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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
セブンネット
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:854・855・856・857頁
第十三章 「倭人伝」狗奴国
倭人伝の国々
ここではこれまでに参考にしてきた
「後漢書倭伝」「三国志魏書倭人伝」に登場する諸国のうち一部を
解説して纏めることとする。
そのうちの狗奴国については少々詳しく考察してみる。
まず「倭人伝」に従い、
魏から倭に渡行する途次の国と倭の国々についてみる。
(1)狗邪韓国
韓半島の南端の国で、帯方郡より海路七千余利里。
狗邪は「姑射と偎人」で述べた。
現在の釜山地方である。
(2)対馬国
狗邪韓国から海路千余里。
現在の長崎県の対馬であり、
その語義は「馬韓に対面する」である。
(3)一大国
対馬国より南へ海を渡り千余里。
現在の長崎県壱岐。
(4)末廬国
一大国から海を渡り千余里。
現在の佐賀県・長崎県に広がる松浦郡のうち、
具体的な場所は定かでない。
しかし、「マツラ」は第一章祝祭「淀姫と佐保佐神社」などで
述べたがサンスクリット語の madhura (甘いもの、密) が
祖語である。
(5)伊都国
末廬国から東南に五百里。
現在の糸島郡。
(6)奴国
伊都国から東南に百里。
現在の福岡市博多の地域。
「奴」の祖語はサンスクリット語の「船」を表わす nau である。
第六章のユダヤ人と月氏や第十章天毒とセリカで触れた。
(7)不弥国
奴国から東に百里。
現在の福岡県宗像郡福間がその比定地。
(8)投間国
不弥国から水行二十日。
現在の宮崎県児湯郡都農町、日向市の南部。
第十二章大国主神と大物主神
「大国主神の奉祭氏族(4)都農神社」で述べた
「藤見」がその遺称だが、その官名「弥弥」から
日向市の美々津町まで含む広い地域。
(9)邪馬臺国
投間国から「南に進み」、
水行十日、陸行一ヶ月かかるとあるが、
水行陸行の時間的配分は不明瞭。
不弥国から投間国まで水行二十日とすると、
その方向と時間の推量から鹿児島県地方となるが、
実際は「水行一ヶ月、陸行十日」であった可能性もある。
(10)女王に支配されている領域、二十カ国及び奴国
これらの国も九州の域内と考える。
(11)狗奴国
「魏書倭人伝」は「その南に狗奴国があり」と、
女王の支配している領域に位置していると記しているが、
時代的に魏より前の時代の史書ではあるが、
「魏書」により纏めたものとの見解のある
「後漢書倭伝」には
「女王国から東へ渡ること千余里で拘奴国に至る」とある。
狗奴、拘奴と異字になっているが、同じ国と解釈される。
この「倭伝」の情報をより正確なものとすれば
狗奴国瀬戸内海を東進して千余里の近畿地方となる。
魏書にも
「女王国の東、海を渡ること千余里のかなたに、また国がある。
いずれも倭種の国である」と
後段に述べ、その国名を明らかにしていない。
後漢書の表記とほとんど同じで、
この国が「狗奴国」と解釈することができる。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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