2015年1月25日日曜日

神武天皇と富登多多良伊須須岐比売命③

 浦和レッズレディース
 『Yahoo!天気・災害』
 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 ※Matのジオログ

 さいたま朝日WEB
 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦

 セブンネット

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:851・852頁

 神武天皇と富登多多良伊須須岐比売命③

 つまり「剣持神」はインドラ神にして大物主神である。

 大神神社の巫女であった姫蹈鞴五十鈴姫命が

 同神を祀ったとしても不自然でない。
 
 同社は大神神社の部宮と称される近い関係にある。

 しかし摂社末社には属さず、

 別宮というもののけじめがつけられているのは、

 同姫の神武天皇の皇后になったとの立場が

 考慮されてのことと判断される。

 大物主神の神妃はその摂社に祀られているが、
 
 三穂津姫命の名はない。

 そのような状況からすると、

 「弥富都比売」は

 姫蹈鞴五十鈴姫命その人をいうものなのである。

 「弥富都」は『古事記』名にある「富登」で「弥」は

 サンスクリット語の mih (霧)で megha (雲)と同義で

 「ミフツ」は「雲‐剣」で「雷光、稲妻」である。

 島根県八束郡美保関町の「三保」は

 そこに「雲津」の地名がある通り mih(megha) の転写で、

 「三穂津」は雲に因んで作られた名称である。

 『日本書紀』では三穂津姫を大物主神の妻とするが、

 巫女は本来神妃にして妻であり、

 媛蹈鞴五十鈴姫もその立場にあった。

 明治24年の「神社明細帳」は

 祭神を「弥富都比売神、大物主大神」とし、

 主神を比売神とする表記となっており、

 夫妻神を表わすような表記ではない。
 
《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

0 件のコメント: