2015年7月10日金曜日

御名方神と御柱(3)御名方神と「柱」①

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:932~934頁

 第14章 牛頭と鹿頭

 御名方神と御柱(3)御名方神と「柱」①

  御名方神は『古事記』などの伝承によると

 八千矛神と高志国の沼河比売命、出雲国風土記によると

 「天下造らしし大神が高志国に坐す奴奈宜波比売命に

  み娶ひして産みましし神、御穂須須美命」であるといい、

 同神の背景に日本海側の文化が投影されていると判断される。

 そこで考えておくべきは「柱を建てる」である。

 北陸地方の縄文時代後期・晩期の遺跡から

 相次いで発見された巨大柱の痕跡である。

 諏訪神社の「御柱」は山より巨木を曳行して

 各神社境内に柱を建てる祭事である。

 その実態は未だ説明されていないにしても縄文時代の

 「柱建て」は祭祀に係るものと考えられており、

 双方には関係がありそうである。

 巨大柱に係る遺物、遺構の発見された遺跡を挙げておく。

 〇新潟県寺地遺跡(西頸城郡青海町寺地)

  縄文中期から晩期の集落、湿田地帯から縄文晩期を主体とした

  特殊な配石遺構、積石墓、木柱郡が見つかった。

  木柱の直径が80センチメートル程度の根元が数10本出てきた。

 〇富山県桜町遺跡(小矢部市桜町)

  縄文時代から近世までの複合集落、縄文時代前期から晩期では

  丸太を杭で留めた橋状遺構等と共に巨大な木柱根が出土した。

  長さ3メートル、直径22センチメートルで貫穴がつけられている。

 〇石川県
 
 ①新保本町チカモリ遺跡(金沢市新保3、5丁目)

  縄文時代後期・晩期を中心とした集落、方形プランの

  建物跡多数とともに巨大な栗材の半戴柱が見つかった。

 ②米泉遺跡(金沢市米泉2丁目)

  縄文時代後期・晩期の集落、柱根及び環状木柱列が検出された。

  
 ③真脇遺跡(鳳至郡能都町真脇)

  縄文時代前期初頭から晩期末の遺跡、彫刻木柱(前期から中期前葉)

  栗材の巨大な半戴柱を環状に配した遺構(環状木柱列)

  このうち寺地遺跡の木柱には曳行により磨り減った痕跡が
  
 木柱面に見られたものがあり、

 諏訪の御柱と同様のことが行われていたことを示している。

 巨大木柱の曳行、御建は北陸3県だけだろうか。

 そうではない。

 青森県の三内丸山遺跡でもその遺構は出土した。

 また諏訪大社の鎮座する茅野市の阿久遺跡からも

 環状配石址と共に方形柱列址が見つかっている。

 これらは考古学的発掘によって明らかになった史料である。

 史書にそのような縄文時代の文化を継承した記録があるのである。
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