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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
セブンネット
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:957~959頁
第15章 大黒柱と大己貴命
大己貴命と「タカラ」①
漢書地理志の「燕国」に
「東方の夷人は天性柔順で、他の地方とは違う。
孔子が道の行われないことを悼み、海に船を浮かべて、
東夷の国に住もうとされたのも理由のんあいことではない。
楽浪の海の中には倭人が百あまりの国に分かれ、
その歳おりふし貢物を持ち来見するといわれる」とある。
この条文についても一般に古代の日本のことと理解されているが、
「倭人」は本書の第10章天毒とセリカなどでみたように
日本列島にいた人々だけとは鍵らない。
しかしそこにある「天性柔順」では
全く「倭」の字義に相当するものである。
「倭」とは、「従うさま」をいったもので
「委」は「身をかがめる、身を屈する」で
「恭順」ないし「柔順」の意味である。
この「身をかがめた」姿態こそ山椒魚の姿で、
いわゆる「はいつくばり」の様である。
それをサンスクリット語で表現したのが「ナムチ」である。
「大己貴命」名で、大山椒魚を称するものである。
Nam、namati は
「~に向って屈む、~にお辞儀をする、沈む、静かになる」で、
ānamati は
「屈む、頭を下げた、屈んだ、服従した、従順な」 などの意味となり、
大己貴命の像に合っている。
同類語に namuci があるが、
これはインドラ神に征服された悪魔の名で、
namuchi-dvis(devasa) はインドラ神の称であるが、
この namuchi が大己貴命の「ナムチ」になったとはいえない。
Namuchi が該当すると考える。
身を屈めて這いつくばる山椒魚はまた「生尾人」である。
『古事記』の神武東征で、
次々と神武軍に制服された大和の種族で、
彼等を「オオ、多」と解釈し、
登美族の種族だと見解を述べた(第12章)。
「尾の生えた人」は大山椒魚である。
その事が小児(童)の様だというのは「河童」の様子に重ねるし、
シュメル伝説のオアネス(Oanes、Oannes)を想起させる。
紀元以前に渡来したヤーダヴァ族(ドヴァラカー族)である登美族は、
その土地の大山椒魚信仰(縄文時代後期晩期からあった)を知り、
彼等の祖先の像との共一性からその神名を「ナムチ」と
言い慣らし始めたと推測される。
水棲動物 yadu は彼等の種族性そのものである。
大己貴命とは大山椒魚(大黒主)を神格化した名称である。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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