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《考古学&古代史の諸問題》
《参考:年表・資料》
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『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:847・848頁
第十二章 大国主神と大物主神
天照大神と多氏・大三輪氏⑮
神八井耳命の母(勢夜陀多良比売)に連なる
三嶋泊咋(登美族)の系譜が
暁紅神である太陽神と関係あることは理解できるが、
その父神武天皇の系譜もまた太陽神崇拝者(日種)である。
その祖神四代の尊称を『古事記』は次のように表わす。
第1代 太子正勝吾勝速日天忍穂耳命
第2代 天津日子番能邇邇芸命
天津日高日子番能邇邇芸命
第3代 三津日高日子穂穂出見命
虚空津日高<天津日高の御子>
第4代 天津日高日子波限鵜葺草葦不合命
第5代 神倭伊波礼毘古命(神武天皇)
第1代天忍穂耳命の「太子」については日本古典文学大系は
「ひつぎのみこ」と読み、その注で「日嗣の御子の意」としている。
本書では「太」は「大、意富」と同じくサンスクリット語の
aha,ahar の音写であると述べてきたが、
その語義が「日、昼」であり、「太子」は「日子」とすることができる。
第2代から第4代の尊称にある「日子」に引継がれている称号である。
第2代から第4代までの天津日子、
天津日高日子は太陽を表徴する尊称であり、
神武天皇の祖神が
「日子」太陽神に係わっていることを示している。
そして『古事記』は
「天照大御神の命以ちて、
『豊葦原之秋長五百秋之水穂国は、
我が御子、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命の知らす国ぞ』と
言因さし賜ひて、天降したまひき。」と語り、
第1代天忍穂耳命が天照大御神の御子であるという。
「天津神系」は太陽神崇拝者の系譜にある。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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