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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
執筆時期:1999~2000年
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:947~952頁
第15章 大黒柱と大己貴命
大黒柱②
「柱を建てる職匠」神、建御名方神の
māna に「建物、住宅、祭壇」の意味がある。
祭壇を主殿とする神社である杵築大社の心の御柱は俗称ではなく、
まさに「大黒柱」である。
その主神が大国主神である。
本書は第12章「大黒主神」において
「大国」は「大黒」であることを主張した。
大神神社の磐座神社、拝殿のある所の名称が「大黒谷」であり、
それに連なる禁足地の大宮谷も大黒谷であった可能性があると述べた。
また「黒」に関係して現在の大阪湾である墨江の「茅淳海」、
そして「大国主を奉祭する氏族④都農神社」でその祭神が大己貴命、
「都農」が「チヌ」で「黒」であること、
「日向風土記」逸文で「黒頭」がみえることを紹介した。
大国主神が杵築大社の祭神でるからには
「心の御柱」が「大黒柱」であって何の不思議もなく、
その名称の発祥がここにあると考えてもよいのである。
千家尊統は
「祭神は大国主神であるが、
大国を『ダイコク』とも読むところから、
仏教のダイコク天に中世から習合されて考えられ、
頭巾をいただき、右手に小槌、左手に嚢を背負い、
米俵の上に乗る福神の姿を、人に這うのである。」
と述べている。
確かにそれは古代末から中世にかけての史実であったかもしれない。
大漢和辞典は、大黒天(大黒神)について
「①三宝(仏法僧)を愛し、五衆を護り、飲食を充饒するという神、
始めは仏法を護り戦闘神也、後には主福の神となり、
厨房に安置す。大黒天」として mahā-kāla の移入を述べ、
「②七福神の一、我国では神仏習合の結果、
大国主と紹介するのは大黒の音が大国主神の大国に通じた
大国主神の別名大己貴命の字大己貴
ダイコキが大黒に近いので誤用したもの」と解釈している。
これら一般に認められている通説は
「大国」が「大黒」になったというものである。
本書は古代の太初において
「大黒」が「大国」になったと説明しているのである。
そして「大黒柱」は「大国主神の柱」であるといいたいのである。
大国主神が多芸志の小浜に鎮座するために建てた
天の御倉の宮柱こそ「大国柱」の始まりである。
そして、
大国主神は日本の歴史上最も早く、広く大衆から支持され信奉された
「神格」を備えた神名なのであり、
最初に家で国体、国家の中心となり支えとなった神なのである。
次にその理由を明らかにする。
第12章の「大国主神」などで、同神が「大黒」であり、
「睪」であると述べ、出雲国風土記に載る。
現在の
八束郡東出雲町出雲郷の阿太加夜神社の祭神阿太加夜多久比売命、
斐川郡多伎町多伎の多伎神社、口田儀の多伎芸神社の祭神も
「多久神」の比売神であり、
「多久神」は大国主神のことであると説明した。
これまで、大物主神は devasa の音写でインドラ神であり、
その神がもつ竜神、剣持神、牡牛の神などと
その形容される多くの神像を提供してきたが、
大国主神については一切それらしい肖像を提起してこなかった。
ここで初めて開示することとなる。
大国主神である「大黒主神」の祖像は「大山椒魚」である。
「多久」と訓む「繹魚」は「爾雅」によると「鯢(げい)魚」で
「山椒魚」を意味する。
その注に
「今鯢魚似鮎、四脚、前似[猿(袁→彌)]猴、後似狗、
聲如小兒啼、大者長八九尺。」とある。
サンショウウオには二種類ある。
体長大きくても15~20センチメートルのものと大山椒魚である。
「繹魚」の「大者謂之鰕」、「鰕、繹魚」とする。
「繹」の訓名について
大漢和辞典は「セキ、シャク、エキ、ヤ「とく」とも「睪声」と記す。
「睪」は「エキ、ヤク、デフ、ネフ」と共に
「タク、ヂャク(正誤)」と記しており、
これまで「睪」字を用いてきた理由はここにある。
つまり「睪」は山椒魚であり、その大なるものを「鰕」というが、
それが「大山椒魚」である。
小型の山椒魚魚の種類は棲息地域によって分散している。
本州に特徴的な種類は「黒サンショウウオ」である。
全体的にその背の色は暗褐色(黒)である。
また、古来「黒焼」ともいわれ、
干物にされるか焼かれて精力剤あるいは子供の病の薬として用いられた。
イモリとその形がよく似ており「イモリの黒焼」といわれたものには
山椒魚が含まれているに違いない。
「黒」とは山椒魚であり、「大黒」とは「大山椒魚」である。
大山椒魚は前記の「爾雅」の説明にあるように体長が8、9尺という。
これは中国の尺度であるが、日本で確認されているものでは、
大きなもので160~180センチメートルに成長する。
彼等は清水がある峡谷にしか棲息しない。
そぢて驚くべきことに、
その寿命は80年~100年を超す場合もあるという。
古代における人の一生は50年程度だったと推測されている。
その時代に100年を生きる動物はそれだけで「神」として
尊崇される意義が十分あったはずである。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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