ギリシャ語の korsano 、
あるいはカニシカ王の貨幣に刻まれた
košano の場合もあるので
繭を表す koša を祖語とした部族名であった可能性もある。
「後漢書西域伝」は高所の代りに都蜜を
五部族のうちに記している。
この語は dāma で「紐、縄、綵、帯」であるが、
その意味するところは
tanu 「紐、細線、糸」で繊維をいうものであろう。
Tan-tu-vana は繊維を表す。
以上のように大月氏の部族名は絹産業を基礎にした
技術集団と考えられるのである。
このころから西方のローマを初めとする地中海地方では
セレスという絹を表す貴重な織物と糸が普及し始めるのである。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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