2015年7月11日土曜日

御名方神と御柱(4)水戸神①

 『浦和レッズレディース』 猶本光サポーターズサイト
 『ひねもす至福の時』
 『誕生日の花と花ことば』
 『湘南ベルマーレ』
 『広島・明星院』
 『広島・明星院』
 『明星院・広島県歴史&地名他』
 『madiのブログ』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》
 Matのジオログ(History)
 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:937~941頁

 第14章 牛頭と鹿頭

 御名方神と御柱(4)水戸神①

  大国主神が国譲りした後について『古事記』は次の様に記す。

 日本古典文学大系から転載する。

  出雲国の多芸志の小浜に、天の御舍を造りて、水戸神の孫、

  櫛八玉神、膳夫と為りて、天の御饗を獻りし時に、祷き白して、

  櫛八玉神、鵜に化りて、海の底に入り、底の波邇を咋ひ出でて、

  天の八十毘良迦を作りて、海布の柄を鎌りて、燧臼に作り、

  海蓴の柄を以ちて燧杵に作りて、火を鑽り出でて云ひしく(略)


  「多芸志の小浜」について現在の出雲市武志町に比定する意見がある。

 吉田東伍「大日本地名辞書」は

 「武志に膳夫明神存し、杵築にも水戸社あり、

  その水戸神の裔を財氏と称し、世々別火の家なり」と記す。

 太田亮「姓氏家系大辞典」は財氏について

 「水戸神裔、出雲大社の社家にして、

  応安3(1370)年8月28日の連署に『別火、財貞吉』見ゆ。

 水戸神の孫、櫛八玉神の後裔と伝えらる。

 杵築に水戸社存す。」と記している。

 杵築大社の「水戸社」は現在「湊社」と表記されている。

 境外摂社である同社について

 第82代出雲国造千家尊統は「出雲大社」の中で

 「祭神、櫛八玉神で大社社家上官の別火氏の祖先神」といい、

 その神事である身逃神事(神幸祭)に関して

 「この身逃げ神事を奉仕するのが本来別火氏であった」と述べている。

 財氏はまさに吉田大洋「謎の出雲帝国」で紹介された

 「富上宮出雲臣財富雄」氏と関係する一族であろう。

 「財」は勾玉をいうものであることは紹介済みである(第12章)。

 この『古事記』が述べるところは、

 出雲大社を国譲りの直後は富氏(登美族)の一族である

 財氏と同族の別火家がその奉祭に当っていたが、

 後に天穂日命の一族出雲国造家が大和の神武天皇の王朝から

 奉祭を担うよう託されたという史実であろう。

 別火家名は「火を分ける家」の意味で、

 八雲村の熊野神社で火護の神事に奉仕していた一族とも考えられる。

 つまり熊野神社は富氏族の奉祭する神社で、

 その祭神櫛御毛野神を富氏が祖神としていたとみられ、

 出雲井神社や富神社で祀る久那斗神(穴掘神)と

 既述した理由はそこにある。

  これらの状況を背景に持つ「水戸神」もまた

 富族(登美族)に係る神名である。

 同神名は『古事記』の
 
 伊邪那岐命と伊邪那美命の国生みの段に続く

 神誕みの段にその両神の御子神として

 「水戸神、名は速秋津日子神、

  次に妹速秋津比売神を生みき。」とある。

 続けて『古事記』はこの二柱の秋津神から

 沫那芸(あわなぎ)神など八神を生んだことを記すが、

 その神名は「河海に因る」名称である。

 水戸神は単に「湊」の神であろうか。

 その秘密は「秋津」にあるが、

 これもシュメル、いやそれより古く

 人類の灌漑を始めたころに遡って解釈しなければならない。

 メソポタミアのサマッラ遺跡の新石器時代の遺構で

 人類の初めての灌漑施設が見つかっている。

 チグリス川の水を制することは

 小麦などの生産を増大させる重要な技術であった。

 その様子は第2章メソポタミアと牡牛で述べた。

 灌漑技術は建設技術であった。

 その点で「水戸神」が建設神である始まりである。

 そして「ノアの方(箱)舟」の様に

 建築は常に水と向き合ったものであった。

 この「箱」を意味する用語が、

  ギリシャ語で αρχι、

  ラテン語で arca、arceu 、

  ドイツ語で arche 、

  英語で ark であり、

 この箱を作る者(建築師)が

  αρχιτεκτων(ギリシャ語)、

  architeta(ラテン語)、

  Architekt(ドイツ語)、

  archtekt(英語)である。

 これらが「秋津」の祖語であり、

 その本来の字義が「建築師」であるから

 「建物を建てる職匠」である建御名方神と同義と考えられる。

 つまり「水戸:ミナト」とは minati の音写であることとなる。

 水戸神を建御名方神の別称とすることもできる。

 多芸志の小浜に「天の御舎」を建てたのもこの水戸神であろう。

 Māna の字義の中には「建物、住宅」と共に「祭壇」の意味がある。


《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

0 件のコメント: