2015年7月10日金曜日

御名方神と御柱(3)御名方神と「柱」②

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:934~937頁

 第14章 牛頭と鹿頭

 御名方神と御柱(3)御名方神と「柱」②

  出雲国風土記のいわゆる「国引き」神話がそれである。

 「国」と表記された「クニ」は本来サンスクリット語の

 guṇa がその祖語であり、

 それが「国」と解釈され風土記に記述されるような

 物語となったのである。

 Guṇa は「紐を構成する條、紐、糸」で「綱」を意味する。

 綱は巨大柱を曳行するための貴重な用具である。

 「国引き」は「綱引き」である。

 神話の主人公「八束水臣津野命」の名前は「御柱引き」の意味を含む。

 「八束(やつか)」は gaṣtika の音写で「杖」が本義ながら「柱」を意味する。

 「水臣」は松江市大草町安部谷のアベ ambha となっているが、

 この神名においては

 「ミナ(水)」で māna 建物の派生で「建てる」を意味する。


 「津野」は単純に「綱」を異字体を用いて表記したもので、

 その神名は「柱建ての綱」である。

 風土記では三つの国を引いて来るが、

 そのうちの一つ狭田国の一部を日本古典文学大系から転載する。

  三身の綱のうち掛けて霜

  三身の綱をうちかけて、霜黒葛(しもつづら)くるやくるやに、

  河船のもそろもそろに、国来国来(くにこくにこ)と引き縫える国は、

  多久の折絶えり、狭田の国、是なり。


  狭田の国は現在の八束郡鹿島町の佐陀本郷、佐陀宮内の

 地名にあるように和名類聚抄にいう佐陀郷に当たるが、

 「サダ」は東出雲町の須田と同じくサンスクリット語の

 stuṅa あるいは stambha (杖)を祖語とするものとも考えられ、

 出雲の古代においても「柱信仰」があったと考えられる。

 ここにみられる「三身」は「ミミ」で、「三身の綱」は「柱建ての綱」となる。

 また「来縫」に対し「きぬ」と訓を付しているのも関係ありそうである。

 国引きを終わった八束水臣津野命は

 「意宇の社に御杖衝き立てて『おゑ』と詔りたまひき」とあるが、

 最後の神事として「杖を衝く」つまり「柱を建て」たのである。

 「おゑ」は「オーレ」と同じで

 シュメル語 ār' を祖語とする「神を賛美する」との詞である。

 鹿島町には御津があるが、これは平田市に三御町があり、

 そこに美野瀬があるように「ミナツ、ミーツ」で、

 miti(Mā),minoti(Mī)、その西隣りの美保町に鎮座する

 田田神社、松江市岡本町の多太神と同じく

  daṇda (杖)に依拠するものと考える。

 島根県の西部石見国に美濃郡がある。

 現在の美濃郡は和名類聚抄美濃郡に載る

 大農、美濃、小野の三郷が合併して成立した三野の意味であるという。

 しかし、奈良時代から「美濃」は見られる古名である。

 益田市には現在も美濃地があり、 minoti を祖語とするもので、

 「柱を建てる、建設する」を意味する。

 これらの史料が全て御名方神と係っているとは言い難いが、

 出雲、石見に「柱(杖)を建てる」信仰があったことは確かと考える。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ

 鳥居のルーツ

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